追憶の語り
リフィとの生活は何事もない平和な毎日だった。と、言いたいところだが、ベッドの使用をどうするかひと悶着あった。
「このベッドはお前のだ。だからお前がベッドを使え」
「クラロスは怪我人よ? それを無視して自分だけすやすや猫のように眠れだなんて酷だわ」
「元とはいえ勇者だぞ? もっと酷い怪我の状態で野宿だってしていた。ソファで眠れるだけでも十分だ」
「それは過去の話、私は今の話をしているの。クラロスがベッドで寝ないなら私もベッドで寝ない」
一見大人しくて気弱そうだが、意思の固さと口喧嘩はめっぽう強い。リフィと言い争いになると絶対に負けてしまう。今のように。
「なら俺がベッドを使ったとしてリフィはどこで寝るんだ?」
「クラロスの横」
「横」
「ええ」
うん、思い出した。俺が目覚めた時、リフィは真横で眠っていた。なにかとリフィは俺と一緒に寝ようとする。羞恥心は年頃の女の子並みにはあるというのは確認済みだが、寝ることに関してはなんとも思わないのだろうか。
別に床を共にすることが嫌というわけではない。大人といっても成人して間もない若い健全な男だ。むしろ喜ばしいことではあるが、こう堂々と迫られると対応に困る。
「クラロスは隣で私が寝るの嫌?」
などと、上目遣いで申しており、
「―――嫌、というか、なんというか……。あー! もうわかった、一緒に寝てやる! その代わり、引っ付いたりするのは無しだからな」
この手の押しに自分は弱いということがこの時自覚した。正しい断り方があるのなら、親切丁寧な解説込みで俺の住所まで郵送してほしい。
―――そして、いざ就寝の時間。
基本的は俺が常にベッドを占有している状態なので、リフィの方から潜り込んでくることになる。
何緊張してるんだ俺。相手は年端も行かない少女だぞ。そう、子供なのだ……、それはそれで問題がある気がするが。
扉からコンコンと小気味いいノックが響く。
「待った?」
現れたリフィのパジャマ姿は、年のわりに艶っぽい。クリーム色のワンピースなのだが、全体的に何故か透けている。そのせいで下着のシルエットが薄っすらと浮かび上がっているではないか。今度サアラを見かけたら文句の一つくらい入れてやろう。
「待った? なんて聞かれたら、まるで俺が一緒に寝ることをたのしみにしているみたいじゃないか」
「本当はたのしみでそわそわしていたくせに」
そわそわしていたのは否定できなかったので思わず目を逸らす。
「いいからとっとと寝ろ。俺はもう寝るぞ」
「あ、待って!」
灯を消して布団の中に潜った。遅れてごそごそとリフィが入ってきたのがわかる。なんとなく、リフィに背を向けて寝る。
「クラロス……」
小さな手、胸、細い脚が、背後に当たる。
「引っ付くのは無しって言っただろ」
「ごめんなさい。でも今は少しだけでいいからこうさせて」
「―――少しだけ、だからな」
「ありがと」
しばらくの沈黙。聞こえるのは互いの呼吸の音だけ。感じるのはリフィの温かな体温。このもどかしいはずの静謐の時間が妙に心地よかった。まるで今まで感じてきたような、知っているひととき。
「ねぇ、クラロス」
「どうした?」
沈黙を破ったのはリフィ。密着していた体をそっと引き離し、言葉を続ける。
「クラロスのお話が聞きたい」
「初めて会ったときも同じことを言っていたな。俺のどんな話を聞きたいんだ?」
「勇者には聖具という不思議な武器を持っているって聞いたことがある。クラロスはどうやって聖具と出会ったのか聞きたい」
何故聖具のことを知りたいのだろうか。勇者は必ず聖具を手にしている、いわば象徴のようなものだ。それは国民に広く知れ渡っているので、リフィが特別聖具のことを知っているのは不思議なことではない。
聖具のことを知りたがるのは勇者勢力の情報が欲しい敵か、あるいは―――、
「まさかとは思うが勇者になりたいとか言わないだろうな?」
この手の話題は勇者に憧れる子どもに多い。俺自身、勇者とは無縁だったころは絵本に登場する勇者に憧れてよくごっこ遊びをしたものだ。
「ううん、クラロスが聖具と出会って、どういう想いで勇者になったのか知りたいだけ」
「そうか、勇者になりたいって言わない方が正解だ」
子どもたちが憧れる勇者と、現実の勇者は全然と言っていいくらいに違う。心躍るようなロマンあふれる冒険などはほとんど無い。あるのは血なまぐさい戦争ばかり。
