閑話:不都合な現実(ジェイド視点)

「ジェイド! やっと見つけた!」


 唐突に袖を引っ張られて、ボクはその場に立ち止まった。抱えていた書類を危うく落としそうになって、慌てて持ち直す。これはお嬢様にお渡しする大事な書類だ。城の廊下にばらまいて、汚してしまうわけにはいかない。

 振り向くと、そこには赤いリボンをつけたメイド服の女の子が立っていた。真っ黒な髪の頭には、猫のようなふわふわの耳がついている。ついこの間から同僚になった獣人少女だ。


「何、フィーア」


 ボクはじろりとフィーアを睨みつけた。フィーアも金色の瞳で睨み返してくる。


「何、じゃないっての! あんた侍女長様からの呼び出しをずっと無視してるでしょ。同じご主人様専属ってことで、呼んでくるよう指示されたの。さっさと行ってくれる?」

「じゃあ侍女長様に伝えておいて、今は仕事が忙しくて、そちらにお伺いする時間がありません、って」


 クライヴのスパイ事件のせいで人が減った今のハルバード城は、とても混乱している。ミセリコルデ宰相閣下のはからいで、徐々に人が増えてはいるけど、人の受け入れに仕事の調整に、と仕事は後から後から湧いてくる。ボクも、お嬢様の腹心の部下として普通の従者ではあり得ない量の仕事を抱えていた。

 だから、侍女長様の事務的な呼び出しに構っている余裕はない、という返事は嘘じゃない。


「そう言って、何度も断ってるからアタシにまで声がかかってるんでしょー? ほら、さっさと行く!」

「だから、引っ張るなって!」


 フィーアはぐいぐいとボクの服の袖を引っ張る。無茶な扱いをされて、着古したチュニックの布地が悲鳴をあげた。


「服が破れたらどうするんだよ」

「そうなる前に、新しいのを作るんじゃない。いいかげん侍女長様に採寸してもらって、大人用の使用人服に着替えたらどうなの」


 侍女長様の用件、それはボクの新しい服の手配だ。もうすぐ15歳になるボクに、ふさわしい服を用意してくれるらしい。使用人の成長にあわせて身の回りの品を用意してくれるハルバード家はとてもいい雇い主だ。しかし、ボクは新しい服から逃げ回っていた。

 ボクの様子を見て、フィーアはにんまりと笑う。


「まあねえ? 大人用の服に着替えたせいで、かわいくなくなっちゃうのは残念だと思うけどねえ?」

「う、うう、うるさいよ!」


 図星をさされて、ボクは思わずどもってしまう。

 だってしょうがないだろ!

 お嬢様がボクを気に入っている理由の大半は『かわいいから』なんだから!


 吊りズボンはロマンだとか、ソックスとズボンの間の膝小僧は聖なる領域だとか、正直意味不明の評価だと思うけど、お嬢様はかわいい子供のボクを気に入っている。だから、できるだけ彼女のおきにいりの姿でいようと、常にかわいい姿の研究をしてきた。

 しかし、つい先日ボクの体はボクに残酷な事実を突きつけてきた。

 ボクは男であり、第二次性徴期に入ればかわいくなんていられない、ってことを。


 毎日毎日、寝て起きるたびにボクの手足は発芽したての豆よろしくにょきにょき伸びていく。

 自分がどんな男になるのかわからない、というのも恐怖のひとつだ。

 ボクは血のつながった父親の姿を知らない。つまり、大人になった自分の参考モデルがいないのだ。男として生まれた以上、子供のころどれだけかわいかったとしても、成長してむさくるしいおっさんになる可能性がある。それだけは御免こうむりたい。


 今着ている見習い使用人服はぱつんぱつんで動きにくい。

 自分でも限界だとわかっているし、馬鹿だとは思っているけど、大人っぽい使用人服に着替えるには抵抗があった。


「大人になるのって、そんなに嫌? アタシにはよくわかんないんだけど」

「き、君には一生わかんないだろうね!」


 ボクはフィーアを睨む。


 女の子はずるい。

 ボクと同じ、お嬢様に『かわいいから』気に入られている存在でも、その姿が大きく変わることはないだろう。ちょっと大人っぽくなったとしても、絶対かわいい。


「うう……お嬢様はどうしてこんな性悪を専属にしたんだろう……」

「腹黒従者に言われたくない」

「無作法者」

「臆病者」

「外面女」

「内弁慶」

「あれー? ふたりとも何やってんの?」

「お、お嬢様!」


 ふたりでにらみ合っていると、お嬢様がやってきた。仕事を終えて別室に移動するところみたいだ。


「こんなところで話してるなんて、仲良くなったみたいでよかったわ」


 いいえ、全然仲良くありません!


 心の叫びを握りつぶしてボクは笑顔を作る。隣のフィーアも同じように、にっこりとかわいらしく笑った。

 腹のうちはどうあれ、ボクらはふたりともお嬢様に笑顔でいてもらいたいのだ。

 使用人同士の諍いなんて見せられない。


「何か相談事? 困ったことがあるなら聞くけど」

「それは……」

「たいしたことないですよ、ご主人様! ジェイドに新しい服を作るって話をしてただけですから!」

「なっ」


 言うなよ!


「言われてみれば、ジェイドの服はもうぱんぱんね。手足が伸びたせいかしら」


 あああああああああ気づかれたああああああああ………。


「ふふっ、大きめの服を用意させなくちゃ。ジェイドはきっと190センチくらいまで伸びるから」

「えー……」


 ボクの脳天に雷のような衝撃が走った。

 お嬢様が予言めいたことを言い出したときはだいたい当たる。

 190センチ? 大男じゃないか!

 絶対! 全然! かわいくない!


「きっとかっこよくなるわよ」


 そう言って、お嬢様は嬉しそうに笑った。


「ご主人様……ジェイドがかっこよくなっていいの?」

「当たり前じゃない。かわいいジェイドも素敵だけど、かっこよくなったジェイドもいいと思うわよ?」

「……そう、ですか」


 急激に体から力が抜けて、膝から崩れ落ちそうになる。

 ボクが悩んでたことって一体。


「新しい服のジェイドが楽しみだわ!」


 まあ、お嬢様が笑っているならそれでいいか……。




 数日後、ボクはとうとう大人の使用人服に袖を通し、見習い従者から正式な従者に昇格した。


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 フランを脅してた話で片鱗を見せてましたが、ジェイドはお嬢と師匠以外には結構辛辣な毒舌キャラだったりします。

 新キャラ猫ちゃんフィーアも、ちょっとタチ悪めの小悪魔キャラだったり。

 まあ、どっちも裏社会に足突っ込んで生きて来たので、純粋無垢な性格なわけもなく。


 ただ、お嬢様が「かわいいねえ、いい子だねえ!」とことあるごとに褒めたおすので、お嬢様の前では性悪な部分は出しません。にこにこ笑顔を見せながら、裏でお互いに足を踏んづけ合いながら働いてます。




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