罠の真意
「ごめんなさい……リリィ様……ごめ……なさ……うぅぅ……」
「はいはい、それはわかったわよ」
ぐすぐすと泣きじゃくるゾフィーを抱えて、私は王立学園の裏道を歩いていた。ちらりと後ろに向けた視線の先に、演劇ホールの明かりはない。ゾフィーに言われるまま歩いているうちに、かなり離れた場所まで来てしまった。今から戻ったところで、開演時間に間に合うかどうか。
「アイリスはただのイタズラ娘じゃなかった、ってことね……」
今まで起きたトラブルが、せいぜい窃盗や器物破損程度だったから油断していた。彼女はじっくりと狡猾に、今日のこの時を狙っていたのだ。
あの一斉道具隠しは陽動だ。
生徒全員をパニックに陥れ、浮足立った隙に私を孤立させる。生徒たちが私の不在に気が付いたときには、あとの祭というわけだ。
数日前のキス未遂事件で、私と王子の不仲は学園中に知れ渡っている。
このまま舞台に上がらなければ、『王子を拒否して学年演劇をすっぽかしたダメ令嬢』のレッテルが貼られるだろう。
単純に王子妃の資格なしとみなされるだけならいい。婚約解消の口実に使えるなら、この際多少評判が落ちたところで構わないし。
しかしあの腹黒王妃のことだ。私をダメ令嬢として下に置きつつも婚約関係は続けさせ、飼い殺しにするつもりなんじゃないかな。
恋人と引き裂かれて王子と結婚させられた挙句、義母と愛人に虐げられる。
いかにも彼女が喜びそうな展開だ。
だからといってゾフィーを見捨てて逃げることもできなかった。
「ううっ……」
「しっかり立って。歩かなくちゃ、いつまでたっても終わらないわよ」
「は……はい……いぁあっ……」
彼女に刻まれた呪いはヤバい。
ディッツの元で呪いや癒しについて学び、実際の症例も何度か見てきたけど、こんなに強い呪いを見たのは初めてだ。しかも効果が強いだけじゃない、タチの悪さも深刻だ。呪いは彼女の心臓に絡みつくようにして根を張っている。私程度が無理に解呪しようとしたら、すぐに死んでしまうだろう。
呪いを解くには、東の賢者レベルの技術が必要だ。
こんなひどい呪いに苦しめられている女の子を、放っておけない。
「はあ……」
私は新鮮な空気を求めて、大きく口を開けた。大声を出すつもりだと思ったゾフィーが、びくっと体を震わせる。
「安心しなさい。この状況で無駄に助けを読んだりしないわ」
「ご……ごめんなさい……ごめんなさいっ……」
彼女に与えられた命令は大きくみっつある。
私を指定した場所に連れてくること、私以外に助けを求めないこと、そして私に助けを呼ばせないこと。
そのどれかひとつにでも反したら、心臓を掴まれるような激痛に襲われる。
私が助けを呼んでいるかどうか判定しているのはゾフィー自身なので、彼女の前で怪しい行動をとるわけにはいかない。
「あ……あそこです……」
呪われたゾフィーが私を引っ張ってきたのは、裏庭の隅に建てられた小屋だった。古くてぼろぼろだけど、人の出入りはあるのか周囲に雑草は少ない。
「やっと来たか」
小屋の裏に潜んでいたらしい制服姿の男たちが、ぬうっと姿を現す。
彼らは制服こそ着ていたけど、学園の生徒ではなさそうだった。制服の着方がおかしいし、サイズも合っていない。何より顔がどう見ても十代の少年じゃなかった。学生を装うために、変装しているんだろう。
「お嬢さん、ご苦労。ここから先は俺たちに任せな」
「あ……あなたたちは……」
ゾフィーは震える声で男たちに尋ねる。
「その先は訊かねえほうがいい。そっちのお姫さんがこの後どうなるかもな」
ニヤニヤと男たちは下品に笑う。『ダメ令嬢のレッテルを貼る』のがアイリスの目的なら、このまま拘束していればすむ話だ。しかし彼らは、それ以上のことをするつもりのようだった。
「最低……」
私は感情のままに彼らを睨みつけた。
予想通りすぎて、腹が立つ。
でも私だって無策でここに来たわけじゃねーからな?
ポケットには武器になる魔法薬が入ってるし、雷魔法だって使えるからな?
ゾフィーに隠れて居場所の手がかりを残してきたから、助けが来るのも時間の問題だからな?
「さあお姫さん、連れの命が惜しけりゃこっちに来るんだ」
男のひとりが手を差し出す。
この手をとったが最後、ひどいことをされるんだろう。
「だ、ダメ……それは絶対ダメ……っ!」
蒼白な顔のゾフィーが私と男の間に割って入った。
「ゾフィー! 呪いに逆らったら……」
「ああぁぁっ!」
胸を押さえてゾフィーが悲鳴をあげた。どれだけ呪いに負荷をかけられたのか、口から泡を吹いて倒れた彼女はそれっきり動かなくなる。
「ゾフィー!」
私はゾフィーを抱えたまま、男たちとにらみ合った。
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