6. 約束
結局のところ、刺客たちはターランティア元首の最後の悪足掻きではなく、指令の取り消しが間に合わなかっただけだったらしい。真実はどうあれ、元首はそう主張して平身低頭していたから、彼らももう一度その喉元に剣を突きつけただけで事を収めることに同意した。
何しろ現状は敵地にあることは間違いなかったし、ターランティア自体を潰してしまっては、その向こうの蛮族たちへの壁を失うことになる。可能な限り、友好国を温存したいというのは
「お優しいこって」
ジェイクは皮肉げに笑ったが、彼とてもその理由は理解してくれていたらしく、それ以上何かを言おうとはしなかった。テオもまた、長年頭を悩ませてきた対立国であれど、滅ぼしてしまうのは面倒なのは承知の上だったから肩を竦めただけだった。勿論、いくつかの脅しをかけることは忘れなかったけれど。
全ての事後処理を手早く終えて、ジェイクの船に戻った頃には日が暮れていた。大立ち回りの後だったから、一泊してからでも構わないと告げたのだが、ジェイクもテオもさっさとこの国から離れたかったらしく、あっという間に支度を整えると海へと滑り出してしまう。
ジェイクは勿論、テオも経験を積むために船長として世界を巡っていたから、船出の手際はひどく良い。素人に毛が生えた程度のアレクシスが手を出す暇もなかった。
そうして、舵からも帆の管理からも追い払われた彼は、
風になびく黄金色は、以前より少し伸びただろうか。精霊が取る人の形が時の流れの影響を受けるのかはわからなかったけれど、最後に会った時より少し大人びて見えるのは、彼の負い目がそうさせるのかもしれなかった。
「リ——」
「アレクシスは馬鹿だ」
彼の声を遮るように振り向いた緑の瞳は、燃え上がるように鮮やかな色をしていた。険しい眼差しと、厳しい声で言われたそれは、明らかな罵倒ではあったけれど、いつかも聞いた言葉だったから、彼は頬を緩める。
「そうだね。君の言う通りだ」
一歩、前へと出ると、リィンはほんの少し戸惑ったように眉を顰めた。それでも消えてしまう様子がないことに安堵して、一息に距離を詰める。何を言うべきか、予めあれこれと考えたいくつもの言葉があったはずだが、それらは全て消え去っていた。
代わりに、溢れ出す言葉をそのまま口にする。
「リィン、君を傷つけて、すまなかった」
自分の愚かさをどれほど悔いたか。けれど、それを伝えたところで意味はないだろうと、ただ謝罪の言葉だけを口にする。ずっと見守り、命を救ってくれた相手を明らかな意図をもって傷つけた。どんな理由があれ、許されることではないとわかってはいたけれど、それでも、彼女が今ここにいる、その一点だけは紛れもない事実であったから。
「ずっと、見守ってくれてありがとう」
その言葉に、確かに揺れる瞳を確認して、頬に手を伸ばす。滑らで柔らかく、温かな人と変わらぬその手触り。びくりと肩を震わせながらも、逃げようとしない強い翠玉の瞳に安堵して、言葉を続ける。
「私はあまりにも多くのものを失った。父も、母も、共に戦う同志も配下の者たちも——そして、ずっと恋焦がれた人さえも。だから、もう失うことには慣れていると思っていた」
何かを失って心が血を流しても、それは一時のことで時が過ぎれば忘れてしまえる、そんな程度の心の動きしか、自分には残っていないと思っていた。
「でも、あの時、君を失ってしまうかと思ったら耐えられなかった。だから、遠ざけた。そうすれば、少なくとも君の命が失われることはない。たとえ、それで二度と君に会えないとしても。そのうち忘れて、また静かに、冷徹な王としての役割を果たして生きていけると思っていた」
リィンは何も言わず、ただその強い眼差しで先を促す。欺瞞を許さないその鮮やかな瞳が、けれど自分を真っ直ぐに見つめてくれることに、言い知れぬ喜びを感じていることに気づいて呆れる。だから、もうその言葉を口にしてしまうことにした。
