7 涙一粒

 ミーヤは固まったように動かない。


 トーヤは空白の時間ができるのが怖いように、返事を待てずにもう一度聞く。


「なあ、俺、戻ってきてもいいか?」

「いいか、って……」


 そう言うなり、ミーヤの目から一粒の涙がぽろりとこぼれた。


「わ、わわわ、なんでだよ、なんで泣くんだよ!」

「え、私、泣いてます?」


 ミーヤが自分の目を押さえ、濡れた手を見て驚いた顔になった。


「本当に……泣いてますね……どうしてでしょう……」

「どうしてって……」


 トーヤの方が聞きたかった。


「本当に、どうしてでしょう……」


 そう言う瞳から、また一粒、一粒と涙がこぼれる。


「どうすりゃいいんだよ……」


 トーヤの方が泣きたくなる。

 なんで泣いてるんだ……


「すみません……」


 ミーヤは止めようと思うのだが、自分でも止められない。

 次から次へと一粒、また一粒と涙がこぼれ続ける。


「ごめんなさい……」


 そう言いながら、とうとう耐えきれなくなったように両手で顔を押さえ、声を殺して泣き始めた。


「お、おい……」


 トーヤは正面に座るミーヤに手を出しかけて、出しかねて、そのままうろうろと手を握ったり開いたりしている。


「な、なあ……なんで泣くんだよ……なんで泣いてるんだよ……よお……」


 うろうろとそんな言葉が出てくるだけだ。


 ミーヤはしばらくの間静かに、声を出さないまま泣いていたが、少しずつ落ち着いていった。


「これ……」

 

 トーヤがテーブルのそばに置いてあったタオルを渡す。


 こういう時はハンカチを渡す方がかっこいいのにと、手の届く範囲にタオルしかないのを悔しく思った。


「ありがとうございます……」


 ミーヤは微笑みながらタオルを受け取り、それで涙を拭いた。


「なんか、あれだよな……」

「え?」

「こういう時って、本当はさっとハンカチ渡す方がかっこつくよな……」

「え……ええ、そうですね」

「俺、これからは絶対ハンカチ忘れねえようにするよ」

「まあ」


 そう言ってミーヤが笑った。

 トーヤは少しほっとした。


「あんたもさ、タオルじゃなくて、ハンカチで涙拭く方がいいと思うしな、うん」

「確かにそうですね……ちょっと、おかしいですよね、これは……」


 そう言ってミーヤが笑い出し、トーヤも一緒になって笑った。


「はあぁ~かっこわるいな~」

「誰がですか?」

「んー2人ともかな」

「まあ……でも、そうですね」


 ひとしきり笑うと、そっと聞いてみる。


「なあ、なんで泣いたんだ?」

「そうですね……」


 もう落ち着いた様子でミーヤが考える。


「なんだかほっとした気がします……」

「ほっとした?」

「はい、多分……」


 ミーヤが言葉を探しながら続ける。


「私、トーヤが行ってしまったら、もう、二度と会えないのだと思ってました……」


 トーヤが驚いた顔をする。


「それが、戻ってくると聞いてすごくほっとしたんです……会えなくなるわけではないのだと、また会えるのだと思うと、ほっとしました」

「そ、そうか、ほっとしたか……」

「それで、ほっとしたら何かが切れてしまったようになって、気がついたら泣いてました……」

「そうか……」

「ええ……」

「そうか……」


 トーヤは自分も泣きたいような気持ちになったが、ぐっと我慢をした。


「だからな、戻ってきていいよな?」

「ええ」

「いいんだよな?」

「いいですよ」

「そうか……」

「ええ……」


 同じような言葉をお互いに繰り返す。


「何年かかるか分かんねえけど」

「ええ」

「戻るためには、とりあえず行かなくちゃなんねえからな。行かないと戻れないだろ?」

「何をおっしゃってるんですか」


 ミーヤが笑った。


「でもそうだろ?」

「そうですね」

「ダルがな」

「はい」

「行くのに二月ふたつきかかるのなら、往復するのに四月よつきありゃ足りるだろうってさ」

「簡単に言いますね」


 ミーヤがまた笑う。


「だよなあ! ダルのやつ、単純だからなあ」

「本当ですね」

「だけどな、計算すると合ってるよな」

「ですね」

「だからな、そのぐらいの距離なんだよ」

「はい」

「だから、戻ってくるからな」

「はい」


『待っててくれ』


『待っています』


 言いたい言葉が出てこない。


「戻ってくるからよ」

「はい」

「絶対、絶対に戻ってくるからな」

「分かりました、何回言ってるんですか」

「何回言ってもいいだろ?」

「まあ、いいですけどね」

「なんだよ、その言い方」

「すみませんね、こんな言い方しかできなくて」

「いや、そうじゃなくてだな……だから、戻ってくるっての」

「だから分かりましたって言ってます」

「そうなんだけどな」

「本当に何回言ってるんですか」


 何度も何度も同じやりとりを繰り返し、ただ時間だけが過ぎていった。

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