陽は沈めど再び昇る

やがて暗闇は明け



 目を開くと見慣れた木造の天井、背中には柔らかいベッドの感触。俺はまだ生きていた、誰が家まで運んでくれたかは知らないが、体中に丁寧に包帯が巻かれているのが分かる。




 わずかに鼻をくすぐる柔らかな香り、その香りの根源は俺の横ですやすやと眠っていた。リフィの白い肌、目元がわずかに赤く腫れている。




 体が熱い。全身の怪我はまだ塞がっていない。俺は一体どのくらい眠っていたのだろうか。




 「ん……、っ! クラロス! よかった……本当によかった……!」




 ひしっと眠り姫から目覚め姫となったリフィは俺に抱き付いてくる。




 「痛いっ、もう少し加減をしてくれ」




 「ご、ごめんなさい。喉は渇いてない? お水持ってくる」




 ベッドから飛び降りキッチンへ走り去った。時間をかけることなくリフィはグラスと水を入れた容器をお盆に載せて持ってきた。




 グラスに注がれた水を受け取り、ゆっくりと飲み干した。水の自然な冷たさと潤いが火照った体を冷ましてくれる。




 「なぁリフィ、俺はどうやってここに戻ってきたんだ?」




 「私、クラロスが心配で村の出口で待っていたの。そうしたら憲兵の人たちが血まみれになったクラロスを運んできたの……、とても怖くなった……クラロスがいなくなってしまいそうで……」




 涙を滲ませてリフィはゆっくりと語った。不安が溢れてしまったのか、リフィはまた俺を抱きしめた。今度のは優しく柔らかかった。




 「心配をかけたな……。この包帯はお前がやってくれたのか?」




 「うん、最初はお医者様だけど、巻き方を教わってからは私が交換したの。私……クラロスの体がここまで酷いだなんて思わなかった……」




 それは俺自身も痛感した。多少なら戦えるだろうと侮っていた。現実は違った、ほんの僅かでも魔力を起こして肉体を酷使しようものなら、水面に潜む死が容赦なく底の無い深いところまで引きずり込もうとしてくる。




 死への恐怖は無い。といえば嘘になるが、それでもどこか死に場所を探している自分がいた。あの場で朽ち果てるのなら構わないと思っていた。だが、意識を失う間際に聞こえたリフィの声が、俺の自壊の願望を拒んだ。




 「リフィ、村の出口で待っていたと言っていたが、村の外には出ていないんだよな?」




 「うん。だけど、胸のざわつきが治まらなくて、とても不安だった。あの時のクラロス、嬉しそうで悲しそうだった。お願いクラロス……、どこにも消えないで……」




 リフィの声が震えている。この少女は俺が生き急いでいることに気づいたのだ。俺を、勇者だった俺を頼ってきた。彼女がどういう思いを抱いているかはわからない。だけど、俺は彼女を、リフィを悲しませた。




 情けない。本当に情けない。




 「リフィ……、すまなかった。俺は……死に場所を探していたんだ。生き残った罪から逃れようとしていたんだ」




 「ダメだよ、クラロス。死にたいなんて言わないで……。私は、クラロスに生きていて欲しいの……! クラロスの……傍にいたいの……」




 「ああ、生きるよ……。生きて、生き残った現実と向き合うことにするよ」




 熱いものが頬に一筋。俺に涙を流す資格などない。なのに……自分の感情を抑えられない。どうして涙が零れ続けるのか、この時の俺はまだ知らなかった。






×××××






 「クラロス……大きい……」




 「あ、ああ……お、おい、そこは―――」




 「動かないで、うまくできない」




 「―――っ、案外恥ずかしいものだな」




 「私は好きよ? こうして肌に触れると暖かい」




 濡れタオルが背中を拭う。落ち着きを取り戻した後、傷口が塞がっていない俺のためにリフィが濡れタオルで清潔にすると言い今に至る。




 「これくらい自分で出来るんだがなぁ」




 「ダメ、クラロスのお世話は私がするの」




 「いやちょっと待て? さすがに下は自分でやる」




 「どうして?」




 「どうしてって言われてもな……」




 理由を説明するのに困る。下半身を見られることが恥ずかしいというのは男女共有の認識ではないのか? まさかとは思うがリフィは見られることに抵抗がない……?




