ソフィア・ハイルング




 私はクラロスくんに淡い恋心を抱いている。




 初めて出会ったのは私がエルフに誘拐されて、クラロスくんに救出してもらった2年前のあの日。誘拐された理由はよく分からなかった。後から聞いた話ではエルフの呪術の実験に使われそうになったとか。




 魔術なんかとはほとんど縁のない、ただの村娘に何の利用価値があったのかは知らない。誘拐されて、救われた。その事実だけが私の中にあった。




 私を助けてくれたクラロスくんは、とてもかっこよかった。まるで自分が囚われの姫君にでもなったかのような心地だった。クラロスくんは強かったし、優しかった。恋心を抱くには充分すぎるシチュエーションだった。




 救出されてから両親はエルフに殺されたと知らされた。行き場を無くした私にクラロスくんは手を差し伸べて、生きる希望を与えてくれた。




 ルインでパン屋を営んでいる老夫婦に引き取られた私は、クラロスくんとお別れしなければならなかった。




 とても悲しかった。




 クラロスくんは勇者で、任務の為に国のあちこちを旅している。本音はクラロスくんの旅についていきたいって思っていたけれど、「普通の生活に戻れなくなる。ソフィアには普通の幸せをつかんでほしい」と釘を刺された。




 力の無いただの村娘に聖人である勇者についていけるはずがない。頭ではわかっていても、心が理解してくれなかった。




 いっそのこと、秘めている想いを全部さらけ出してしまおうかとも思った。




 だけど出来なかった。




 想いを告げてしまえば、この人は何が何でも私を守ろうとしてくれるだろう。それこそ、人類の未来を投げ出してまで。




 それが彼の弱さだと知っていた。守りたいと思ったものを、身を犠牲にして守り通そうとするのが彼だ。そうやって彼を縛り付けることは出来なかった。だから、この焦がれるような想いは、宝箱の中にそっとしまい込んだ。




 「そんな顔しなくても近いうちにまた会えるさ! 世界って意外と狭いんだぜ? だからこうやって別れの挨拶をするんだ。またな、って」




 そういってクラロスくんは旅立っていった。同じ空の下、クラロスくんにありったけの幸福が訪れることを祈りながら、私は彼の背を見送った。










 半年前に覇族との戦争に勝利を収めたと大きく報じられた。




 人類の大きな躍進、約束された安寧の100年、救世主の勇者様万歳。




 一か月近く、どこもかしこもお祭り騒ぎだったという。実際、ルインでも大きなお祭りが毎日のように行われていた。戦争に勝利した、ということは当然敗北した種族がいる。私はその種族のことを、自分の立場になって考えてみると胸が痛むし、素直に喜べなかった。




 何よりも、戦争に貢献した勇者の安否を明確に報じないことに不安感を抱いた。




 「またな」




 遠回しの表現で何人かの勇者が亡くなったと。それが誰かまでは知らされない。私は別れの言葉を信じることにした。また会えると。




 願って、願って、願い続けた。我ながら重い女だなぁ、と。




 サアラには「昔の男をいつまでも引っ張ると婚期逃しちゃうよ」とからかい半分に笑われたりもした。




 踏ん切りがつかないのは仕方がない。あんな出会い方をしたら好きにならないほうがどうかしている。エルフに攫われたあの日から、普通の恋はもう出来なくなってしまったのだ。




 クラロスくんの無事を祈り続けていたある日。彼はルインに現れた。




 あの言葉は本当だったのだと、歓喜に溢れた。だけどその歓喜も、雪のように溶けていった。




 彼は以前の彼ではなかった。




 彼曰く、肉体はほとんど壊れてしまったと。




 だけど、私はそれだけでないと気づいてしまった。壊れてしまっているのは体だけでなく、心もボロボロになってしまっていると。




 何故そうなってしまったのかは分からない。理由を聞くだけで、かろうじで形作っているヒビだらけの心が崩れてしまいそうだった。




 完全無欠、絶対無比の聖人は普通の人間と変わらないということを知った。違うとするなら、力を振るう勇気があるかどうか。ただそれだけだと私は感じた。




 誰かの為に力を振るうことを勇気というならば、私が勇気を出すのは今なのではないか?




 彼がエルフから私を助け出してくれたように、今度は私が彼の心を助ける番なのではないだろうか? おこがましいのは重々承知だ。だけど、恋だの愛だの関係ない。私の願いは彼の幸福。今の彼が地獄にいるのなら、それを引き上げるお手伝いがしたい。私は、迷惑かもしれないという不安を隠して、時間があるときはクラロスくんに寄り添うことにした。










 そして、リフィちゃんがクラロスくんを訪ねてやってきた。




 不思議な雰囲気をした女の子。どこから来たのか、どうしてクラロスくんに会いに来たのかわからない。私のことを知っている様だったけれど、私は知らなかった。人の顔は忘れない方だから、リフィちゃんの様な独特な雰囲気をした女の子だったらなおのこと忘れるはずはないと思う。それでもリフィちゃんの素性に心当たりは無かった。




 だけれど、リフィちゃんを見ていると心が落ち着くようだった。




 別に私に童女趣味があるというわけではなく。例えるなら風が吹く夜に、ひと際強く輝く星を見ているような、怖いこと悲しいことから逃げられる道を示してくれるような不思議な安心感。




 本当に彼を救うことが出来るのは彼女ではないのだろうかという直感。




 その直感は正しかったと思う。少し、いや、とても残念と思ったが、リフィちゃんのおかげでクラロスくんの心は元の形に戻りつつある。




 とても喜ばしいことだ。私の願いは届いたのだ。




 後は彼が、彼の歩く道を自分で進むだけ。




 どうか神様、クラロスくんに普通の幸せを、リフィちゃんに平和な暮らしを。




 私は欲張りだから願いが叶えば、次のお願い事をする。これが今の私に出せる勇気。誰かの為に、誰かの幸福を願う。






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