俺がどういう経緯で聖具と出会い、勇者になったか。あまり聞かれることがなかったので知る者は少ない。だが、リフィには話してもいい。そんな風に思った。
「―――わかった、話してやる。途中で寝るんじゃないぞ?」
×××××
当時6歳の頃、ルインという名前に変わる前の村であるハーベスの農家の子供として生活していた。
水と土壌に恵まれたおかげで、裕福とはいかなくとも一家は不自由することなく平和に過ごしていた。
家族は父と母がいた普通の家庭。
その日は雲一つない良く晴れた日だった。父は畑に出ており、俺と母は家でその帰りを待っていた。
いつもは陽が沈みかける頃には帰ってくる父だったが、その日は違った。
「おかーさん。何か音がする」
「あらそうかしら? クラロスは耳がいいからお母さんにはわからないわ。どんな音がするの?」
「どーんって音かな? 帝都でみたお祭りの太鼓みたいな音!」
「太鼓? 太鼓を鳴らすようなお祭りはしてなかったと思うけど……」
母の言う通り、俺が聞き取った音は太鼓なんていう優しいものではなかった。次第に音は近くなっていき、肌で音を感じる頃には村中に警鐘が鳴り響いていた。
父はとうとう帰ってくることは無かった。母は酷く青ざめていたが幼かった俺を見て意を決したのか、必要最低限の荷物をまとめてすぐに避難に出た。
母に手を引かれ村の中を走る。村の半分以上は火に飲まれ、建物は次々と崩壊していった。その陰に何体もの龍種の姿を見た。
恐ろしかった。
当たり前と思っていた平和が得体の知れない生き物に、あっという間に壊された。
俺と母は恐怖に怯えながらも必死に逃げた。
走って、走って、走り続けた。だが龍種は空を素早く飛ぶ。追いつかれるのは時間の問題だった。
3体の龍種に囲まれて俺と母は死を覚悟した。その内の1体が爪を立てようとしたその時、
「っぐぁっ!!」
「―――おとーさん!!」
血だらけの父が身を挺して俺と母を守ったのだ。手には返り血がべっとりと着いた草刈鎌が握られていた。
「クラロス! お前は母さんと逃げろ!!」
爪で体を引き裂かれても尚、父は俺たち家族を守るため必死にこの場から逃がそうとした。
「だけど、おとーさんが……」
「いいから行けっ!!」
父は声を荒げた。その声に反応するかのように3体の龍種は父を取り囲んだ。草刈鎌一本、それも荒事に縁が無いただの農家には絶望的な状況。
母は俺を抱き上げて走り出した。
「待ってよおかーさん! おとーさんが!!」
母は何も返さなかった。振り返ることなく、喚く俺を抱きかかえながら必死に逃げていた。母が泣いていることに気づいていたが、子供だった俺はただ喚くことしかできなかった。
村の外に近づくころには、村のほとんど全てが火の海に沈んでいた。木が焼け、建物が焼け、人が焼け。そこには炎と死しかなかった。
崩れた建物の下敷きになって体を焼かれながら助けを乞う声。
足の筋を切られ、立てなくなったところを龍種に捕まり、空へと連れ去られる声。
親とはぐれて泣きながら名前を叫ぶ子供。
地獄が広がっていた。
こんな簡単に命が消えていっていいのかと怒りの様なものが沸いてきていた。
俺と母は運よく逃げ切れた。村から脱出し、身を隠せる森の手前までやってきたところで、母は糸が切れた人形のように地面に崩れた。
「クラロス……あなただけでも逃げて」
「ヤだよ!! おかーさんも一緒じゃないと嫌だ!!」
「こんな時まで我が儘を言わないの!! ―――大丈夫、お母さん、少し休んだらすぐに追いつくから。だから、ね? 先に逃げなさい」
母の声は優しかった。俺はこの時、薄々だが母はもう立てないことに気づいていた。だけど、気づかない振りをして、追いつくという母の言葉を信じて一人走り出した。
まっすぐ走って、振り返った。
母が座り込んでいたはずの場所に、母の姿は無かった。残っていたのは鮮やかな赤い水溜まり。そして一体の龍種。
無意識のうちに走っていた。死にたくない、死にたくないと森の中を必死に駆ける。蔦が皮膚を裂こうと、木の枝や小石が刺さろうと、痛みを堪えてひたすらに走った。
龍種は確実に追いかけてきている。もう一度振り返ったら、すぐ後ろにいる気がして前しか向けなかった。
そして、俺の運は尽きた。
走り着いた先は登ることもできない崖、つまり行き止まりだった。
