スカーバラ・フェア


 鳥のさえずりが外で響いている。リビングに差し込む朝日が丁度クラロスの顔に当たる。カーテンを閉め忘れたせいで朝の陽ざしは容赦なく俺の意識を叩き起こした。




 体を起こす。毛布を掛けて寝ることはないのに、妙な温もりを感じ―――、




 ―――ドスン!




 「ん……痛い、ひどい」




 ソファの下で鈍い音を立てて不機嫌そうに恨み言を吐いていたのはリフィだった。




 「まさか俺の上で寝てたのか……!?」




 「うん、寒いと思って」




 結果的にリフィの願望である一緒に寝たいを叶えてしまった。仮にも元勇者だ、どんなに眠りが深くても警戒を怠らない癖は今も残っているが、敵意や害意が無い者の寝込みの襲撃は対応できない。




 「はぁ……、その心遣いはありがたいが次からは毛布にしてくれると助かる」




 「どうして?」




 「俺は暖かい思いを出来るが、今度はお前が寒い状態になるだろ? それじゃあ本末転倒だ」




 「それは……確かに」




 顎に手を当ててふむふむと納得するリフィ。きちんと理由をつければ理解をしめしてくれるようだ。明日からは自分のベッドで寝てくれるだろう。




 「せっかく朝早く起きたことだし、朝飯にするか」




 ぐーっと背伸びをする。




 普段は朝食を摂らないが、リフィがいるので朝食を抜くわけにはいかない。とりあえず昨日ソフィアからもらったパンでも出しておくとしよう。








 「―――ひどい、ひどいわクラロス」


 この世の終わりの様な表情で俺に訴えかけるリフィ。リフィが何を訴えたいのかはだいたい検討がつく。




 「上等なバターロールパンじゃないか。こんな上等なものに文句を言うとバチが当たるぞ?」




 「パンに文句はないわ! 私が言いたいのは―――、いい、クラロスは座って待っていて」




 「って、おい!」




 怒りを露わにしたリフィはキッチンへ足を運ぶ。まさかとは思うがコンロを使う気ではないだろうな。




 何をするのか様子を見にキッチンへ急ぐ。リフィの手にはフライパンとフライ返しが握られている。




 「うおおい!! シャワーも止められないくせにコンロを使おうとするな!」




 「私を侮らないで。シャワーは見たことが無かっただけ、コンロとお料理は何度か見たことがあるから私にだってできる」




 そして自信満々にフライパンをコンロに置き、輝石に触れて火を起こした。油を引き、厚切りのベーコンと卵を割って入れる。所作はぎこちないわりに上手に調理をしている。




 「できた!」




 更にレタスとトマトを盛り付け、焼き上げた目玉焼きとベーコンを乗せる。リフィはあっという間に見事な朝食を作り上げた。




 「これは、なんというか、意外だな」




 「そこは素直に褒めて欲しい」




 至極ごもっともだ。リフィの意外な特技(?)に関心を通り越して感動している。




 「すまない、感動のあまり言葉を選べなかった」




 「ふふん、これが正しい朝食の在り方。クラロスはちゃんと食事を摂らないとダメ」




 リフィはそう言って皿をテーブルへ運ぶ。まともな朝食を口にするのはいつ以来だろうか。野菜もキチンとある辺りがにくい。




 それにしてもシャワーの使い方は知らないというのに、コンロの使い方や料理の仕方を知っているというのは不自然だ。自分のことを語らないリフィの謎はますます深まるばかりであった。








 朝食を終えた俺たちはリフィの服や必要な日用品の買い出しに村の商業区域へと繰り出した。




 リフィの服装は昨日と同じモノだったが、深紅の聖骸布だけは目立ってしまうので部屋に置いてこさせた。そこで拾ったかは知らないが、聖骸布は上級神官以上だけが身に付けることを許される物だ。そんなものを普通の少女が身に付けて買い物へ出た日には憲兵に捕まってしまう。




