【悲報】
第三階層は、海の底だった。
「うわ……なんだこれは」
いきなり切り替わった風景を見て、クリスが声をあげた。彼女の気持ちはわかる。今まで森の土だった地面には白い砂が敷き詰められ、緑の木々の代わりにカラフルな珊瑚が生えている。
「なんか、独特の圧迫感があるね」
ケヴィンもきょろきょろと不安そうにあたりを見回した。ヴァンがため息をつく。
「景色はもう気にすんな。どうせ夢の世界だ。なんかこういう壁紙を張ったデカい迷路にいると思ったほうがいいんじゃねえの」
「身も蓋もないですが、その通りだと思います……」
セシリアが苦笑する。
その様子をぼんやり見ていると、ヴァンにぽんと背中を叩かれた。
「それで? 俺たちは階層を移動したんだよな。ナビゲーション機能とやらが使えるようになったんじゃねえのか」
「あ、そ、そうだね」
そうだ、ぼけっとしてるわけにいかない。
状況がどうあれ、私たちはこのダンジョンを攻略しないと外に出られないんだから。
「ちょっと待ってね」
私はメニュー画面を開いて、機能をアンロックした。これで人工知能を使った対話型ダンジョンナビゲーションシステムが使えるはずだ。
『アンロック確認しました。ナビゲーションを開始します』
機械的な、硬い口調の男性の声がどこからともなく聞こえてくる。
「誰だ……? 声の出どころがわからない……!」
クリスが剣を構えて周囲を警戒する。
いきなり謎の声っていうか天の声が聞こえてきたらびっくりするよね。
「大丈夫だよ、クリス。これはナビゲーションの声だから。えーと……こっちの言葉でわかりやすく言うと……『夢を見せる機械』を管理している精霊? みたいなものかな」
「危険なものではないんだな?」
「うん。だから今は剣を降ろそうか」
私が言うと、クリスは構えを解いた。でも、やっぱり得体のしれない声は不気味らしく、剣を手にしたまま、周囲に気を配っている。
『初期登録を行います。聖女資格者の名前を登録してください』
聖女、と言われてセシリアが私に視線を向ける。私はこくりと頷いた。この状況で『聖女』の資格があるのは彼女だけだ。
「セシリアです」
『登録しました。初めまして、セシリア。私はナビゲーションシステムAIです。あなたのことを教えてください』
「はい、わかりました」
このあたりのやりとりは、ゲーム内で何度か繰り返している。特にアドバイスしなくても、実況動画民のセシリアなら滞りなく手続きを進めることができるだろう。そう思って見守っていると、ヴァンがこそこそと声をかけてきた。
「精霊がなんでいちいちあんな質問してくんの?」
「聖女っていっても、それぞれ別の人間だからね。ユーザー……ええと、利用者ごとに使いやすいようカスタマイズしてるんだよ」
今のAIは産まれたての赤ん坊みたいなものだ。これからセシリアと対話させ、成長させる必要がある。
『最後に、私の名前を決めてください』
名前を尋ねられて、セシリアが一瞬沈黙した。名づけは大事な儀式だ。
彼女の言葉次第で、AIの印象が決まる。
「ここにいない侯爵令嬢の名前からとって、ハルバードのハルとかどう?」
「絶対やめて」
ニヤニヤ笑うユラの言葉を私は全力否定した。
世界で一番縁起の悪いAIの名前をつけようとすんな。偶然だと思うけど心臓に悪いからやめてほしい。
セシリアは笑顔でユラを無視すると、AIに名前を告げた。
「では『もちお』でお願いします」
「へ……」
『もちお、で登録しました』
「独特の名前だね?」
私たちも、ユラさえも驚いて思わず目を丸くする。私たちが驚くのを見て、セシリアもまた驚いておろおろと視線をさまよわせた。
何故ここで現代日本雑ネーム。
しかもめちゃくちゃ聞き覚えがある。
「え……でも……小夜子さんはいつも、AIにこの名前を……」
確かにそうだけどね?!
「それ、おじいちゃん家の猫の名前ー!!」
「えええええ? そんな、てっきり小夜子さんの世界の神聖な名前かと!」
「いちいち名前つけるのが面倒くさくて、ペット系の名前全部それにしてただけだよ!」
ゲーマーなら一度は直面する『ゲームごとにいちいち別の名前をつけるの面倒くさい問題』である。
遊び始めこそあれこれ毎回悩んでつけてたけど、ゲームの累計本数が二桁になったころには考えるのが面倒くさくなってくる。そんなことで悩む暇があったら、ゲームの内容で悩みたい。
それで、だいたいのゲームは主人公を『さよ』、ペットは『もちお』にしてたんだけど。
まさかその名前をセシリアが使うとは思わなかったよ!
「えええ、えっともちおがダメなら……」
『はい、なんでしょう』
「いや今のはもちおを呼んだのではなくてですね」
『はい、なんでしょう』
すでに名前の登録は完了してしまったらしい。AIは『もちお』の名前にしっかり反応している。
「もう、もちおでいいんじゃね? これなら他の名前とカブんねーし」
「えええええ……」
「名前をあれこれ考えてる時間が惜しいしね」
うん、私もそう思ってゲームの名づけは適当にしてたんだけどね?
多分このAI、ダンジョンを出ても、管制システムを管理するAIとしてずっと付き合うことになると思うよ? それどころか、女神の心臓を動かす時にだって使うことになるよ?
この世界の歴史書に『聖女を支える誇り高き精霊もちお』とか記録されたらどうしよう。
もうどうしようもないけどさ!
「もちお、ユーザーを登録します」
『はい、登録者の名前を教えてください。敬称は不要です』
「小夜子、シルヴァン、ケヴィン、クリスティーヌです」
『……登録しました』
登録ユーザーの中にユラの名前はない。当然だけど。もちおに問いかける権利を得た私は口を開いた。ここからが大事な操作だ。
「もちお、ダンジョンシステムのバグを修正して」
『ダンジョンとは、地下牢を意味する言葉です。古い時代に作られた遺跡などの迷宮を指すこともあります』
「いや言葉の意味は聞いてないし! もちお、バグを修正したいんだって」
『バグとは、虫を意味する言葉です。コンピューター用語においては、欠陥やプログラムの誤りを指す場合があります』
「んんんんん……そうじゃなくてね?」
なんだろう、この話の通じなさ。
「もちお、このダンジョンシステムで起きてるバグを修正したい。方法を教えて!」
『ちょっと、何を言っているかわかりません。もう一度お願いします』
「おい、これって……」
ヴァンたち、この世界で育ったファンタジー民が顔をひきつらせる。その横でユラだけがおかしそうに笑っていた。
「……もちお、今何時?」
『王都ソーディアンは午後五時二十五分です』
「もちお、今日の天気は?」
『王都ソーディアンは曇り時々晴れです。明日は晴れ、降水確率は二十パーセントです』
「もちお、今日のおすすめ料理は?」
『南部風、牛肉と根菜のシチューです。レシピは以下になります』
「もちお、今日の猫は?」
『白猫のるるちゃんです。画像はこちらです』
「……もちお、ダンジョンシステムのバグを直して」
『ちょっと、何を言っているかわかりません。もう一度お願いします』
「もちおぉぉぉぉ……」
私はコントローラーを握り締めてうめいた。
『はい、なんでしょう』
「お前はどこのスマホアプリだよ! このクソゲーがっ!!!!」
【悲報】ナビゲーションAIがアホだった。
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