未遂事件
「うーん」
マリィお姉さまから宿題を出されてから一か月後、私はいまだにぐだぐだと悩んでいた。
季節が冬になり、窓の外の風景が寂しくなってきたのもあって、気分は沈んでいくばかりだ。
気にかかることがあるせいか、自室で勉強していてもイマイチ進まない。こんな調子では次の授業でまたフランに叱られてしまう。
十年後の未来を考える。
それは、前世を含めた今までの人生で一番の難問だった。
貴族令嬢の進路は多いようで少ない。
家柄のつり合いのとれる貴族のお嫁さんになるのが普通だ。むしろ、それ以外の人生はほぼ存在しないと言っていい。
黙っていても、みんなどこかに嫁がされるのが現実だ。
でも、マリィお姉さまが私に尋ねているのはそこじゃない。
女性が嫁いだからといって、全員同じ人生をたどるわけじゃないからだ。
結婚したあと王宮にあがり侍女として活躍する女性。乳母として主君の子を守り育てる女性。サロンを開いて芸術家の育成に力をいれる女性。自らデザインを手がけてファッションリーダーとなる女性。
結婚はゴールじゃない。
他家に入り子供を産んだ先でも、みんな自分の人生を生きている。
もちろん、嫁ぎ先によってはままならないこともあるだろう。
でも、できるかどうかと、自分がどうしたいかは別だ。
何がしたいのか決めておくだけでも、選べる道は増える。
「といっても……人生の目標なんてそうそう決まらないよねえ」
今の私は王立学園進学前の14歳。
高校受験前に人生を決めろ、と言われているようなものだ。
大学を卒業する二十代になっても人生に迷う学生は多いというのに、この歳で決めきれるものじゃない。
なまじ、やりたいことが全くないわけじゃないのがなあ……。
いや、やれないんだけどさ。
「お嬢様、薬物検査の結果が出たよ」
不意に声をかけられて、私は顔をあげた。声のしたほうを見ると、書類を抱えたジェイドが立っている。
考え事に夢中で、ノックの音に気が付かなかったみたいだ。
「ありがとう、何か見つかった?」
「昨日のお茶会でお嬢様にサーブされたお茶から、ジギタリスが検出されたよ」
「ジギタリス……聞いたことがあるわね。心臓の治療に使う薬じゃなかった?」
「師匠やボクが処方すれば薬になるけど、多量に摂取すれば心不全を起こして死ぬよ。効果が現れるまで3時間から4時間かかるから、犯行をごまかしたい暗殺者にとって便利な薬だね」
「なるほど……その毒をお茶に混ぜたのは、エヴァよね」
「真っ青な顔で、お嬢様にお茶を勧めてたもんね……」
私は昨日のお茶会の様子を思い返す。
故意か偶然か、お茶会に同席していた姉系令嬢エヴァが珍しく私にお茶を渡してくれたのだ。その時の彼女は、見ているこっちが気の毒になるくらい顔色が悪かった。私に毒を盛っているという自覚があったんだろう。
側に控えていたジェイドの協力で、カンペキな『飲んだふり』をして見せたら、今にも気絶しそうな顔になっていた。
目の前で自分の盛った毒を飲まれたら、平気ではいられないよね。
「それともうひとつ。お茶会でお嬢様が着ていたドレスから呪物が見つかったよ」
「あら、何かひっかかる感じがしたと思ったら、やっぱり呪いだったのね」
ジェイドはポケットから折りたたまれたハンカチを取り出した。開いてみると、そこにはビーズで作ったピンブローチがあった。ブローチは小さく地味で、私の派手なドレスにひっかけたら、他の飾りに紛れて見えなくなってしまいそうだ。
「結構完成度の高い呪物だよ。呪いに詳しくない人間だったら、着けられたことにも気づかないんじゃないかな」
「これも遅効性?」
「うん。何日かかけて病気を引き起こすタイプだね」
「これを仕掛けたのは、ライラかなあ……」
「突き飛ばすふりをしながらお嬢様に呪物を着けてたけど、思いっきり挙動不審だったし……」
「しかも、その後心配そうに何度もこっち見てたわよね」
普段強気なくせに、どうにも悪者になりきれないご令嬢である。
「毒はともかく、呪物はどうする? 呪いを持ち主に返すこともできるけど」
「やめてあげて。ライラも自分の意志でやってるわけじゃないんだし」
私に呪物を押し付ける直前、ライラの腕を掴んで脅しつけている女の姿があった。恐らく、彼女がライラの脅迫者なのだろう。それがわかっていて呪い返しなんかできない。
「無害化して保存を……」
私たちの会話をノック音が遮った。私はぎょっとして音のした方向を見る。
そっちには窓しかなかったはずだからだ。
でも、窓の外を確認すると同時に私は警戒を解いた。そこに現れた影は見知ったものだったからだ。
ひとりはメイド服を着た小柄な少女、もうひとりは黒いマントを羽織った男性。ふたりとも、そっくり同じ黒髪に金の瞳で、頭には猫のようなふわふわの耳がついている。
私の専属メイドフィーアと、その兄ツヴァイだ。
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