17 俺たち

「奇跡なんか起こってねえじゃん……」


 ベルが涙をこらえるようにしてそうつぶやいた。


「おまえは本当によく泣くよなあ、フェイもよく泣いたけどよ」


 トーヤが優しい顔でベルの頭をよしよしと撫でた。


「でもな、奇跡は起きてるんだよ」

「どこがだよ! フェイ、助からなかったじゃねえかよ!」

「だからな、それはフェイの、認めたくはねえが運命だったんだよ。それはくつがえせなかったんだ」

「だって、だって……せっかく水を……」

「だからそれが奇跡を起こしてくれたじゃねえかよ」

「どこがだよ!」

「あのな」


 トーヤが優しく、ベルをさとすように言う。


「さっきから何度も言ってるだろうが、人の命をどうとかはできねえってな。だからそれはどうしようもねえことだった、あの時にフェイが……いなくなるのはな」

「だったら奇跡ってなんだよ」

「フェイは、あの時、水を汲んで戻った時、すでに意識がなくなってた。多分だがな、本来ならあれからもう目を覚ますことがなかったんだと思う。それを俺とミーヤと話したい、その思いが奇跡を起こしてもう一度話をできたんだ、それが奇跡だ」

「たったそれだけかよ!」

「たったじゃねえよ、大きなことだ、俺たちにとってな」

「俺たちにとって?」

「そうだ」


 トーヤはうなずく。


「俺たち……」


 ベルがもう一度繰り返した。


 いつもならこの言葉はトーヤとシャンタル、そしてアランと自分のはずであった。

 ベルは考えたことがなかったのだ、トーヤにそれ以前も「俺たち」と呼ぶ仲間が、大事な人間がいたことを。

 その当然のことにいきなり気づき、軽い衝撃を感じていた。


「あの時、フェイともう一度話せて、どれだけ救われたかおまえに分かればいいんだがな」

「分かんねえよ……」


 ベルは小さな混乱の中にいた。


 ミーヤが、フェイが、トーヤにとってどれだけ大事な存在だったか、それを考えると黒いもやのようなものが胸の中に湧き上がった。


「おれだったら……おれだったらな、そんな短い時間のことじゃなく、ずっとずっとトーヤたちといられますように、そう祈る! なんでフェイって子はそんなことも分かんなかったんだよ、なんでそう祈らなかったんだよ! そう祈ってたら助けてもらえたかも知れねえのに!」

「だから、それは無理だったんだって言ってるだろうが」

「無理かどうか言ってみねえと分かんねえだろ! トーヤだってそれで水汲みに走ったくせに!」

「それを言われるとつらいな」


 トーヤがにがそうに笑った。


「それを、そう祈らなかったってのは、もう会わなくてもいいって、生きなくてもいいって思ってたんじゃねえのかよ……」

「誰がだ?」

「その、フェイって子だよ」

「そんなはずねえだろう、誰が死んでいいなんて思うってんだよ」

「だったら真剣さが足りなかったんじゃねえのか? おれだったら無理でももっとトーヤとミーヤさんと一緒に生きたいって必死に頼む、なんで頼まなかったんだよ! 頼みゃよかったじゃねえかよ!」

「おい、あんまりしつこいと怒るぞ?」


 トーヤの言葉にベルが顔を真赤にした。


「奇跡なんかねえんだよ! 目を覚ましたのだってたまたまだ! だったら、水なんか汲みにいかねえで意識がなくなるまで一緒にいてやりゃよかったんだよ! そうしたらそれまでにもっと色んな話をできただろうが!」

「それは……」


 トーヤは言葉に詰まった。


「だからないんだよ奇跡なんか……」


 今度は力なくベルが言う。


「トーヤが……トーヤが勝手にそう信じたいだけなんだよ……そのフェイって子がいなくなったのがつらくてつらくて、そう思いたいだけなんだよ……」

「ベル……」


 アランがベルをたしなめるように肩に手を置いた。


「兄貴だってそう思うだろ? トーヤは、トーヤはそれぐらいその子が大事で大事で、いなくなったのがつらくてつらくて、それで奇跡が起きたことにしたい、奇跡が起きた大事な時間を持てたことにしたいだけなんだよ」

「おい、それぐらいにしとけよな」


 そう言いながらも、ベルが言いたいことが分からずアランが困った顔をする。


「そうだろ? トーヤはさ、そんだけ大事なんだよ、フェイとミーヤがさ。おれたちなんかより何倍も何倍もな。だから戻ろうとしてるんだよ、あの国に」

「はあ?」

「そうなんだろ? ごちゃごちゃごちゃごちゃ色々言い訳してるけどよ、一言でいやあそういうことなんだよ、戻りたいだけなんだよ、その頃に!」

「はあ?」


 もう一度トーヤが聞き直す。


「結局、あれなんだろ」

「なんだよ?」

「おれは、その、フェイって子の身代わりなんだよな?」

「は?」

「その子がいなくなって、その後でおれとたまたま会って、同じ10歳の女の子だったから、だから、その代わりに一緒にいただけなんだ……」

「ふざけんな!」


 トーヤが声を荒げ、ベルがビクッと身をちぢめた。


「おまえがフェイの代わりになんかなるはずねえだろうが! おまえとフェイはぜんっぜん違う! なんもかんもな! おまえにフェイの代わりなんかできるはずがねえんだよ、よーく覚えとけ!」

「おい!」


 トーヤの剣幕けんまくにアランがとまどったように言葉の続きをなくし、ベルはきつい言葉に硬直こうちょくした。

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