15 血

※後書きに注意事項があります※


――――――――――――――――――――――――――――


(誰、誰を呼べばいいの……)


 薄れゆく意識の中、シャンタルは誰かの言葉を思い出していた。


『なんか化け物が襲ってきたらそいつにも遠慮なく突き立ててやれ。生き残るためにはなんでもやるんだ、いいな?』


 突き立てる? 何を?


 そう思いながら胸に抱いているもの、こわばった手にしっかりと握らされているものをおぼろに思い出す。


『いいな、これがおまえの守り刀だ。大事にしろ』


 誰かがそう言っていた。


 これ、守り刀…… 

 誰かがそう言って持たせてくれた刀……

 黒い、銀の意匠のある守り刀……

 誰、誰がこれを……


(トーヤ……)


 頭の中からその名がこぼれ出てきた。


(トーヤ、助けて、トーヤ……)

(シャンタル!)


 その誰かが答えた。


『もしもそうなったらおまえが助けてくれよな』


 その誰かに言われた気がする。


 その誰かももう息が続かなくて苦しんでいるのを感じる。

 トーヤも苦しんでいる、そう感じた。


(助けなきゃ……)


 消えそうになる命の火を燃え立たせ、必死に体を動かそうとする。


 少しだけ、本当にほんの少しだけ、右手が動いた。

 握っている小刀をゆっくりと引き出す。


 少しずつ刃の部分が露出してきた。


(痛い……)


 鞘の部分を握っていた左手の親指、そこが刃に触れ、シャンタルのやわらかく美しい皮膚に薄く傷をつけた。


 シャンタルが生まれて初めての傷を負った。


 その傷が、目に見えるか見えぬほど、ほんの一滴に足るか足らぬかというほどの血を流した。


 その血が、色すら見せぬほどの量の血が、水の中に広がった。


 その途端、誰かがシャンタルを下へ下へと引っ張っていた力が弱まった。


 そして、その僅かばかりの力の逆転が、シャンタルの体を水底へと向かう力より、水上へ浮かび上がる力の方を強くした、逆転させた。

 

 戒めの力が解けた。


 ふわり


 ゆっくりと、もうほとんど動かなくなっているシャンタルの体が浮き上がっていく。


(もう、少しだ……)


 弱まっていく誰かの意識が届き、その手が、シャンタルのどこかに感触も残さぬほど、触れるか触れぬか分からぬほど、だが確かに触れた。


(トーヤ、助けて)

(シャンタル、助ける)


 2人の意識が重なった。

 

 初めての、本当の意味での共鳴が起こった。


 これまではシャンタルが求め、トーヤが拒否していたがために、激しい拒絶反応がトーヤの方に起こっていた。

 だが今回はお互いが求め合い、お互いに相手を助けたい、助けてもらいたいと思った。そうして初めて通じ合ったのだ。


 その途端!

 銀色の柱が水底から湧き上がった!!


 その柱に弾き飛ばされるように、一気に浮き上がろうとするシャンタルの体を、トーヤは必死で捕まえ、抱きかかえた。


 そうして一緒に吹き飛ばされるように、一気に湖上へと浮き上がらされた。


 一度湖上まで吹き飛ばされた2人の体が、引力に引っ張られ、音を立ててもう一度湖に落ちる。


「トーヤ! シャンタル!」


 ダルが叫び、ルギの静止も聞かずに湖に飛び込むと、2人のところまで一気に泳いで行った。


「大丈夫か!」


 声をかけるがトーヤは意識が朦朧もうろうとし、シャンタルは意識がない。


「お、俺は、いい……こいつを、頼む」


 トーヤはそう言ってシャンタルの体をダルに預けると、自分はふっと力を抜いて沈みそうになる。


「だめだ! トーヤも来るんだ! 早く!」

 

 ダルはシャンタルの体を右手で抱きしめ、トーヤにつながっている命綱を肩にかけて引っ張りながら岸まで泳いだ。


「シャンタルを頼む!」


 ダルはルギにシャンタルを預けると、必死に命綱を引っ張り、トーヤを岸に引きずり上げる。


「トーヤ、しっかりしろ!」


 気つけのため、音を立ててトーヤの頬を何回か叩いた。


「あ…………」

「気づいたな! 気づいたな! トーヤ、大丈夫だな!」

「ダ、ルか……」

「そうだ、ダルだ! しっかりしろ」

「シャン、タル……シャンタル、は」

「ルギが、今、水を…………ダメだ、それじゃダメだ!」


 ルギが背中を叩いて水を吐かせようとしているが、一向に吐く様子がない。


 ダルはトーヤを抱き起こしていた手を離すと、ルギの手からシャンタルの体を取り上げ、


「こうするんだ!」


 後ろから抱きかかえると、みぞおちのあたりに拳を当て、突き上げるようにした。


 シャンタルが激しく咳込みながら水を吐いた。


「よし、吐いたな、もうちょっとだ」


 今度はルギがやっていたように、背中を何度も叩いて残りの水を吐かせる。


「あ、あ、はあ……」


 シャンタルの口から声が漏れる。


 ほっと一安心するが、背中に耳を当てて肺の音を聞くと、


「シャンタル、もうちょっとだけ我慢してください!」


 そう言って、まだ何回か叩いてできるだけ水を吐かせた。


「全部吐かせとかないと、後で陸の上でも溺れることがあるんだ」

「陸の上で?」

「そう」


 ルギが驚いて聞くとそう答える。


「なんでだか分かんないけどな、そういうことがあるんだってじいちゃんから聞いたことがある。溺れて助けられたやつが、後で陸の上で溺れ死ぬことがあるって」

「そんなことがあるのか」

「らしい」


 そこまでやってやっとシャンタルがわあっと激しく泣き出した。

 しっかりと呼吸もしている。


「うん、もう大丈夫だと思う。シャンタル、よかった……」






――――――――――――――――――――――――――――


注:今は本当は「救命時に意識のない溺れた人に無理に水を吐かせてはいけない、逆に喉に物を詰める危険性がある」らしいのですが、創作の世界でのこと、こういう舞台背景でのダルが「先人たちから聞いてきた漁師流の溺れた人の救命方法」として読んでください。

 ちなみに、陸に上がって後に溺れるというのは、まれにではありますが本当にあることらしいです。「乾性溺水」とか呼ばれたりするらしい。

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