 そうならない為に、初めにブティックへ向かうことにした。




 ルインの村にある商業区域の又の名をスカーバラ・フェアという。村の中央に位置し、輪を描いたような川の中州に作られている。その川は帝都と繋がっており、川を利用した物流の利便性のおかげでスカーバラ・フェアに並ぶ品数は帝都に負けず劣らず豊富である。




 物流が盛んなおかげでスカーバラ・フェアを目的とした観光客などで村に金が集まる。村に金が集まることでインフラや観光資源が整備され、益々活気を取り戻していく。そういった人とモノと金の循環が街を形作っていくのだ。




 一度壊滅したとは思えないほどの人の往来。スカーバラ・フェアへと続く橋は買い物客で溢れていた。




 「人が多いな」




 「―――クラロス」


 人の多さに後ろを歩くリフィとはぐれそうになる。




 「こうすれば離れることはないだろう」




 「うん!」




 だからその手をしっかりと握った。するとリフィは嬉し気に強く握り返す。リフィの手は太陽のように温かかった。




 それにしても今日に限って人が多すぎる。何か催し物でもやっているのだろうか。




 橋を渡り終わると露店街が挨拶代わりの賑やかさをみせる。魚や肉の串焼き、漬物や乾かし物の屋台。その屋台のおこぼれを狙う猫。それを指さして笑う子どもたち。




 賑やかしの煮込み鍋のような区域を通り抜けると露店は鳴りを潜め、個人商店が列なる比較的静かな商業区域となる。




 俺たちはその商店の内の一つである『ブティック・トリップ』という看板を掲げた店に入った。




 「いらっしゃ~い! あー! クラロスさんじゃないですか~! 婦人服店に来るだなんて、まさか!! ソフィアへのプレゼントをっ!?」




 出迎えたのはこの店の一人娘でソフィアの友人であるサアラという少女。商業区域の喧騒に負けないぐらい快活な少女でソフィアとは真反対の性格をしている。癖のある長い茶髪を尻尾のように括り、服装はブティックの娘らしくタイトなパンツスタイルで活発さを強調させるようにキマっている。




