8 国

 話は数日前、トーヤがシャンタルの共鳴で動けなくなっていた時に戻る。

  

 ダルはキリエの説明を聞くとトーヤの部屋を尋ねた。


「また具合悪いんだって?」


 どこへ行っていたとかは一切言わず、それだけを尋ねた。


「キリエさんに聞いたのか」


 今、トーヤのこの状態を知るのはキリエだけであった。


「うん、他にも色々聞いた」


 そう言いながら扉を閉め、トーヤのそばに近寄る。

 トーヤはソファから移動してベッドで寝ていた。


「今日は使い物にならねえからな。まったくまいる、なんだよな、これ」


 そう言って力弱く笑う。


「まあ仕方ない、今日は休めって天がおっしゃてるんだよ」


 そう言うダルに、


「おまえもやっぱりこの国の人間なんだよなあ」


 そう言って少しさびしそうに笑う。


「それでトーヤの国だよ。ここはもうトーヤの国だからな、戻ってくる場所なんだからな」


 そう言ってソファに腰を下ろした。


「なるほどなあ……戻ってくるってことはそういうことなのか……」


 考えるようにトーヤが言う。


「ん? だってそうだろ?」

「そういう風には考えてなかったんだよな」

「え、そうなのか?」

「ああ」


 トーヤは自分がどこの国どころかどこの町の人間であるという意識も薄い。生まれ育ったのはアルディナの神域にある小さな国の小さな港町ではあるが、4歳で母を亡くし、お情けのように置いてもらっていた母の働き場所であった娼家しょうかも故郷という響きにはほど遠い。

 母の妹分のミーヤやその姉妹分たちにはかわいがってもらっていた、面倒も見てもらっていた。が、商売の都合上もあり、小さな子をずっとその場に置いておくこともできず、一日の大部分をその娼家からすら離れ、町をうろついて浮浪児たちと混じって過ごすことの方が多かった。さらに成長するとその町から離れて戦場で戦場稼ぎとして走り回り、傭兵になると戦場とその道すがらで過ごす時間の方が圧倒的に長くなり、町へはミーヤたちに会いに戻る、というよりは立ち寄るような形になっていった。どちらかというと戻るのは戦場の方であった。


「だからな、戻る場所なんてあったことねえんだよ」

「そうか……」


 ダルはあらためてトーヤの過去を思い、力なく答えた。


「戻るってのも場所じゃなくてミーヤたちのとこ、って感じだったしな」

「え、ミーヤ?」

「あ、そうか、ダルには言ってなかったかな。俺のな、母親の妹分で俺の育ての親みたいなやつの名前がミーヤってんだ」

「え、そうなの?」


 ダルもその偶然に驚いた。


「ああ、初めて名前聞いた時はびっくりしたぜ」

「そりゃそうだよな」

「そのミーヤな、あっちのミーヤが死んで、それでなんとなくこっちに来る船に乗ったんだよ。そしたら流れ着いた先で会ったのがまたミーヤだ、笑うよな」


 ダルは運命を感じたと言いたかったが、またその言葉がトーヤの神経に触れるような気がして飲み込んだ。


「だけど、戻るってのは、場所があるってことは、その場所がある国に戻るって意味にもなるんだな、今初めて知った気がする」

「って、じゃあ、どこに戻るつもりだったんだ? カースに戻るってことはやっぱりこの国に戻るってことだしなあ」

「国とか場所ってより人だな、俺の場合は」


 そうぼそっと言う。


「そいつらに会いに戻る、ずっとそうだったからな」

「そうなのか……」

「待っててくれる人に会いに行くことが戻るってことだった気がする。だからあっちでミーヤがいなくなって、その他の姉妹分もほとんどいなくなってたし、あそこにいる必要がないと思ってこっちに来たんだよ」

「ほとんどいなく? 他の人もいなくなったの?」

「ああ、病気で死んじまったのとか、誰かに身請みうけされたり、逆に男にだまされてさらにどっかに売られたとか、金借りて逃げた、まあ色んなやつがいたな」

「そんな……」


 ダルは絶句した。


「俺の母親もそうだったが、仕事が仕事だからな、体悪くして死ぬやつが一番多い。ミーヤも、あっちのな? も結局そうだった。たった25だったんだけどな、若いよな」

「うん……」

「そういう店でもまだ客筋がいい上等の店ならまた違うって話だったが、まあ場末も場末、これ以上落ちる場所あんのか? ってな具合の店だったしな」


 そう苦笑する。


「そんな場所から急に宮殿だ、そりゃ感覚狂うよなあ。なんか、自分が偉くなっちまったような、そんな勘違いした挙げ句にこれだ……」

「トーヤ……」


 ダルには言葉がなかった。


「だけど、そうか、戻るってのはそういう意味もあるんだな……この国に戻る、か……」


 トーヤが考えるように言う。


「俺は楽観らっかんはしない」


 きっぱりとトーヤが言った。


「だけど、少しぐらいは期待してみてもいいのかもな」

「トーヤ?」

「キリエさんがな、ミーヤががんばってるって言ったんだよ、なんでそんなことあらためて言ったか分かんねえけどな。だけど、あいつ、がんばってるんだ……」

「うん」


 事情を知っているダルがうなずく。


「マユリアやラーラ様やルギもみんながんばってるんだな。だったらそれを少しぐらい信じてやってもいいのかも知れねえ、この国のやつを信じても。まあ俺もやるだけのことはやるさ」


 トーヤはそう言ってふうっと一つ息を吐いた。

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