薄灰と純白の景色
病める男の隠居生活
「―――て…。おき―――、起きてください、クラロスくん」
「……う、ん―――?」
体を揺さぶられ薄い光が視界に入ってくる。体は重く、頭が痛い。
「もうお昼過ぎですよクラロスくん。昨日も遅くまでお酒飲んでたんですか?」
黒髪に翡翠色の瞳をした少女が床に落ちている酒瓶を溜息交じりに拾い上げる。
名前をソフィア・ハインルグ。歳は18で2年前にエルフ族に誘拐されたのを俺が助けたことをきっかけに顔見知りとなった。
「金はあるんだ、俺が酒を飲むのは俺の自由だ」
「そうですけど…。毎日だと不摂生すぎますよ。ご飯用意したので食べてください!」
ベーコンと野菜のサンドイッチが入ったランチボックスをテーブルに置く。散らかっている食器をテキパキと片付けて、お湯を沸かして俺と自分の分のコーヒーを淹れてくれた。
ソフィアはこうして俺の世話を焼いてくれる。誘拐事件の恩を返したいのだろうと、勝手に想像し甘えてしまっている。
「いつも悪いな、ありがとう」
「いいえ~。私、クラロスくんが元気になるまで支えるって決めてますから!」
ソフィアは健気に笑顔で答える。
施療院で目覚めて一ヵ月の療養を経て、俺は故郷だったルインという村に身を置くことにした。龍種によって一度損壊した村だが、今は着々と復興が進んでいる緑が豊かな村なので隠居するにはうってつけの場所だった。
俺は勇者生活で貯めておいた金で家を買い取り、おおよそ半年の間一日中酒を喰らう自堕落な日々を送っている。酒の味はわからないが、酔えるというのは生きていくうえで誤魔化しのきく薬だった。
「ん、おいしい」
「本当ですか!? 良かったぁ」
正直のところ味がわからなかった。あの日から何を食べても味覚を感じない、せいぜい痛いとか熱いぐらいだ。だが、せっかく作ってもらった手前、こうして嘘をつくしかないのだ。
「クラロスくん、よければお散歩に出ませんか? お部屋にばっかりいても元気はでませんよ?」
「わるい、今日はそういう気分になれないんだ。目的もなく外に出るのは苦手なんだ」
「だったら目的を作りましょう! そうですね~、あ! 今日は初物の葡萄酒が入荷されるみたいですよ? 私も飲みたいので一緒に買いに行きませんか?」
少し考える。味を感じないので初物だとか年代物だとか言われてもあまり関係が無い。だが、そろそろ備蓄しておいた酒が無くなりそうだったので買いに行く必要はある。
「わかった、一緒にいくか」
「はい! 葡萄酒楽しみですね♪」
昼食を終えて久方ぶりの外出、太陽の光が目の奥を刺激する。土と木々の匂い、二日酔いの倦怠感を風が攫ってくれる。
「今日は気持ちいい風が吹いてますね~。外に出て正解でした!」
「そうだな」
石畳の道を歩いて村の中心部に向かう。ルインの村は中規模の村で田舎でありながらも帝都に負けず劣らず商業区域周辺は活気が溢れている。昼時にもなると食べ物の屋台がいたるところで開かれる。
「クラロスくん見てください! アイスクリームの屋台ですよ! 帝都での流行りがこの村にも来たんですね。食べてみませんか?」
「あ、ああ…」
『帝都に新しいアイスクリームのお店ができたんだけど、ちゃっちゃと終わらせて食べに行きましょうよ!』
―――決戦前のリューレの言葉が脳裏に蘇る。
いつまで友の死を引きずっているのか、我ながら情けなく思う。戦場では誰かが死ぬというのは当たり前のことだ。昨日一緒に笑っていた奴が、次の日には死体になって帰ってくるということは珍しくない。俺はそれに慣れていたはずだった。はずだったのに、心が晴れない。
「フレーバーがたくさんあってどれにするか悩んじゃいました。……クラロスくん、どうかしましたか?」
アイスを両手に持ったソフィアが不安気に俺の顔を覗く。
「―――いや、なんでもない。ありがとう、いくらだった?」
俺が財布を取り出そうとすると、それを止めるかのようにソフィアは片方のアイスを差し出した。
「お代はいいですよ。買い物に付き合っていただいてるお礼です」
「だがな―――」