 「それも悪くないが今日の用件は違う。こいつ用に部屋着を2着と外出用に3、4着ほど見繕ってくれないか? 予算は高くならない程度で頼む」




 後ろに隠れるように身を潜めていたリフィを前に出す。ソフィアにはすぐに懐いたのにサアラには人見知りをしている。




 「おお! これまたぷりてぃーな美少女ですね!? これはコーディネートのし甲斐があるってやつですよ! ところでクラロスさんのお子さんか何かですか?」




 「俺がその大きさの子持ちの歳に見えるのか?」




 「なはは~冗談ですよ、じょ・う・だ・ん! てなわけで素敵なお嬢さん、どうぞこちらへ~」




 緊張した面持ちのリフィが店のフィッティングルームへ連れられる。




 さて、手持ち無沙汰になってしまった。店内を用もなくショーケースを見て歩く。ふと、顔を上げた先の海色をしたリボンに目がとまる。




 リフィの瞳の色を思い出させる、どこまでも深い青色。




 どうしてリフィのことをこんなに考えてしまうのだろう。昨日出会ったばかりなのに、ずっと一緒にいたような変な感覚。




 「ふふふ……! なかなか綺麗なリボンでしょそうでしょう! 当店おススメのアイテムになっておりまーす!」




 背後からサアラの元気な営業トークがかかる。




 「コーディネートはもう終わったのか?」




 「今は選んだ服を試着してもらってますよ! それでそれで? あの子とクラロスさんの関係性はどういったもので?」




 好奇心を背負って歩いているような少女だ。婦人服店に知り合いの男が、それも見知らぬ少女を連れてきたとなれば気になるのも仕方がない。




 「俺とリフィの関係性は、迷える羊とそれを追いかける牧羊犬ってところだ」




 「ふぅむ……? それはそうとして、どうですかそのリボン。きっとあの子に似合いますよ?」




 少し例え方が抽象的だったか、サアラの頭の上にクエスチョンマークが浮かんで見える。




 ―――リボンか。サアラの言う通りリフィの金色の髪を美しく魅せてくれるだろう。




 「そうだな。プレゼント用に包んでおいてくれ」




 「おっ! お買い上げありがとうございま~す! クラロスさんも男を上げましたね~このこの~」




 俺の腹を小突くサアラ。




 「俺だから構わないが他の客にあんまり冷やかし入れるんじゃないぞ」




 「大丈夫ですよ~! クラロスさん限定サービスです♪ クラロスさんは優しいですから」




 「褒めても追加で商品は買わないぞ」




 「ちぇ、見抜かれてましたか」


 怖いもの知らずか。破天荒な接客は俺だけであってほしいと切に願う。気持ち的にすごく帰りたい。




 「先にお渡ししておきますね」




 「ああ、ありがとう」


 サアラは手早くラッピングを終わらせて、俺に商品を手渡した。




 「あ、あの……」


 丁度いいタイミングなのか、細い声でリフィがフィッティングルームから頭だけを出して俺たちを呼んでいる。




 「はいは~い。そのままカーテンを開けちゃいましょう!」




 「で、でも……」




 「大丈夫です! クラロスさんに魅せつけてやりましょう!」




 「うぅ……」


 リフィは照れながらゆっくりとカーテンをスライドさせる。




 「おお……!」


 思わず感嘆の声を漏らす。




 濃紺のチュニックブラウスに白のパンツ。編み上げブーツで足を引き締めているのでスラリと全体的に細く映る。一言感想を述べるなら、美しい。その言葉が相応しいと感じた。




 「さすが私のファッションセンッス!! でもでも、意外と体つきがいいから服の魅力を100%以上引き出してくれるんですよね~♪ 出るところ出て、引っ込むところは引っ込んでるし! ああ、こんなにもコーディネートのし甲斐があるって素晴らしいわ……!」




 客がトリップするのではなく、店員がトリップしてどうする。




 リフィが頬を薄紅に染めてゆっくり近づいてくる。




 「クラロス……どう…似合う?」




 「ああ、よく似合ってるぞ。……、あと…、あれだ。特に何かあるってわけじゃないが、受け取ってくれ」




 「これは……?」




 綺麗な包み紙に彩られた箱を受け取って、リフィは不思議そうにその箱を見つめる。




 「ほほう! このタイミングでお渡ししますかそうですか! なんだこう、初々しくて甘酸っぱいですねぇ」




 「ええい! 茶々を入れられるとやり辛いだろ!」




 咳払いをして場を仕切り直す。正直なところサアラに茶々を入れられたおかげで照れくささが抜けた。リフィと目を合わせて、言葉を紡ぐ。




 「髪飾りのリボンだ。きっと、似合うはずだ」




 「あり、がとう」




 リフィは箱をぎゅっと抱きしめる。




 「開けないんですか? 開けちゃいましょうよ?」




 「いいの?」


 箱を抱いたまま俺に許可を求める。包んでもらったばかりでわずかばかりサアラに申し訳なさが残るが、当の本人が開けて欲しそうにしているので大丈夫だろう。




 「ああ、いいぞ」




 リフィは頷いてから丁寧に包装を解き、箱からリボンが姿を見せる。リボンを手に取り、金色の髪に飾り付けてこちらに笑顔を向けた。




 「ありがとう、クラロス」




 胸の奥に熱い感覚が襲ってくる。仮にその感覚がそうなのだとしても、もう少し冷静になれと理性が押さえつける。出会って間もないのだぞと。どうにも自分でも理解しがたい行動に出てしまっている。似合うと思うからプレゼント、など今までしたこともない癖にリフィを想うと気がつけば行動に出ている。




