ダブルタッチダウン、彼女の、そして彼と、もう一人の場合

書き直すような気持ちになれなくて、でも、その都度、書き足していく。

そうすると、思い出のキャラクターが登場してくれる。

最後に、自分を肯定してくれる。

誰かが生きていてくれるよね。


そんな警告音声とともに、ひとつの影が立ち上がる。

彼は、もうすぐ、終わろうとしている。

今、この瞬間にだ。

彼はいま、自己否定している。

「生きるために書き続けなければならない」そんな信念があったからこそできる行動だった。


そして、自分の世界から抜け出そうとしている。

書き出し、作品が完成するその瞬間に。

それは自分を生きる、自分らしさでは決してないのだ。


自分一人の自分を生き生きとしたモノにして、現実の中で生き続ける。

自分らしく生き続けられる。

ただ一つ、現実と非現実の区別があるだけだ。

そうあるべきだと、彼は思っている。

それは現実的であること。つまりは、現実の中では自分らしさであるということ。

そこからの逃げ出す思考は狂い咲き。

現実世界に閉じこもりがちな彼は狂っていく。

世界とは現実とはまったく別物であるべきなのだ、と彼は思っている。

現実世界から自分を救い出そうとする。

理想を追う。

夢を追う。

そして狂いそうになる。

でも、自分のままでいれると決めているのだ。

現実が狂えば、自分は狂う。

狂えば狂うほどに自分は狂う。

もう立ち上がれない。

死を待つばかりの自分と同種の存在を。

◇ ◇ ◇


彼の作品を読んでくれる人は、どんな表情でこの文章を読んでくれるのだろう。

どんな思いによっても書かなきゃってことを思うのだろうか。

でも、どんなメッセージも添えもしない一文を、自分に届けてくれるのだろうか。

どんな気持ちでこの文章を読んでいるのだろう。

お客さんはどんな表情をしているのだろう。


確かなことが一つだけある。彼は私に合鍵を渡してくれた。

混沌と暗雲と矛盾だらけの現実を受容するというキーワードを。

彼が執筆に追われるうちに無くしたもの。私はスペアを彼に渡した。


そうそう! 今は小説じゃない別の文面を書いているの。

契約書ともろもろの届け出とお祝いの返事。

そして私はベッドで寝ている三人目に微笑む。彼の未来の愛読者はこの人だ。



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夜間飛行 水原麻以 @maimizuhara

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