9 誰かの手
ぐったりと倒れてしまったシャンタル。冷え切った体を温めねばとキリエがミーヤに声をかける。
「ミーヤ、まだ動けないのは分かりますがシャンタルを見ていてください。タオルを持ってきます。おまえもそのままでは風邪をひく、しばらく待っていてください」
「はい……」
ようやく返事をできるようになったミーヤがシャンタルの横に座る。
口元に手を当てるとちゃんと息をしていてホッとする。
キリエが戻ってくる前にと、シャンタルの濡れた上着を脱がせる。このままでは風邪どころか肺炎になってしまう。まだ力が入りにくい指でやっとボタンを外し、肌に張りついた絹の上着を脱がせて下着姿にする。氷のように冷え切っている。そこへタオルを持ったキリエが戻ってきた。
「大丈夫です、もうお手伝いできます」
水を飲んだことでまだ頭の芯がガンガンする。真っ青な顔をしながらそう言ってキリエを手伝い、タオルで包んだシャンタルを寝室へと運ぶ。まだ子どもではあるがもう10歳、しかも長い髪も下着も水を吸っているので一層重く感じるその体を2人でやっと寝台の横にあるソファのような椅子に座らせる。
「上にもタオルを敷きます、少し待ってください」
キリエが大量のタオルを寝台の上に広げ、その上に乗せたシャンタルの下着まで脱がせて乾いたタオルで包む。その上からさらに羽根布団を何枚も重ね、隙間ができないように体に沿わせて押さえていく。
「おまえも早く拭いてきなさい」
「はい」
キリエに渡されたタオルを受け取ると侍女部屋で乾いた服に着替える。
「何が起こったの……」
そこまでを終えてやっとそう言うことができた。
急いで寝室に戻るとキリエがシャンタルの体をさすりながら声をかけているところだった。
「シャンタル、大丈夫ですか。お気をしっかりお持ちください、シャンタル……」
「キリエ様……」
ミーヤが近づき声をかける。
「キリエ様も濡れていらっしゃいます。交代いたしますのでどうぞお着替えを、どうぞ……」
「おまえはもう大丈夫なのですか?」
「はい、大丈夫です」
「無茶なことを……驚かさないでください、いいですね」
口ではそう叱りながらも、その目はミーヤに対する
キリエは自分も着替えを済ますと下働きの者を呼んで応接を片付けさせた。
侍女たちには何があっても呼ぶまで入るなと言いつけてあったが、
「大丈夫です。
いつもの侍女頭の顔で指示を与え、部屋は元の静けさを取り戻した。
寝室ではミーヤがシャンタルの体をさすり続けていた。少しずつ体が熱を取り戻している。顔色も次第に血色を取り戻してきた。後は意識が戻りさえすれば……
まもなくシャンタルが薄く目を開けた。
「シャンタル、ご無事ですか? シャンタル、分かりますか?」
声をかけるとしっかりとミーヤを見て、
「ミーヤ?」
「はい、さようでございます」
分かってくれたことに
「水が……」
シャンタルがまたそう口にする。
「水がどうなさいました?」
「水が、冷たいの、息ができないの……」
「大丈夫ですよ、シャンタルはちゃんとこうして息をしてらっしゃいます」
「そうなの?」
「はい」
「あれは何? 怖かった……」
「おそらく夢をご覧になったのかと」
「夢?」
「はい」
シャンタルは「夢の中から水が」と言っていた。おそらくそうなのだろう。あれがトーヤも見た例の夢なのだろう。ミーヤはそう思って答えた。
夢だと言われ、シャンタルが安心したように少しだけ体の力を抜く。
「溺れた」ことでマユリアの仮面が
「あの人は誰?」
「あの人?」
「誰かがシャンタルの手を
「え?」
「その人が手を引っ張ったからシャンタルは水の中で息ができなくなったの……」
誰のことだろう。シャンタルの夢の中に誰がいたと言うのだろう。
「どんな方でした?」
「男の、人? 多分……」
「男性……」
シャンタルが知る「男性」はまだ限られている。今ミーヤが知るのはルギ、ダル、そして衛士の人たちだけのはずだ。
「あの人、怖い人……見たことがある……」
そう言って目をつぶり思い出そうとする。
「そう、見たことがあるの……」
目を開けてじっと天上を見つめる。
「怒ってたの……」
「怒っていた?」
「うん、シャンタルに怒ってたの……」
ミーヤは嫌な予感がした。シャンタルに、生き神に向かって怒る人間などこの国にはいないと言っていい。
「すごく怒って突き飛ばされたの……」
予感が当たろうとしている。そう感じた。
「そう、俺の体を使うな、そう言って突き飛ばしたの」
それは……
「顔、見たことがある……お庭にも、『お茶会』にもいた……名前、トーヤって……」
シャンタルが怖いと言ったその人はやはりトーヤであった。
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