 「逆になって考えてみろ。リフィは俺にパンツの中を拭かれたいか?」




 俺がそう聞いて一拍、間を置いてからリフィの顔が爆発するように赤く染まる。あまりにも素直すぎる反応で可愛いと思ってしまった。年甲斐もなくからかいたくなってしまう。




 「リフィが恥ずかしくないって言うなら仕方がないな。もしリフィが風邪をひいた日には俺も拭いてやらないと―――」




 「は、恥ずかしいから嫌……」




 羞恥心が最高潮に達したリフィは顔を伏せてしまった。少しやりすぎてしまったか、これではただのスケベ親父のセクハラだ。リフィも年頃の女の子だ。あんまりからかいすぎると、嫌われてしまいかねない。




 「その気持ちは俺も一緒だ、だから、な?」




 「うん……」


 差し出した俺の手に濡れタオルを渡す。




 「えっと、お粥作ってくる」




 スタスタとキッチンへと走り去った。なんとか嫌われることは回避できたようだ。




 心が落ち着いている今、自分がどれほど愚かだったか反省する。ワイバーンを街で見つけた時、やっと死ねることに歓喜する自分と、敵と戦えることに心が闘争心で震えている自分がいた。




 俺は今まで守りたい人がいたから戦ってきた。領土とか人類とか正直なところどうでもよかった。俺は、俺が見える範囲の人を救いたかった、それだけだった。だけど、それすらも叶わなかった。




 俺は天賦の才に恵まれなかった、あまりにも平凡で普遍なただの人間。もしも才能に縁があったのならあいつらを救えたのだろうか。もしも叫ぶ勇気があったのなら、あいつらの死を人類は悲しんでくれるのだろうか。




 全ては過ぎ去った出来事。悔いても仕方がないことだ。




 この後悔と悔恨を背負って生きていくと決めたのだ。背負ったまま今を生き、未来を歩むと誓ったのだ。




 あの少女が、リフィがいたからそう思えるようになった。




 リフィ―――。不思議な少女、彼女はいったい何者なのだろう。




 「お粥出来た」


 湯気が昇る鍋を持ってリフィが入ってきた。鍋からはほんのりとミルクの甘い香りが漂う。




 「ミルク粥を作ったのか?」




 「うん、お腹に優しくて栄養満点。はちみつとドライフルーツも入れてみた」




 鍋のふたを開けると真っ白なミルク粥がふつふつと湯気を立てる。ミルク粥―――。冒険や任務で大怪我をして、胃腸が弱ったときはよく食べていた。はちみつとドライフルーツを入れるのが俺の好みだった。リフィは知ってか知らずか、俺の好みどおりに仕上げていた。




 「食べさせてあげる」




 「それくらい自分で食える」




 「ダメ、私が食べさせたいの」




 「お前意外と頑固だな」




 リフィはミルク粥をスプーンで掬い、息を吹きかけて冷ます。




 「頑固者が作ったお粥は食べた人を甘く蕩けさせるの。はい、あーん」




 「いや、今時あーんはないだろ」




 せめてもの抵抗。




 「あーーん」




 「……あーん」




 抵抗は虚しく、小っ恥ずかしい声を出さざるを得ない。頑固者の少女は強的だった。




 「どう? 美味しい?」




 程よく熱がとれたミルク粥がリフィの手によって口の中に入る。






 ―――ミルクと米の自然な甘みが喉を通り抜けた。




 ―――甘さを感じる。




 ―――味を。






 「甘い……」




 「でしょ? ……どうしたの? もしかして美味しくなかった?」




 リフィが、再び涙を流す俺を見てあたふたと狼狽える。




 「美味い、美味いよ……。こんなに美味いミルク粥、初めて食べたよ……」




 頬を伝う涙がぽたぽたとベッドへと落ちる。本当に今日はよく泣く日だと思った。泣き虫勇者なんて罵られても、これではなにも反論できないな。




 半年ぶりに感じた味覚。優しくてほんのり甘い、心が休まる。




 涙を拭いリフィが笑顔を向けた。これで最後にしよう、自分の為に涙を流すのは。




 「泣くほど美味しいだなんて、作ってよかった」




 「ああ、本当に美味いよ。……もう大丈夫だ、もっと食べさせてくれないか?」




 「うん、たくさんあるからいっぱい食べて。私、クラロスが元気になるならなんだってするから」




 「気持ちだけ受け取っておくさ。これからは自分で歩ける、真っ直ぐにな」




 流した涙と共に俺の中の澱も流れていったようだった。先の見えない闇の様な霞に光が差し込み、歩むべき道が現れた。これは俺が切り開いた道、だけどそれを照らし示してくれたのはリフィだ。




 俺はリフィのおかげで大きな一歩を踏み出せたのだ




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