 柄にもない。




 そんな悪態をついてしまう自分に嫌悪感を抱く。




 「どうしたの?」




 ダメだ、退廃的な思考は良くない。いいじゃないか、素直に可愛いと認めよう。




 「いや、なんでもない。思った通り、よく似合ってるぞ」




 「う、うん……えへへ……」




 「さてさて! お熱い所申し訳ないですがお会計をお願いしてもいいですか~?」




 いくつかの紙袋を引っ提げてサアラが手渡してくる。




 「試着はあれだけでいいのか?」




 「ええ、サイズ感を確かめるのが目的でしたので。でも安心してください! 残りの服もバッチリ可愛いですから!」




 サアラのサムズアップ。自信は大アリらしい。




 代金の額をサアラから聞き会計を済ませる。合計金額を予算の範囲内に収めてくれた辺りさすがだと思う。




 リフィに目をやると服が気に入ったのか、姿見の前でいろんな角度から自分の姿を見ている




 「そのまま着ていくか?」




 「うん……!」




 嬉しそうに大きく頷く。それほどまでに喜んでもらえたのなら買いに来た甲斐があるというものだ。




 「それじゃあ着ていた服は紙袋に入れておきますね~」




 サアラは試着室に置いてあったリフィの服を畳み、紙袋に入れる。店を出る前にスカーバラ・フェアの住人でもあるサアラに聞いておくことがある。




 「聞きたいことがあるんだが、何で今日のスカーバラ・フェアはこんなに観光客で溢れてるんだ? 何か祭りでもやってるのか?」




 「ああ……、確かに観光客といえば観光客なんですけど……。なんでも南の方が物騒らしくて、道が封鎖されてるみたいなんですよ。それで立ち往生した人たちがこっちに流れ込んできてるって感じなんです。クラロスさんならその辺、詳しいと思っていました」




 南が物騒というのは帝国がまた戦争を仕掛けるつもりなのだろうか。人間族の領地の南側は龍種の領地である。




 覇族が滅びた今、人間族の脅威となる種族は龍種となった。脅威を排除するという意味では戦いを仕掛けるのは正解かもしれないが、それは今ではない。大事にならなければいいが。




 「まぁ引退した身だからな、得られる情報も一般市民と変わらねぇよ。んじゃ、世話んなったな」




 「あ、ありがとうございました」




 リフィはぺこりとサアラにお辞儀をする。そして俺たちはブティック・トリップを後にした。




 「はい、またのご来店お待ちしておりますね~♪ ―――それにしても可愛かったなぁリフィちゃん。……ソフィアにリフィちゃん、こりゃ私が入り込む余地はなさそうだなぁ。はぁ……パパとママ、早く帰ってこないかなぁ、店番疲れちゃった」




 人が去った店の中でサアラは一人呟くのだった。






×××××






 なんて素敵なのだろうと、私を飾ってくれる装いを身に付けて村を彼と一緒に歩く。一緒にいられるだけで幸せいっぱいなのに服を買ってもらえた、髪飾りのリボンをプレゼントしてくれた、似合ってるって言ってくれた。




 私はこんなに幸せをもらってもいいのだろうか。


 幸せな女の子選手権なんかが開催されようならば、一位をかっさる自信がある。間違いなく私は今、世界一幸せな女の子だ。




 この幸せがもっと長く、一秒でも長く続いたらいいのに。




 だけど、私は彼に隠し事をしている。どこから来たのかも、保護者の有無もはっきり分かっている。




 知ったら、きっと分かってしまうから。




 知ったら、きっと別れてしまうから。




 隠し続けるのは胸が酷く痛むけれど、私はこの姿で彼の傍に居たい。そして彼の傍で助けになりたい。それが私のせめてもの望み。




 でも今だけは我が儘を、幸せを、手を、握ってもいいよね。






×××××






 不穏な空気が流れている。




 肌がヒリつく気配。敵意を持った何かがこちらを伺っている。経験で分かるというのは現役時代において必要不可欠なものだったが、勇者でない今は邪魔なものだと思った。




 俺はもう戦うことを辞めた身だ。こうも鬱陶しい気配が纏わりつくと落ち着いて飯も食えやしない。




 俺とリフィはスカーバラ・フェアを抜け、村の南部にいる。観光客の喧騒は無くなり、石畳の街路に安普請の住宅街が所狭しと敷き詰められている。




 家に帰る前に昼食を買って帰ろうということで、ソフィアの家でもあるパン屋によって帰ろうということになった。住宅街のなかに位置するパン屋は観光客向けではなく、家庭向けの商品が並べられている。もちろん、サンドイッチや菓子パンも目玉商品であり、俺たちはソフィアに勧められるまま数々のパンを購入した。




