閑話:宰相家の肖像(フランドール視点)

「失礼します」


 ハルバード城で父と姉と再会したその日の夜、俺は父たちが宿泊している客室を訪ねた。松葉づえをつきながら中に入ると、ちょうどくつろいでいたふたりが腰を浮かせる。


「改めてお話する時間が、遅くなってしまって申し訳ありません」

「いい、気にするな。リリアーナ嬢の補佐官になったんだ、仕事が多いのは当然だ」


 父にすすめられて、ふたりと同じテーブルに座る。


「その件についても、謝罪を。せっかく迎えに来ていただいたというのに、ここに残ると勝手に決めてしまいました」


 そう言うと、姉はクスクスと笑い出した。


「気にしなくていいのに」

「いえ、父上の意志を聞かずに決めたのは本当ですし」

「だから、許すんじゃない」

「……は?」

「あなた、本当に気付いてないのねぇ」

「何が……ですか?」


 姉の言葉の意味がわからない。どう答えればいいかわからず沈黙していると、父が大仰にため息をついた。


「初めてだ」

「だから何がですか、父上」

「私の意向でもなく、マリアンヌの意向でもなく、お前自身の意志として、何かをやりたいと言い出したのは今回が初めてだ。自立しようとする息子を親が受け入れる、当然の話だろう」

「……そうでしたか?」


 自分も成人した身だ。己の身の振り方はそれなりに自分で考えてきたつもりだ。しかし、言われてみれば、その判断基準は常に家族の利益になるかどうか、だった気がする。


「あなたは頭がいいぶん、なんでも先読みして、なんでも先に諦めてしまうから、心配していたの。よかったわ、あたなが自分で選ぶ道ができて」

「そう思わせたのが、あのご令嬢というのは意外だったが」

「ふふ、5年後が楽しみねえ」

「父上……姉上も。アレはそういうんじゃありませんよ」

「そうなの?」


 姉はわざとらしくきょとんとした顔になる。全く、この人は。


「俺が彼女に手を貸すのは、人としてそうあるべきと思ったから……いわば正義感のようなものです。誰だって、子供が崖にむかって全力で走っていくのを見たら止めるでしょう」


 何もかも諦めようとしていた俺をすくいあげた恩人だとは思っているが、さすがに11歳の子供をどうこうしようと思わない。


「あくまで騎士道の範囲、と言いたいわけね」

「とはいえ、このカタブツの心を動かしたのは事実だ。お前の言う友情が長く続くことを願うよ」

「そのつもりです」

「……こんなことになるなら、リリアーナ嬢とフランの縁談を無理やりにでもまとめておけばよかったかしら」

「何の話ですか?!」


 あの爆弾娘との縁談だと?

 どんな拷問だ!


「そんな話初耳ですよ!」

「当然よ。言ってなかったもの」

「去年のお茶会で大暴れしたリリアーナ嬢を、主催の王妃様がいたく気に入ってな。王子の婚約者にしないか、という話が持ち上がったのだ。ハルバードが王妃側に回るのは、宰相家にとって非常に都合が悪い。代わりにフランはどうかと打診していたんだ。結局、どちらも断られて話自体が流れてしまったが」

「リリアーナ嬢が『本人が花束持って結婚を申し込んでくるんじゃないと嫌だ』って言ったんですって。かわいいわよね」

「なるほど、そういう事情でしたか」


 多分、あのリリアーナがそのセリフを口にしたのなら、言葉通りの意図ではない。おそらく、王家と宰相家の権力闘争に巻き込まれることを恐れて、両方の縁談から逃げたのだろう。


「ですが、結婚する本人に一言も相談なしに縁談を進めないでください。万が一リリアーナ嬢が婚約を承諾していたらどうしたんです」

「普通に結婚させてたわよ? 家の利益になる縁談と言えば、あなたは断らないもの」

「それは……」


 俺は姉の言葉を否定できなかった。

 自分は、姉の影として育った。不必要に生まれて来てしまった側室の子として、立場をわきまえ、優秀でありつつも目立たず奢らず、宰相家の道具であり続ける。それが自分に求められている生き方だと信じていた。

 あの頃の自分なら、きっと30歳年上の女でも、10歳の幼女でも、文句ひとつ言わずに従ったに違いない。


 だが、生死の境をさまよい、常識はずれの女の子に振り回されたことで、俺の中に意志が産まれた。守りたいと思う存在ができた。

 今の自分は、頭越しの縁談をそのまま受け入れることはできないだろう。


「安心して。今のあなたに縁談を押し付けたりしないわ」


 姉がほほえむ。

 今までの自分なら、そう言われれば『自分は縁談の道具としても価値がないのか』と傷ついていただろう。だが、父と姉が自分を愛している、と確信が持てた今は別の解釈ができる。


「それは、無関心だからではない……俺が姉上の家族だから、ですよね」

「わかってきたじゃない。そうよ、私は勝手なことをしてあなたに嫌われたくないの」


 姉は嬉しそうに笑い出す。


「フラン、私はお前を跡取にしない、と決めた。だがそれはお前が無価値だからではない。お前はマリアンヌと同じ、私の大事な子供だ。家を背負わないぶん、お前は身軽だ。宰相家だ王家だという価値観にとらわれず、好きな道を選んでいい」

「ありがとうございます……父上。これからは自分の意志の赴くまま進んでみようと思います」


 父に背中を叩かれ、姉に微笑みを向けられる。

 つい数か月前までは、家族とこんな風に暖かな時間を持てるとは思っていなかった。

 こんなに意識を変えることができたのは、あの少女のおかげだろう。

 命、意志、家族。

 彼女が俺にもたらしたものは、多すぎて数えきれない。

 その礼はこれからの働きでひとつひとつ返していかなければ。


「あ、縁談は強要しないけど、あなたの恋愛を期待しないわけじゃないのよ?」

「え」

「今は確かにつり合いが取れないように見えるけど、7年たてば状況は変わるわ。25歳と18歳なんて、結構見かける歳の差よね」

「だから姉上、邪推はやめてください! 嫌いになりますよ!」


 俺は悲鳴をあげた。


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 宰相家のあととりとして育てられたマリアンヌさんは結構いい性格しています。父と娘は中身がそっくり親子。


 ミセリコルデ家は、父、姉、弟、後妻の4人家族。後妻であるフランの母が子供ふたりを育てたため、姉マリアンヌも実の母のように慕っています。しかし、後妻の負い目からフランの母はふたりを明確に区別して育て、フランに姉より目立たないよう徹底的に教育しました。(身分差のある世界なので、フラン母の育て方は常識の範囲内。むしろ分け隔てなく育てるほうがヤバい)ちなみにフラン母はフランが10歳の時に病死。

 母の指導を素直に真面目に受け取ったフランは、優秀ではあるものの意志の乏しい青年に育ちました。下手なことを命令するとだいたい従うので、父も姉もうかつなことが言えず、家族間に溝が生じていた感じです。


 フランをリリィと結婚させようとしたのも、一見横暴そうに見えますが、フランの立場だと侯爵家の令嬢を嫁に迎えて後ろ盾を作るのは、逆玉の輿に近い状態なので、親心が結構入ってます。


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