恐る恐る振り返る。そこには龍種が一体、こちらを見ていた。まるで遊びで獲物を追いかけて笑っているようにも思えた。
ああ、村の人たちみたいに殺されるんだ。息吹に焼かれるのか、爪で腹を裂かれるのか、はたまた生きたまま空に連れ去られるのか。嫌な想像ばかりが浮かぶ。
龍種は息を大きく吸い込み魔力を顎に溜め込んだ。
人間の丸焼きコースに決定したようだ。諦めと恐怖が心を支配した。せめて、痛くないことを願いながら目を瞑った。
―――痛くない。
それどころか熱さも感じない。
目を開くと蒼白の光が俺を包み込んでいた。その光は俺の盾になるかのように、龍種の息吹から身を守ってくれていた。
そして、手には一振りの槍が。
槍から膨大な強い魔力を感じ取った俺は、無我夢中で槍に込められた魔力を龍種に向けて放出した。
一直線に伸びる光の帯は、龍種の胴体を穿った。龍種は断末魔を上げ、胴体に風穴を空けて絶命した。
突如として出現した槍に命を救われたのだ。夢か現実なのか、物語の勇者のように悪いドラゴンを倒したことに喜ぶと同時に、自分だけ生きていることに酷く悲しくなった。
ありがとうという感謝の想いと、どうして助けてくれたのだという気慰み。
道具である槍に感情をぶつけるのはおかしいとわかっていても、子供だった俺にはぶつけずにはいられなかった。
俺は孤児になった。
村を襲った龍種は駆け付けた騎士団と勇者によって撃退されたが、生き残った者は俺を除いて誰もいなかった。
俺は騎士団に保護された。そこで俺は一人の男と出会う。
人類の希望である勇者の一人、バリス・パシオン。当時の大輝剣シリウスの所有者にして歴代の勇者のなかでも最強と謳われる男だ。
「君は運命の子だ、新たな聖具に選ばれたのだ。私と共にこないか?」
俺は無言で頷いた。
運命とか選ばれたとかどうでもよかった。その時に抱いていたのは、全てを失った悲しみの感情と、もう二度と俺の様な思いをする人が現れないことを願うというものだった。この人についていけば勇者になって悲しい思いをする人を無くせる。
俺はバリスの手を取った。
「歓迎しよう。そして、これから君と共に歩む聖槍に名を」
手にしていた槍の名を問われ、困惑した。それは名前を知らないからではない、最初から知っていたかのようにすぐさま名前が脳裏に浮かんだからだ。
「グリフィリーベ……。聖槍グリフィリーベ」
その日から俺は聖槍グリフィリーベを肌身離さず、常に共にいた。
×××××
「それから俺はバリスに引き取られて養子になったんだ」
「そう……なのね……」
リフィの声は少しだけ震えているようだった。確かに聞いていて気持ちのいいものではない話だと思う。
「クラロスは聖槍グリフィリーベを恨んでる? もっと早く現れたら家族や村を救えていたかもしれないのに……」
「そうだな……。恨んでいないって言ったら嘘になるが、感謝の方が大きいさ。グリフィリーベにはたくさん守ってもらったからな」
絶対防御の槍。覇族の魔術やエルフの呪術、獣人の爪牙。あらゆる脅威から命を守ってくれた。守ってくれたから、守ってこれた、俺の大切な相棒。
そこで俺は大きな過ちに気づいた。
聖槍グリフィリーベを帝都に置き去りにしてきた。今まで手を離したことがない相棒をどうして手放してしまったのか。
聖具は所有者が死亡していなくなった場合にのみ、次の所有者を探し継承させる。カルムの護刀・透刃斬牙やリューレの無垢杖ジャンヌ・ブランシュの継承者はシェロ・サハルが探している。
俺はまだ生きている。俺が死なない限り、継承されることなく教会の地下で眠り続ける。
聖人認定を取り消して、勇者でなくなった俺に再び聖具を手にする権利はあるのだろうか。戦えなくなった、ただの人間に武器を手に取る意味はあるのだろうか。
身勝手な願いではあるが、聖槍グリフィリーベに逢いたいと強く想う。ただの道具であるはずなのに傍にないことを思い出した途端、とても恋しく、寂しく想ってしまう。
許されるのなら、聖槍グリフィリーベを再びこの手に戻したい。
「クラロス……」
リフィはそっと俺の背に身を重ねる。
リフィの体温が、俺の中で芽生えた焦燥感をゆっくりと静めてくれる。
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