10 拒絶

 恐らく、肉体としての目は見えているのだ。

 だが、いつもはマユリアとラーラ様の目を通して見ているので自分の目で見る方法が分からないのだろう。


 では、どうすればご自分の目で見て耳で聞いていただけるのか?

 その方法が分からない。


「マユリアとラーラ様がシャンタルの手の届かぬようにしていらっしゃる間に、近くにいるおまえと私を認識していただくしかないでしょう……」

「はい……」


 侍女頭と侍女がシャンタルのそばで頭を悩ませている頃、奥宮から遠く、地下の懲罰房にいるマユリアは暗闇の中、さらに目を閉じて完璧な闇に己を閉じ込めていた。


 ピシャン……ピシャン……


 どこか遠くで微かに水が垂れる音が聞こえる。

 どこかで水が漏れているのかも知れない。


 できるだけ自分を殺しているその頭の奥深くから声が、聞こえる。


『マユリア……マユリア……』


 ああ、シャンタルがお呼びなのだ、とマユリアがうっすらと意識をする。

 だが答えてはいけない。

 聞こえない振りをする。反応をしない。


 ふと気になる。

 あの水が垂れる音、あれをお聞きになってはいけない。

 

 肩からかけていた夜具を全部頭の上からかぶり直し両手で耳をふさぐ。

 幸いにして小さな音なので聞こえなくなった。

 両手で両耳を塞いでいる姿勢を続けるのは思ったより大変であった。

 

 シャンタルのお声が聞こえなくなったら、衣服の一部でも裂いて耳に入れようかとそんなことを考えているとシャンタルの声が小さくなっていった。


 ほっとすると同時にふと、


(ラーラ様はどうされているのだろう)


 うまく声をはねのけてくださっているのだろうか、ともう一人の方が頭に浮かぶ、その途端、


『ラーラさま……ラーラさま……マユリア……マユリア……』


 しまった、自分の中の声が聞こえたのかも知れない。

 さらにギュッと耳を押さえ頭を抱え込むような姿勢になって拒絶する。

 何も見えない何も聞こえない何も考えない、ひたすら心を無にする。


 しばらく呼んでいた声は諦めたように遠ざかっていった。

 まだしばらく何も考えず何も見ず何も聞かない。

 

 暗闇の中、夜具の中で丸くなった姿勢のまま、マユリアはじっと動かずにいた。




 シャンタルが呼び続けていたもうお一人、ラーラ様は無事にカースに到着し、村長宅で預かってもらえることとなった。

 生まれて初めて宮から出て、生まれて初めてダルの馬に同乗してのカース行きにかなりお疲れになったのだろう、ダルの祖母の部屋へ入るとすんなりとお休みになられたようだ。

 もちろんそれまでの一連の流れによる疲れも大きかったのであろうが。

 

 ダルは家族を集め、あの方が宮にとって大事な侍女の方であること、事情があって少し宮から離れなくてはいけないこと、それから、もしもご本人が望まれたら海を渡ってキノスへまで届けてどこかに滞在させてほしいこと、キノスからまだ望まれたら更に西へもお届けしなければならないこと、などを説明した。


「なんだかお気の毒だねえ、何があったのか分からないけど」


 ダルの母、ナスタがため息をつきながらそう言った。


「うん、事情は話せないんだけどね、ちょっとお気の毒なんだ……」


 ダルが入れてもらったお茶を飲みながら答える。


「でもまあ、おばあちゃんならよくお世話してくれるだろうよ」

「そうだな」


 ナスタの言葉にダルの父のサディも2人の兄もうなずく。


 ダルの祖母は長年村の漁師の取りまとめである網主あみぬしと村長をやってきた祖父をよく支え、祖父のもう1本の腕のようにみんなをまとめてきた面倒見のよい姉御肌あねごはだである。それでいて優しく、村の女たちからも慕われている。普段はあまりたくさん話す方ではなく、見た目は静かな老婆という感じだが、芯は強い。

 なのであの祖母なら、理由を聞くこともなくラーラ様をよく面倒を見てくれるだろうと思ったのだ。


「そういやミーヤさんも最初はばあちゃんの部屋で寝たんだったよな」


 ダルが思い出して言った。


 2回目からは母のナスタの部屋で寝ることになったのだが、それは祖母が「あの子はあんたとの方がいい」と言って部屋を変わったからだ。祖母の言葉通りミーヤはナスタと馬が合ったようで、気づけば「お母さん」と呼んで色々なことを教わるようになっていた。特に祖母と合わなかったということはなく、祖母のことも「おばあさん」と呼んで慕ってはくれているが、ナスタとより気が合ったということだ。

 そのように人を見る目にけている祖母が、自分から面倒を見ると言い出したのだ、うまくやってくれるだろう。


 その夜、ダルも久しぶりに自分の部屋で寝て、トーヤが来た時には一緒に話をしながら夜ふかしをしたなと思い出していた。

 楽しい思い出だった。もしもトーヤが行ってしまって二度と戻らないとしたら、あんな日はもうなくなるのだ。そう思うと胸が詰まる。

 それにトーヤが戻らないということ、それはシャンタルが助からないということだ。あの小さな子どもが冷たい湖の中に沈み、永遠の眠りにつくということだ。


「そんなことはさせないからな……」


 そうつぶやくとじっと目をつぶり、すべてがうまくいくことだけを考えながらダルも眠りについた。

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