17 水底の御方

水底みなぞこの、御方おんかたって、誰だよそれ……」


 ダルが怖そうに問い返し、ルギは無表情のままトーヤをじっと見つめた。


「まあ、あれだ、時間かかりそうだし、とりあえず出発して歩きながら話そう。あまり遅くなると宿に入れなくなるしな」


 トーヤがそう言ってダルの愛馬「アル」に荷物を括りつけていく。


「待て、俺は一度宮に戻って報告をしなくてはならん」

「後でいいじゃねえか。ゆっくり話してる時間はねえんだよ」

「遅くなるとマユリアたちが何かあったのではないかと心配される」

「あっただろ、何か」


 トーヤが作業をする手を止めずに言う。


「何もなけりゃとっとと戻って報告すりゃいいが、そういうわけにもいかねえだろう。戻りたけりゃ戻りゃいいが、その時は詳しい事情はダルが戻ってから聞くことになるぞ」


 そう言われてしまえばルギももうどうしようもなく、


「分かった」


 そう答えて一緒に行くことにする。


 そんな些細なことだが、トーヤはほんのちょっとだけ意趣返しできたようで、気持ちよく旅立てそうだなと鼻を膨らませた。


 アルに荷物とシャンタルを乗せ、頭を低くさせて引きながら洞窟を進む。

 ダルは愛馬を引き、トーヤが頭の部分に並んで歩く。ルギは馬上のシャンタルに並び、落ちないように気をつけながら黙ってトーヤの話に耳を傾けている。時々ダルがそれに相槌を打つ。


「……さっきも話したがな、すぐに棺桶には追いついたしさっと鈎も引っ掛けて、合図したらすんなりと棺桶が水の上に向かって動き出した。なんだ、楽勝じゃねえかと思いながら、俺も下から支えるようにして上を目指したんだ。そしたら妙な音がした、ブツリとな」


 そうして、トーヤはその後起こったことを思い出しながら話した。シャンタルが誰かに呼ばれるようにするすると落ちていったことを。


「水に沈むって言うよりは、誰かに引っ張られてるみたいだったな」

「その誰かが『水底の御方』か」

「少なくとも何か意思を持ってシャンタルを引っ張りたいと思ったやつだな、そいつがシャンタルを欲しくて引っ張ったんだ」


 「聖なる湖」の底にいる意思を持つ方とは……


「本家シャンタルじゃねえかな」


 トーヤがあっさりと口にする。


「本家って、トーヤ……」


 ダルが思わず足を止めてトーヤを見る。


「まあ止まるな、とりあえず進もう」


 慌ててアルの手綱を握り直し、また歩き出す。


「とにかくな、正直もうだめだと思った。息も限界だったし、それから急いで上がっても間に合わないかも知れないと思ったな。そうしたら今までも何回かあっただろ? 共鳴ってやつ、多分あれが起きたと思う。なっ」


 そう言って馬上のシャンタルに声をかける。


「あれが共鳴だったの?」


 シャンタルは今まで意識したことがないのでそう聞き返す。


「ああ、多分あれが本物の共鳴ってやつだったんだろう。今まではなんつーか、おまえから一方的に来るだけで俺はそれを受けつけなかったからな。今回初めて俺からもおまえに気持ちをつなげようとしたからあんなことになったんじゃねえかな、と思う。思うだけだぞ? 本当にそのせいかどうか確実とは言えねえが、まあそういうことでも考えねえと、あれはなあ」


 あの銀色の柱のことを言う。


「あれが俺たちを吹き上げて水の上まで運んでくれた。だから今こうして生きて、話しして、歩けてるわけだ」

「苦しかった……」


 シャンタルが思い出して身震いする。


「前に見た夢のままだったな」


 トーヤは愉快そうにそう言って、


「まあ、でもこれでもう終わった、よかったな」


 シャンタルに笑いかける。


「おまえは乗り切ったんだ、さすが神様だよ、これでもうあんな怖いことにはならねえ」

「本当に?」

「まあ、多分、だがな」


 またケラケラと笑う。


「ただな、その前、あの柱が出てくる前な、あの時に何があった。何かあっただろうが?」

「何か?」

「おまえを引っ張ってたやつがびっくりして手を離すようなことだよ」

「びっくりして?」


 シャンタルが考える。


「ああ、必死に追いかけたけどな、どうやってもお前に追いつけなかった。それが、いきなりふわっと浮かんできた、だからおまえに触れて共鳴が起きたわけだ。何をした?」

「何を?」

「なんかしたんだろ?」

「なんか……」


 馬の首にしがみつきながらシャンタルはしばらく考えていた。

 3人も黙って何か言うのを待ちながら足を進める。


「あ」

「なんだ?」

「痛かった」

「痛かった?」

「うん、痛かった」

「何したんだ」

「何って……」


 何があっただろうと考える。


「刀……」

「え?」

「トーヤが、何かあったら使えって」

「は?」

「刀」


 あっ、と思い出した。


「あの小刀か」

「うん」

「あれで手を切ったのか」

「うん、痛かった」

「どれ、見せてみろ」


 振り向いてシャンタルの手を見る。よく見ると分かるぐらい、本当に少しだけ左手の親指に切り傷のようなものがある。鋭い刃できれいに切れたからだろう、すでに傷は閉じて皮の上に一本うっすら線が見えるぐらいの小さな傷だ。


「ちびっとだな」


 そう言って笑いながら、シャンタルの手を馬の首に戻す。


「落ちたらもっとすごいケガするからな、しっかり掴んどけ」


 またダルのすぐ後ろに戻って、


「なるほどな、そのちっこい傷のおかげで助かったのか」


 そうつぶやいた。

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