ハルバード侯爵邸にようこそ

 ハルバード城で侍女や騎士たちに泣かれ、城下町で住民総出で見送られ、さらに、ハルバード領内の村を通過するたびに出迎えられ、お土産を渡され、とんでもなく足止めされた私が王都についたのは、一か月後だった。


 ハルバード領から脱出するまで、ずーっと愛想をふりまいていたせいで、もうくたくただ。


「疲れた……今日はもう休むからフランは……」


 ふと振り返った私の行動は空振りになった。いつも隣にあった、背の高い黒い影はもういない。


「あー……」

「補佐官殿がいないことを忘れるなんて、ずいぶんとお疲れじゃねえか。あ、もう補佐官でもないんだったか」


 私の行動を見ていた魔法使いの家庭教師、ディッツはけらけらと笑う。


「しょうがないでしょー! 3年も一緒にいたんだから!!」


 私たち一行の中にフランはいない。


 それは当然の話だ。ミセリコルデ家の長男だなんて超レア人材がレンタルできたのは、11歳の女の子を領主代理にしなくちゃいけない、っていう非常事態だったからだ。私が領主代理を降りると同時に、彼の派遣期間も終了しちゃったんだよね。

 王都までは一緒に戻ってきたけど、そこから先の目的地は別だ。彼は直属の部下であるツヴァイを連れてミセリコルデ宰相家に帰ってしまった。


「一旦中に入って、お茶にしましょう。体が落ち着けば、気持ちも落ち着きますよ」


 ジェイドがにっこりとほほえむ。

 癒し従者は、身長が伸びても相変わらず癒しだわー。


「ありがとう、そうするわ」

「途中でお土産にもらったお菓子もあけましょう。きっと元気が出ますよ」


 この1年でますます美少女ぶりに磨きがかかったフィーアが、私を気遣うように首をかしげた。黒いネコミミが一緒にぴょこんと揺れて、パーフェクトかわいい。

 いかんいかん。こんなにかわいい子たちに心配かけてちゃダメだよね。


 だいたい、フランが実家に戻ったからって、縁が切れたわけじゃないし。


 フランは私の世界救済計画の仲間だ。それは、領主代理を降りたあとも変わらない。

 悲劇を食い止めるために、まだまだ彼の手が必要だ。


「まずはちゃんと休まないとね。もう領主の仕事はしなくていいんだし、ちょっとのんびりしようっと」

「いや~お嬢はそろそろ本腰いれて勉強しなきゃダメだろ」

「う」


 ディッツが痛いところをついてきた。


「領主代理を務めたご主人様が、今更勉強することってあるんですか?」

「それが、そうでもないのよ……」


 フィーアの純粋な尊敬がつらい。

 実は、3年間の領主代行期間中に領主スキルが上がった反面、学べなかったことも多いのだ。

 普通の子供が歴史や文学、芸事などを学ぶ時期に、毎日毎日領主の仕事ばかりしていたんだから、ある意味当然の話である。結果、税収関係の法律には詳しいのに、超有名作家や詩人の名前はさっぱり知らない、というバランスの悪い令嬢が出来上がってしまった。

 多分、私の能力をレーダーチャートにしたら、ものすごい形をしてると思う。


「魔法の腕も薬の知識も、まだまだ足りてねえしな。あと1年で俺の弟子を名乗って恥ずかしくないくらいには仕上げてもらうぞ」

「はーい……」


 他の科目も、早いうちに家庭教師を見つけてこないとなあ……。でも、こんなバランスの悪い令嬢に付き合ってくれる教師とか、この世に存在するんだろうか。

 考え込んでいると、母屋のほうからメイドがひとり走ってきた。


「お嬢様、お帰りなさいませ」

「ただいま。どうかしたの?」

「それが……」


 ハルバード侯爵邸づきのメイドは、青い顔で封筒を私に差し出した。



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