 そして、外で食べることにした俺たちは公園のベンチで二人並んで思い思いのパンを口に運んでいた。




 「クラロス、食欲ないの?」




 リフィは何かと察知がいいというか俺の感情に敏感だ。俺が不安そうにすると、それが伝染するかのようにリフィも不安そうにする。




 「ん? いや、大丈夫だ。ちょっとばかし空が高ぇなって思ってな」




 サクリとカツサンドを頬張る。ソフィアの勧めどおり揚げたてのカツと新鮮なキャベツの食感がいい。




 空が高いというのは空からよく見えるということだ。有翼系の種族ならば空の上から地上を観察できる絶好の晴れ間。




 チクリと気配が刺す。




 とても嫌な予感がする。今ベンチは南を向いている。つまり視界に移る空は南側、龍種が住まう方角である。




 なんとなく空に向けて目を凝らしてみた。これも勇者時代の癖みたいなもので、嫌な気配があるときはとにかく周囲の警戒を敏感にしてしまう。気配察知と呪力視の二重警戒で視界に映る敵意のある者は数百メートル先だろうと捉えることが出来る。




 ―――空に二つの黒い影。かなり遠い距離にあるので野鳥の類ではない、龍種だ。




 「こっちに向かって来てやがる。リフィ、お前はソフィアの家に行け」




 「クラロス? 私も行く」




 「ダメだ。お前は安全なところで待っていてくれ」




 むぅ、と膨れるリフィ。




 少し前ならまだしも、今の俺に誰かを守りながら戦う自信は無い。 時は一刻を争う。下級龍種程度なら一人でもなんとかなるはずだ。




 俺はリフィを置いて村の外へ走り出す。家に武器を取りに行こうか悩んだが、時間に余裕が無い。下級龍種ならば胸ポケットに入っている護身用ナイフで充分だ。




 住宅街を駆け抜け、憲兵の駐屯所へ立ち寄る。中であくびをかきながら事務仕事と格闘している憲兵に大声で呼びかけた。




 「おい! 南から龍種が二体、ルインに向かってきている! 討伐体を今すぐ編成してくれ!」




 「なんだぁ藪から棒に……、ってぇ! 勇者様!? いったい何事でしょうか!?」




 勇者ではないと訂正したいところだが、今はそれどころではない。




 「ルインの南、龍種二体の飛来を確認した。俺が先に行って足止めをしておく、後は任せたぞ」




 「は、はい! 了解いたしました!」




 詳細を簡潔に伝え駐屯所を走り去る。増援の要請もしたし、万が一中級龍種以上が現れても村民ごと村が壊滅する事態は免れるだろう。中規模の村とはいえ、村民の数はそれなりになる。おまけに観光客も加えると大規模と同等の人の数になる。もし避難勧告が発令されたなら、時間のかかる避難となる。




 俺に出来ることはいち早く接敵し、なるべく村から遠い場所で交戦して時間を稼ぐ。下級龍種ならそのまま討伐、中級以上ならばちとキツいが足止めぐらいはなんとかなるだろう。




 村の外は平原地帯で、遠くに東西を跨ぐような山脈が連なっている。山がちょうど領地の境となっており、山の向こう側は龍種が蹂躙跋扈する国である。龍の国に行こうと思うならば、長い時間をかけて山を掘り進んだ洞窟を抜けるか、山越えをしなければならない。通行規制がかけられているのは洞窟のことだろう。




 平原を見渡し飛来している龍種を確認する。まだ遠い位置に奴らはいる。村の中では駆け抜けた後の風圧で建物を壊しかねなくて使えなかったが、遮蔽物のない平原ならば走技『疾風活脚』を使っても被害は起こらない。




