9 神の埋葬

 葬列は「聖なる湖」に到着した。


 湖に向かって、赤い長いビロードの敷物が敷かれている。

 棺を沈めるために衛士によって敷かれたものであった。この上を押して行くと湖に静かに押し入れることができるだろう。


 神官長が一瞬迷う。

 棺のどちらを湖に向けるべきなのか。

 頭と足、どちらの方向からお入れするのがいいのだろうか。


 そう迷っている間に、神官たちが運んできた時と同じように、頭の部分を湖に向けて置いてしまった。 正解があることではない、ならばこれはこれで天のお導きであろうと頭からお入れすることと密かに決める。


 神官長は棺の足元に立ち、


「この者の魂が安らかであるように」


 との祈りの声で葬送の儀を終えた。


 そうして、神官長とキリエをのぞく、神官とルギをはじめとする衛士たちが全員でそっと少しずつ少しずつ棺を湖に向かって押していく。


 やがて棺の頭の部分が湖に届き、中にまで静かに垂らされた敷物の上をさらに静かに押していく。


 ガクン


 棺が湖のふちから半分近くせり出したところで、少し角度が急になっているのだろう、そんな音を立てて少し斜めに水の上に滑り出すような形になった。


 半分、水の上に乗り出した棺をさらにそっと押し出すと、船のようにやがてすべてが湖の上に浮かんだ。


 神官長がキリエを振り向くと、促すように頷いた。

 キリエが前に進み出て、湖の中にまで踏み入る。

  この湖は女神シャンタルが眠る「聖なる湖」である。男性が足を踏み入れることは許されない。


 キリエは両手に力を入れながらも、そっと力を入れて棺を押す。

 棺は静かに湖の上を中央に向かって進みだした。

 なだらかに波紋を描きながら静かに岸から離れていく。

 まるで導かれるように、棺が手の届かぬ距離まで進み、中央あたりに着くと静かに止まった。


 棺はしばらくその場でゆらゆらと揺れていたが、やがて、足のあたりから高さが低くなっているように見えてきた。おそらく、少しずつ沈んでいるのだろう。


 神官長はちらりと横目でキリエを見た。

 キリエは湖に入ったまま、じっと動かずに棺を見つめている。

 その表情からは何を考えているのか全く分からない。


 真冬の午後、まだ日が高いとは言え寒風吹きすさぶ湖畔でじっと立っているだけでもつらい。

 

 棺が沈む速度は思っていた以上に遅かった。重厚な棺は水に入れるとすぐに沈むのではないか、真ん中まで行かずに岸近くに沈んだ場合はどうすればいいのかと考えていた神官長には意外な顛末てんまつであった。


(完全に沈み切るまで見守るつもりだろうか)


 不謹慎と思いつつも神官長はそろそろ戻りたいものだが、と考え始めていた。


 シャンタル神殿のおさとしてはとても口に出すことはできない本音であるが、神経痛を抱えた細身の体には、今の状況はとてもつらかったのだ。


 見た目から判断するに、自分よりももっとその身をおおう脂肪も少なさそうな、そして自分よりも年長のキリエが、冷たい湖に膝まで浸かりながら身じろぎもせずにいる姿を見ていると、本当にこの侍女頭は鋼鉄でできているのではないだろうか、と思ってしまった。


 そのまましばらく見ていると、やがて棺が上のあたりだけを残して斜めになりながら、ほぼ水に沈んだ。


 キリエは一つ頭を下げると振り返り、敷物の上を歩いて岸に戻り、神官長にも頭を下げた。神官長がもういいのかと尋ねるとように一つ頷くと、キリエも黙ったまま頷いた。


 今度は神官長が衛士たちに頷く。衛士たちは敷物を引き上げると水に濡れた重いビロードを絞りながらまとめ、用意していた戸板の上に乗せてまるで輿のようにして持ち上げる。

 隊長のルギが頷くと、神官長、キリエ、神官たちに続いて敷物を持った衛士たちの順に並んで来た道を戻り始めた。


 殿しんがりを務めるのはルギだ。そのまま葬列は振り向かずまっすぐに宮へと戻る。


 森に入ってからは神官長の祈りの声以外、誰も一言も発しなかった。

 帰る道すがらもそれは同じこと、沈黙のうちに「聖なる湖」から遠ざかる。


 パシャリ


 葬列の後ろから2番目、ルギのすぐ前にいた衛士の耳に軽く水の音が届いた気がした。気になって後ろを振り返ろうとしたが、すぐ後ろに隊長がいることを思い出し、軽く首を左に回しかけたところでやめて正面を向き直した。

 

 最後尾にいたルギは、目の前の衛士の耳に何かが届いたことに気がつくと、顔にも口にも出さぬまま、舌打ちが背後の水音に届けと思った。


 そうして前代未聞の神の埋葬は終わり、葬列は「聖なる森」から出てくると、そこで別れてキリエは奥宮へ、神官長と神官たちは神殿へと戻り、衛士たちは濡れた敷物を持ってどこかへ運んでいく。


 ルギは前もって衛士たちに指示を与えており、自分はさらに衛士たちから離れて1人でどこかへ行くようだ。


 元々この隊長はマユリア直属のような存在で、第一警護隊を率いてはいるが、警護隊本隊とは少し離れた位置で動くことも少なくはなく、単独でふいっとどこかに姿を消すことも多い。衛士たちもそのことに慣れている。頭を下げて隊長を見送ると、指示された各々おのおのの場所へと戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る