「君が好きだ、リィン」
唐突な告白に、緑の瞳がこぼれ落ちそうなほどに大きく見開かれる。開いた口は何かを言いたげにぱくぱくと動いたけれど、結局声にはならなかった。
ゆっくりとその瞳を見つめたまま、顔を寄せる。ぎりぎりまで近づいて、触れる直前に、覚悟を決めたようにぎゅっと目を固く閉じた顔があまりに愛しくて、口づける代わりに抱き寄せた。リィンは驚いたように身じろぎして見上げてくる。
「アレクシス……⁉︎」
「だが、まだ幼い」
言った瞬間、カッとその頬に朱が差して、瞳に怒りの色が浮かぶ。そんな様子さえ美しく愛しく見えて、顎を捉えて今度こそ口づけた。初めは軽く、怯えさせないように、ゆっくりと何度も。戸惑い、彼の胸の辺りを掴んだ手に自分のそれを重ねて、唇を離す。
「君は精霊で、長い時をこれからずっと生きていくのだろう。そして、多くのものを見て、もっと色々なものを愛するようになるかもしれない」
それでも、とリィンが反駁する間を与えぬよう、言葉を続ける。
「君の長い生からすれば、ほんの一時——私の命が尽きるまで、側にいてはくれないだろうか」
一息に言い切ったその言葉を、リィンは吟味するようにじっと彼を見上げてくる。一度はひどい言葉で拒絶した。それを思えば、受け入れらなくとも——むしろその方が自然かとも思われたけれど、そうはならない確信が、もう彼にはあった。
——彼女が、ここにいることが、何よりの証だ。
「もう、言った」
呟きは、聞き逃してしまいそうなほど小さな声だったけれど、彼の胸元を掴む細い指に込められた力が強くなって、森の色をした眼差しがさらに深さを増す。
「精霊は嘘をつかないし、一度言った言葉を簡単に翻したりしない」
——私の気が変わるか、アレクシスが死ぬまで。
その言葉は確かに覚えていたけれど。
「リィン、それじゃあ私は、君の気がいつ変わるか、ずっと怯え続けることになってしまうよ?」
「アレクシスには、それくらいでちょうどいい」
ふいと背けた顔は、それでも確かに柔らかく微笑んでいたから、きっとその「約束」が更新される日もそう遠くないのかもしれない。随分と曖昧な答えではあったけれど、今はそれでいいかと妥協しておくことにする。
肩を竦めて笑いながら、リィンの耳元で甘く囁く。
「なら、君に毎日、贈り物をしよう。美しい花や、美味しいお菓子、それから——」
「そんなもので私の心を
不機嫌そうに頬を膨らませたその顔が何より愛おしくて、強く抱きしめて髪に唇を寄せる。リィンはまた、少し体を震わせたけれど、逃れようとはしなかった。
「贖うつもりはないよ。ただ、君の笑顔が見たいだけだ。今まで、私は君を怒らせてばかりだったからね」
「……本当だよ」
微かに震えた声に、顔を覗き込めば、見ることを拒むように胸に押しつけられる。けれど、そっと両腕がアレクシスの背中に回された。
「離れて見守るのはもう面倒だから、側で見守ることにする」
愛の告白にしては、少しばかり艶やかさが足りないな、と内心で笑った彼には気づかず、彼の胸に顔を押しつけたまま、リィンは続けた。
あなたが、あの頃のように、また穏やかに笑えるように。
それが、私が何より欲しいものだから。
「……本当に、君は」
彼の予想などいつも遥かに容易に越えて、彼を捕らえてしまう。後ろから、くつくつと忍び笑う気配が伝わってきたけれど、それさえも誓いの立会人だと思うことにして。
「君が側にいてくれれば、きっと」
その言葉に、ようやく彼の方を向いた顎を捉えて、今度こそ深く口づけた。
もう、二度と傷つけたりせず、大切にすると、その誓いにかえて。
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