3 人の身

 シャンタルが少し考えるようにして言う。


「さきほど天寿てんじゅまっとうしたら死ぬ、と申してましたね」

「はい、申しました」

 

 キリエが答える。


「それはキリエが老人であるということと関係があるのですか?」

「はい、左様でございます」

「つまり、老人だからわたくしより、ミーヤより天寿を全うすることに近いから?」

「はい、その通りでございます。ですが、それだけではございません」


 キリエがしっかりとシャンタルを見て続ける。


「さきほども申しました通り、死とは誰とも等しくそばにいるものでございます」

「誰とも等しく?」


 シャンタルはさきほど聞いた話とは違うではないか、と言いたげな顔をしている。


「もちろん本来ならすべての人が老人になり、天寿を全うするのが良い形ではありますが、そういうわけではないのです。早い者は赤子のうち、いいえ生まれる前に死ぬ者もおります」

「え、生まれる前に?」


 シャンタルは明らかに動揺どうようを見せた。


「それはおかしくありませんか? 人は赤子として生まれる、その先に死が待つのではないのですか?」

「はい、その通りです。ですが、人は母の胎内たいないに宿った時にすでに命を持っているのです」

「『たいないにやどる』?」

「はい、そうです。母親が自分の体の中で十月十日とつきとうか大事に大事にいつくしみ、育て、そうしてこの世に送り出すのですが、その前に、すでに母親の体の中で命を持つものとして存在しているのです。その母親のお腹の中にいる間に、この世界を見る前に命を亡くす、死ぬ者もいるのです」

「そんなことが……」


 シャンタルが言葉をなくした。


「はい、そのようなこともございます。シャンタルがラーラ様とマユリアのお体を借りて外をご覧になり、外の音をお聞きになられていたのも、命があったから、死んではいなかったからでございます。もしも湖の底に沈んだら、命を失ったら、もうお二人の顔をご覧になることも、お声を聞かれることも、お話をなさることもできなくなるのですよ」


 シャンタルはじっと考えこんでいたが、やがてまた何かを思いつき口を開く。


「シャンタルはどうなのでしょう」

「え?」

「湖にいらっしゃる女神シャンタルです」


 思いもかけないことを言い出す。


「女神シャンタル、この国をお作りになったシャンタルは聖なる湖の底で眠っておられるのですよね? ですが、わたくしの中にもいらっしゃいます」

「それは……」


 キリエは答えられなかった。


「シャンタルは死んだのですか?」

「それは……」


 人の身に分かろうはずがない。女神シャンタルが実際に目の前のシャンタルの中にいる、そのことすら本当であったと知って驚いたほどだ。


「分かりません……」


 ミーヤが正直に答える。


「神々の世界のことは私ども人の身には分からないのです」

「シャンタルはわたくしの中にいらっしゃいますよ」

 

 シャンタルはそう言ってにっこりと笑って見せた。


「ですから、わたくしもきっと同じようにラーラ様やマユリア、いえ、もしかしたら次代様の中にいられるのではないでしょうか?」

「シャンタル……」


 死を恐れるどころか自分の進む道、新しい役目と受け止めているシャンタルをどう考えればいいものか。ただの人間であるキリエにもミーヤにも全く分からない。


「それがわたくしの新しいお役目なのですね。女神シャンタルと共に湖の底にあること」


 にっこりと納得したという顔で微笑む。

 その御顔みかおのなんと清らかで美しいことか。


(そうなのでしょうか……シャンタルは女神シャンタルと共に湖の底で眠るのが正しい運命なのでしょうか……)


 一瞬、ミーヤの中にもふとそんな考えが浮かんだ。それほどそれは正しいことのように思えた。


 だが……


「い、いえ、それは違います!」


 キリエが叫んだ。


「千年前の託宣には続きがございます。託宣にはこうあるのです!」


 キリエが息を一つ吸ってから続けた。


「黒のシャンタルは助け手たすけでに助けられる、と。助けていただかなくてはならないのです! そのまま湖の底にいらっしゃる、そんな運命はございません!」


 シャンタルがキリエを見、思い出したように口に出した言葉……


「嵐の夜、助け手が西の海岸に現れる……」

「さようでございます! シャンタルは助け手に助けてもらう運命なのです!」

「そうでございます!」


 ミーヤも言葉を添える。


「シャンタルは特別なお方、内に女神を宿す聖なる存在、ですが、その御身おんみは私どもと同じ、人の身、生きている人間なのです! どうぞ、どうぞそのことをご理解くださいませ!」


 ミーヤが床につくほどに頭を下げ、キリエもそれに続いた。


「人の、身……」


 シャンタルの目が遠くを見る。

 その目は自分とミーヤたちが同じ人間であるとは本心からは理解していないような、到底納得できないという目であった。


「わたくしは黒のシャンタルなのでしょう? 同じとは思えませんが」


 確かにこの方は他の人間とも代々のシャンタルとも違ってはいらっしゃる。

 強い力を持ち、その力を使うために自我を殺しマユリアとラーラ様の肉体を使って外を見る、そんなことを普通の人間ができるはずはない。


「ですが、ですが、やはりシャンタルも人の身をお持ちなのです!」


 血を吐くようにミーヤが言った。

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