第二章 第六節 奇跡

 1 手形

 ミーヤはその足でキリエの執務室を尋ね、トーヤが見た夢のこと、ダルの訓練の時のシャンタルとの邂逅かいこうで起きたこと、今朝の出来事などを話した。


「分かりました、マユリアに申し上げておきます」


 キリエはそう答えたが、その後は一切そのことに触れることはなかった。


 当日は部屋で、その後数日は王都に出て色々と細かいことを片付けていたトーヤたちだが、


「お返事がなかったということは特に変わりがなかったということなんでしょうか」

「そうかも知れないなあ」


 ミーヤとダルはそう言うものの、逆にトーヤには不信感が湧いた。


(本当に何もなければ何もないと言ってきそうなものだ。それをあえて無視するってことは……)


 これは、言うと都合が悪いこと、例えば託宣の内容について触れなければならないとか、シャンタル救出(ルギにつっこまれて誘拐という言葉は使わないことにした)の成否に関わることなのではないかと余計に思わずにいられない。


「ってことは、だ……」

「ん、なんだ?」

「いや……」


 悪い予感ほど当たる、悪夢は人に言うと正夢になる、そんな言葉が浮かんで口に出すのが憚られる。


「あ、あのな、ここを抜け出した後にあいつに着せる服なんだが、頭からなんかすっぽり被せるマントとかあったらいいかなと考えてた」


 トーヤがさらりと話題を変えた。


「ああ、いいかもな。どうしてもあのお姿は目立つもんな」

「だろ? そういう服も見繕っておきたいな」

「色々と調べたり買ったりすることが思ったより多いなあ」

「そりゃそうだろ、こんなでかい仕事だからな、って……あっ!」

「なんだ!」


 トーヤがいきなり大きな声を出したのでダルがびっくりした。


「俺としたことが……でっかいこと忘れてるじゃねえか!」

「だからなんだよ」

「手形だよ、キノスで話しただろうが」

「ああ、なんか言ってたな」


 トーヤはこの国に正式に入国したわけではない。嵐に流されてたどり着いた後で助け手として宮の客分となったのですっかり忘れていたが、トーヤのいた国ではよその国に入るのに手形が必要なことがある。手形とは身分を証明するものだ、それなしには外からの旅人を受け入れない国もある。流動の多い世界のこと、必ずというわけではないが、その国が紛争中だったり、出入りが厳しい国ではさらに厳格に定められていたりもする。

 そういう時、トーヤのような仕事をしているものはどこかの軍に一時的に属して期間限定の手形を書いてもらったりもする。親も自分も出自がはっきりとしない上に、その後の生活も根無し草のようなもの、生まれた場所での身分証明を望むのは難しい。


「手形って、旅をする時に必要な身分を証明する?」

「あんたは知ってるのか」

「ええ、国から出てくる時に神殿の神官様に書いていただきました。今も持ってはいますが、もしもこの次に旅をする時には宮から出していただくことになるでしょうね」

「やっぱりあるのか。それが必要だよな」

「言われてみればそうですね」


 ミーヤには普通にここで生活をしているともう必要とはしないものと考えられた。ダルはまだ自分の生まれたカースと王都にしかいたことがないので必要としたことはない。なので今まで手形の話は出たことがなかった。それをキノスに行ったことで思い出したのだった。


「ってことは宮から出してもらうのか?」

「そうなりますか?」

「しかしなあ、あいつの手形が宮からってなんか問題出てきそうだよなあ」


 シャンタルの容貌はこの国ではひどく目立つ。キノスまで行ってしまえば、もしくはカトッティに停泊している大きな船に乗ってしまえさえすれば、そういう外見の人間もいるということで目立ちにくくはあるが、まさにシャンタルそのものの人が宮の手形を持っていると不審に思う人間も出るかも知れない。下手をするとさすがのキノスからも出られない可能性もある。


「俺とガキ1人の2人分の手形をどうするか……」


 トーヤが頭をガリガリとかいた。


(まさかこれがラーラ様が言ってたもっと他に乗り越える問題、ってのじゃねえよなあ……)


 そうは思えないが、これもやっぱりそれなりに乗り越える問題であるのは間違いない。


「あの、手形というのはどこが出してくれるものなのでしょう? 私は神殿と宮しか思い浮かばないんですが」

「そうだなあ、その人間のことを保証するって言えるところかな。俺の場合は軍が多かったが」

「ということは、大きな商店とかでも大丈夫ですか?」

「ああ、大きな取引をしてる商会とかなら……リルか!」

「ええ」


 以前ミーヤがリルの父親が「大層なご商売」をしていると言ったことがある。大商人らしい。

 大きな商会とかなら抱えている人間の身分を証明したり、背後についてその人間のことを保証したりもできる。


「それだったらいけるかもな」

「問題は、どうやって出していただくか、ですが……」


 そうして2人でダルをちらっと見る。


「え、俺?」

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