 この走技を使うのも覇族との決戦以来だ。




 足に魔力を流す。魔力の乗りは悪くない、案外動けるものだな―――、




 「がッ……!?」




 赤色の液体が、口から零れる。鉄臭いモノが、鼻の奥を突き刺す。




 体が悲鳴を上げている。だが、止まるわけにはいかない。ここで立ち止まってしまえば、大勢の人間を危険に晒す。あの時の惨劇の繰り返しはもう嫌だ。その思いがなんとか体を動かせた。




 しかし、走技を少し使っただけでこの有様だ。頼むから中級以上の龍種はやめてくれよ、と切に祈る。








 「下級龍種ワイバーンが二体。斥候が目的か?」




 途中で体が限界を迎え走技で移動するのは諦めた。無理やり走り抜けることも出来たが、後々の戦闘に響くことを考えると普通に走った方がまだ勝算はあった。




 目視で姿が分かる程度には近づけた。




 下級龍種ワイバーン。龍種には持ち合わせる知能と力で位を振り分けている。下級と言われる龍種は上級龍種の眷属で、戦力は兵士が2、3人いれば問題なく討伐できる。天才揃いの勇者レベルともなれば羽虫を潰す感覚で蹴散らす。




 二度と戦えない体と医師の診断を受けた今の俺の肉体はどこまで戦えるのだろうか。




 考えてはいけない。考えてしまえば集中を乱してしまう。




 拳大の石を手に取り、目標を宙を飛ぶワイバーンに定める。呼吸を整え、魔力を腕に集中させて石を投擲する。魔力を込めた投擲は大木程度なら簡単に貫通する程度の威力がだせる。




 腕が引きちぎれそうな激痛に襲われる。




 放たれた石はワイバーンの片割れに命中。さすがに下級とはいえ龍種の鱗は硬く、貫通はできない。




 宙でよろめいたワイバーンは俺の姿を捉えるなり急降下して接近する。もう一体は旋回し山の方へ撤退していった。であれば、こいつらの目的は間違いなく斥候だ。何のためかはわからないがこいつを生きて返すわけにはいかない。




 懐のナイフを抜く。急降下による勢いづいた突進を躱す。




 空中の敵を倒すには飛び道具あるいは攻撃魔術で撃ち落とすか、近づいてきたところをぶちのめす。俺の今の体では魔術を使えば反動で肉体が崩壊を起こしかねない。狙うは次の急降下。


魔力で筋力を強化させナイフを構える。




 ワイバーンは肉体こそ強靭だが攻撃は単調だ。冷静に落ち着いて機会を伺えばこちらに分がある。


上空から再びワイバーンは急降下を仕掛けてくる。狙いはもっとも鱗が薄い首。




 ワイバーンの鋭い爪を跳んで躱し、ナイフを首にねじ込み地面へ叩きつける。自分の体が反動で軋む。血の涙が噴き出す。




 朦朧とする意識を叩き起こし、刺したナイフを引き抜く。ナイフに魔力を付与し、切れ味を鋭利にする。片手で首を押さえつけ、ナイフの切っ先をワイバーンの眼孔へ押し込んだ。




 ワイバーンが暴れる。押さえている手にワイバーンの鱗が突き刺さり皮膚をズタズタに引き裂く。だがここで放してしまえば仕留める機会を失う。痛みを堪え、刺したナイフを拳で叩く、叩く。


ナイフが眼孔を突き破りワイバーンの脳へと達する。




 脳を貫かれたワイバーンは激しい慟哭を上げ、生命を散らせた。




 「元勇者がワイバーン……相手に、満身……創痍とは……笑え、る、な‥‥…」




 全身の筋肉が悲鳴を上げる。内臓が熱く燃える。




 立つこともままならない。




 意識が、遠く、揺れ―――。




 「クラロス!」




 幻聴か、走馬灯か、リフィが俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。それを最後に、俺の意識は暗闇へと消えた。






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