11 波の音
翌朝、王都からの1つ目の鐘が聞こえる前にダルは目を覚ましていた。気になって祖母の部屋の様子を伺いに行く。
「ばあちゃん……」
小さい声をかけてそっと扉を開くと、祖母のベッドの上でラーラ様が横になっているようで、祖母はその隣で床の上に敷物を厚く敷いて体を横たえていた。
「おや、早いね」
もう起きていたようだ。そう言って祖母がのそりと体を起こした。
「あ、いいよ、ちょっと様子聞きにきただけだし……どう?」
「うん、よくお休みだったよ」
「そうか、だったらよかった」
祖母と孫がそう話していると、ベッドの上の影が体を起こした。
「おはようございます」
ダルがそう声をかけるとその方は一瞬驚いたようになり、ああという顔になった後、
「おはようございます。お世話になってます」
と、丁寧に挨拶を返した。
「おはようございます」
祖母のディナもラーラ様に声をかける。
「おはようございます」
また丁寧に挨拶を返す。
「あの、わたくしがここをお借りしたせいで床でお休みになられたのでしょうか、申し訳のないことです」
そう丁寧に頭を下げる。
「いえいえ、こうしておけば十分暖かいですよ。それに今夜は孫がもう一つベッドを入れてくれると言ってますから、並んで色々お話でもしましょうね」
ディナが笑ってそう声をかけるとラーラ様がゆっくりと頭を下げる。
「ばあちゃん、よろしく頼むな」
ダルも頭を下げてそう頼む。
そうやって挨拶を交わしていると1つ目の鐘が鳴るのが聞こえた。一日の始まりを告げる鐘だ。
「よく眠れましたか?」
「はい、おかげさまで」
「まだ1つ目の鐘が鳴ったばかりですよ、もう少しお休みになっていたら」
「いえ、もう大丈夫です」
ディナが優しく話しかけると丁寧に答えを返してくれる。
どうやら大丈夫そうだなとダルが思っていた時……
「ああっ……」
そう言うなりラーラ様が耳を押さえてベッドの上にうずくまってしまった。
「どうしたんだい!」
ディナが驚いて腰を浮かしベッドの上のラーラ様に手をかける。
「声が……声が聞こえます……わたくしを呼ぶ声……ラーラさま、ラーラさまって……ああっ……」
ダルが驚く。
マユリアが言っていた、「ラーラ様はシャンタルとお気持ちがつながっている」と。
そしてこうも言っていた。
『もしもシャンタルのお声が聞こえても、決してお返事をなさらないように』
『それができない時には、もっと遠くに行っていただかねばなりません』
「だめです! 答えないで!」
ダルがいきなりそう言ったので事情を知らないディナが驚いてダルを見た。
「ばあちゃん、だめなんだ! ラーラ様が返事をなさるならもっと遠くに行っていただかなければならなくなる! 返事をさせないで!」
「……分かった」
ディナが説明を求めることもなくダルの言葉に答える。
「あんた、なんか他のことを考えなさい! 声は聞こえない! 何も聞こえない! そうさなあ……そうだ、海のことを考えなさい!」
ラーラ様の背中をさすりながらそう言う。
「海?」
「そう、海はいいですよ、どこまでも広くて見ていていつまでも飽きない」
「海……」
「そう、海」
うなずいてラーラ様の背中をさすりながら歌うように言う。
「波が、引いては返す。ほら、見えるでしょうが、行って、戻って、何度も、何度も……」
「波……」
「そう、そうそう、波、見えるかい?」
「波が……」
「そう、ずっとずっと遠く、水平線が見えるだろう? あそこから波はやってくる、そうして浜まで来ると砂浜に乗り上げて消えるんだ。それをずっとずっと、多分世界ができた頃から繰り返してる」
「世界が……」
「そう、ずっとね……」
ラーラ様の背中をさすりながらなおも続ける。
「ほら、波の音が聞こえるだろ? 声なんか聞こえない、ざぶーん、ざぶん、海の音が繰り返すよ、ほら、ずっとずっと……」
「波、波の音……」
「そう、波の音、ざぶーん、ざぶん、ほら、また来たよ……ざぶーん、ざぶん」
子守唄のように繰り返してラーラ様の背中をさすり続ける。
「波の音が……聞こえます……」
「うん、ほら、またきたよ、ざぶーん、ざぶん……」
「聞こえます……」
ダルは祖母に任せておけば大丈夫だ、そう思ってほっとしていた。
ダルも何がどうなのか詳しい話は聞いていない。戻ったら話すとマユリアは言っていたが、なんとなくの事情は分かったような気がした。おそらく、心がつながっているラーラ様をシャンタルから切り離そうとしているのだ、そう思った。それがシャンタルが心を開く邪魔になっているのだ、と。
あの時、マユリアとキリエがあれほど厳しくこの方に言ったことからも分かる。それを乗り越えないとシャンタルは助けられないのだろう。心を開かないとトーヤに見放されて冷たい水の中に沈まなければいけないのだ。そのために2人共心を鬼にしてあの対応をしたのだ。
「ほら、聞こえるかい?」
「ええ、聞こえます……」
赤ん坊をあやすようにラーラ様に繰り返す祖母を見て、ダルは大丈夫だと安心をした。
もうこれ以上ラーラ様を悲しませるようなことにはならない、大丈夫だ、と。
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