ナシよりのナシ

 何かいる、と認識した時にはもう事態は進行していた。


「フシャアアッ!!!」


 威嚇の声をあげながら、真っ黒い何かがテーブルの上に飛び乗ってくる。ソレは、並べられた料理をお皿ごと蹴散らして回った。


「きゃああっ! な、なにがっ! 悪魔?!」

「ね、猫ですっ! 黒い猫が!」


 予想外の侵入者に、緑の部屋はパニックになった。


「おい……っ」


 思わず剣を抜こうとするクリスの手を、私はとめた。その耳元でこっそり囁く。


「待って。猫は味方よ」

「む……?」


 私たちの様子を見て何か感じ取ったのか、シュゼットも無理に猫を追わずに私たちのそばへと避難してきた。

 事態を静観している間も、黒猫は部屋の中で暴れまわる。料理だけじゃない、ベッドもソファもカーペットも、全部めちゃくちゃだ。女官たちは猫を捕まえようと必死に手を伸ばすけど、触れることすらできない。


「この……汚らしい獣が!」


 ローゼリアがさっとスカートに手をやった。どこにどう仕込んでいたのか、スカートの合わせから短剣が姿をあらわす。どうやら、彼女にも戦闘の心得があるらしい。

 猫を攻撃されたら困る私は、腹に力を込めて大きく叫んだ。


「んもぉぉぉ、信じらんなぁぁあい!」


 突然叫ばれて、女官たちの動きが一瞬止まる。ローゼリアも集中がそがれたのか、剣を持つ構えが緩む。


「あなたたち、さっきから何なのよ!」

「何、と言われましても」


 ローゼリアが聞き返してくる。ほとんど思考が挟まらないセリフを聞いて、私は内心ほくそえんだ。いい感じの混乱具合だ。


「お風呂の段取りは悪い、変な着替えを持ってくる、侍女の仕度もできない! やっと部屋に案内したと思ったら、今度は侵入者? 武器探知の先に賊は入ってこれないんじゃなかったの?!」

「しかしこれは獣で」

「現に部屋はめちゃくちゃになってるじゃない! 獣だろうが何だろうが、侵入者は侵入者よ!」


 部屋の惨状は明らかなトラブルだ。

 一見無茶な要求にも見えるけど、ネズミをはじめとした害獣の駆除だって使用人の仕事だ。部屋を荒らされた責任を追及できる。


「こんなところに一秒だっていられないわ!」


 これなら、もう十分。

 王妃の接待から逃げる口実、ゲットだぜ!!!

 私の『出ていく宣言』を聞いて、女官たちが浮足立つ。


「お待ちくださいリリアーナ様! すぐに代わりの部屋をご用意いたしますので」

「え~? ここが一番美しい部屋なんでしょ? 格下の部屋に通されて、それで待遇がよくなるとは思えないんだけど~?」

「う、美しさでは劣るかもしれませんが……ここより広いお部屋……などは」


 最初に自信満々で『一番美しい』って紹介しちゃったからねー。

 これでもっと豪華な部屋が出てきちゃったら、じゃあさっきの紹介は何だったんだって話になるし。

 我ながらずいぶん嫌な性格のクレーマーだな、と思うけどしょうがない。

 私の仕事はローゼリアとケンカして、部屋から出ていくことだ。


「いいからどいて。シュゼットの接待は私が自分でやるわ」

「そうはまいりません!」


 ざざ、と女官たちがドアの前に並んだ。

 実力行使で私たちを部屋に閉じ込めようってことらしい。

 その程度で止められると思うなよ?

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