5. 封蝋

 ガツン、と思いの外、容赦のない音が響いて、ターランティア元首げんしゅの護衛が崩れ落ちた。アレクシスが手を出す間もなく、ジェイクとテオはそれはそれは楽しそうに、護衛たちを薙ぎ倒していく。軍を動かすと両国とも無傷では済まないから、なるべく穏当に事を納めると言っていたのは誰だったのか。


「しょうがないだろ、降りかかる火の粉は払わないと」

「お前の場合、どっちかっていうと自ら油を振りまいて炎上させてる気がするんだけどな」


 軽口を叩きながらもジェイクも的確に敵を沈めていく。訓練された衛兵たち相手に、型破りだが、その膂力りょりょくと実戦慣れした剣捌きはそんな場合でないと分かっていても見惚れるほどだ。


 やがて数分も経たずに部屋の中は静かになった。残されたのは、壁際に追い詰められて、ガタガタと顔色悪く震える壮年の男。数度まみえたことのあるその男は、威風堂々として部下たちの信頼も厚く、一国の元首たる器に見えた。ターランティアはどちらかといえば波乱の国ではあったが、ここ数年はよく治められているようだ、と。

「だからこそ、だろ?」

 元首を見つめる彼の視線の意味を汲み取ったのか、テオが肩を竦めながら嫌味っぽく笑う。

「国情が落ち着いて、欲が出た。レヴァンティアを攻めようと思ったが守りが堅い。周辺国もやたらと公国うちに日和って手が出せない。どうやらそれが大国アンティリカの威光らしいと考えた。だが、アンティリカの王はまだ若く、玉座について日も浅い。ならば亡き者にしてしまえば、どうにでもなる——そんなとこだろ?」

「悪くない線だけど、読みが浅いね」

 皮肉げに笑った彼に、テオが顔を顰めた。正面の男は震えながらも同様に怪訝そうな顔をする。アレクシスはゆっくりとその壁際に立つ男に歩み寄り、腰から剣を抜いた。

 直裁な動きに、男は逃げることさえできず、目を見開いて彼を見つめる。アレクシスは薄く自嘲するように笑い、男の喉元に刃を肉薄させた。


「私は確かに玉座について日が浅い。私がたおれれば、アンティリカは乱れるだろう。だが、あなたは一つ忘れていることがある。我が国の宰相は、レヴァンティアの公爵だ」

 もし、彼に何かがあれば宰相アドリアーノ・レヴァンティアがアンティリカを掌握する。レヴァンティア自体は小国だが、その国力は実はかなり充実しているし、何よりアドリアーノにはそれだけの才も人望もある。彼がその気になればアンティリカを乗っ取ることは実際可能であろうし、そうしないのは、二国を一人で治めるより、アレクシスに任せておく方が楽だから、とその一言に尽きるだろう。

「あ、あなたはまさかあの男の傀儡かいらいなのか⁉︎」

「そうであれば、どれほどよかったか」

「——アレク」

 肩をすくめて笑った彼に、テオがいつになく鋭い声を上げた。侮りを許すつもりか、と責める色が半分、残りは、為政者としての矜持を持て、という怒りにも似た叱責だった。己もまた為政者の一族であればこそ。記憶にある、質の違う青い瞳が同じ怒りを滲ませていたことを思い出して、思わず心の底からの苦笑が漏れた。


 その笑みの意味をどうとったのか、怯えた男はさらにヒッと息を呑む。その誤解をそのまま利用して、アレクシスはさらに笑みを深くした。


「私に何かあれば、レヴァンティア公爵はアンティリカを手中に収めるでしょう。そして力を手にしたあの方は、目障りな敵対国を放っておくほど慈悲深くはない——私と違って、ね?」

「あ、あなたは……違う、と……?」

「あなたもご指摘の通り、私はまだ王として経験も浅い。できれば他国にわずらわされずに内政に注力したいのですよ。友好国は、多い方がいい」

 男はまだ迷う様子だった。それはそうだろう。暗殺者を次々と差し向けるくらいだ。敵対する覚悟をもっていた相手から、友好国でありたいなどと提案されて無条件に受け入れるなど、そちらの方が愚の骨頂だ。


 アレクシスは剣を納めると、懐から一枚の書簡を取り出した。綺麗に折り畳まれたそれの、表面に赤く押された封蝋ふうろうを見た瞬間、青かった男の顔色が、雪のように白くなった。ほとんど窒息しそうなほどに。

「ど、どうしてあなたがそれを……」

「さあ、どうしてでしょう。それはともかく、あなたが西の大国と親しく書簡を交わしていると知れば、あちらはどう思うでしょうね?」

 具体的な国の名を出さずとも、彼の意図は十分に伝わったらしい。できる限り穏やかに微笑みながら、アレクシスはその書簡を懐にしまった。

「もうご推察かと思いますが、私が保持しているのはこれ一通ではありません。もし私の身に何かあれば、あちらに流れるよう手配済みです」

「わ、わかった。もう二度と、あなたに刺客を送ったりはしない!」

「それだけですか?」

 にこり、と微笑んだ彼の前に、ターランティアの元首はただ項垂れて頷くよりほかなかったのだった。



 を終え、堂々と元首の館を正面から出る。意向は早々と周知されたらしく、衛兵たちも怪訝な顔をしながらも、彼らの行手を阻もうとはしなかった。

「意外と簡単だったな。俺がついてくる必要もなかったんじゃねえの?」

「何かあったときに、俺とアレクだけじゃ言い訳が立たないだろ」

「……お前、俺を囮っつーか、犠牲にするつもりだったのか?」

「いやいや、ターランティアの顔馴染みの船乗りなら何とか誤魔化せるかなーとか?」


 じゃれあう二人を呆れた顔で見つめていたとき、ヒュッと風を切る音が聞こえた。完全に油断していた彼らは、その気配に気づけなかった。


「アレクシス!」


 とっさに彼の前に出ようとしたジェイクを突き飛ばす。その男に何かあれば、悲しむ人がいるとわかっていればこそ。犯した罪が、それで帳消しになるなどと、そんな都合のいいことを考えていたわけではないけれど。


 覚悟を決めた脳裏に浮かぶのは、海よりも深い青い瞳。それと同時に、傷つけてしまった森の宝玉のような緑の——。


「馬鹿じゃないの⁉︎」


 ごう、という風が吹いて、飛んできていた矢を全て吹き飛ばす。同時に、鋭い風の刃が飛んでいって、男たちの呻き声だけが響いた。すぐに体勢を立て直したテオとジェイクが声の方へと剣を抜いて駆け、事態はあっという間に収束する。


 ——ただ呆然としている彼の傍らには、まばゆい黄金色と鮮やかな緑の瞳があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る