「早く食べてしまわないと溶けちゃいますよ? ん! 甘酸っぱくておいしい!」
「じゃあご馳走になるよ」
アイスを一口。冷たい。アイスの中に砕いたナッツが混ぜ込まれており、濃厚な舌触りと共に歯ごたえも感じられる。味は相変わらずわからなかったが、ソフィアとは違うフレーバーなのだろう。
「ソフィアは何のフレーバーにしたんだ?」
「私のは木苺とブルーベリーにしました。……一口どうですか?」
ソフィアは恥ずかしそうに自分のアイスを差し出してくる。
「いいのか?」
「はい……、思いっきりいっちゃってください!」
アイスに思いっきり噛みつくというのはなかなか勇気のいるものだと思う。冷たさ的に。
「じゃあ交換しよう、俺のアイスも思いっきりいってやってくれ」
「は、はい……ありがとうございますぅ」
手に持ったアイスを互いに交換して一口。ソフィアには申し訳ないがやはり味はさっきのと同じように感じる。
「クラロスくんのアイスも甘さ控えめでナッツがいいアクセントになってますね」
「ああ、ソフィアのもうまかったぞ」
「ですよね! 帝都には素敵な食べ物とかたくさんあっていいな~」
「帝都に行きたいのか?」
「住みたいとかじゃないですけど、一度くらいは行ってみたいですね。雑誌なんかで時々帝都にあるお洒落なカフェで紹介されているんですけど、そういった場所で優雅なひとときを過ごしてみたいなぁって思っちゃったりします」
「お洒落なカフェくらいならこの村にもあるだろ?」
帝都に比べて店の数は少ないが、ルインの村にもそれなりにお洒落なカフェはある。
「帝都で、っていうことが大事なんですよ? 憧れの場所で何かをするというのは心を満たしてくれるものなんです」
「そんなものなのか」
「そういうものです」
これが乙女心というやつなのか、俺にはその憧れというのがいまいちピンとこなかった。
ソフィアとのお喋りをしているうちに俺たちは酒問屋に着いていた。酒問屋といっても酒だけではなく食料品も売りに出していて、ルインでの生活を始めてから一番世話になっている店である。
「あいいらっしゃい。って勇者様じゃないですか」
新聞を読みながら店番をしていた小太りの店主が俺をみるなり新聞を棚に置いて立ち上がる。
「勇者はよしてくれと言っただろ、俺はもう聖人じゃないんだ」
俺はすでに勇者ではない。
帝都を出る時、俺は教会に聖人認定の取り下げを願いでたのだ。戦う意味も意思も失ってしまった俺に聖人と祀られる資格はない。
司祭たちは俺の聖人認定取り下げを渋ったが、肉体が機能していないことを伝えるとそれを承諾した。司祭にならないかと誘いを受けたが、人類を守る気力を無くした者に務まるわけがないと断った。
「ああそうでした、すまないねクラロス君。今日はソフィアちゃんとデートかい?」
「で、で、で、デートっ?!
店主の冷やかしに頬をほんのり紅く染めるソフィア。デートといえばデートなのかもしれないが、ただの買い物なので大袈裟にすることもない。
「初物の葡萄酒が入ったと聞いてな。店主のおススメを2本程見繕ってくれ。あと、いつもの食料と酒樽一つ後から配達を頼む」
「毎度、代金は全部一緒でいいかい?」
「ああ、一緒で頼む」
代金の支払いを済ませようとするとソフィアが割って入ってきた。
「初物葡萄酒の代金おいくらですか?」
「2本で600チルだよ」
店主から値段を聞くなり自然な動作で財布を取り出した。
「まぁ待てソフィア、代金は俺が払うよ。アイスクリームの礼だ」
「いえそれだと割りに合いません! せめて自分の分くらいは払わせてください!」
さて困った。一見大人しそうな彼女だが、意外と頑固なところがある。情けない姿を見せてばかりだから少しはいいところを見せたいのだが。
「ソフィアちゃん、ここはクラロス君にいい格好させてあげるのもいい女の秘訣だよ」
店主の助け舟。頑固になったソフィアの考えを変える言葉に迷っていたからナイスなタイミングだ。
「うう、わかりました。でも、一緒に飲んでくれますよね?」
残念そうに財布をしまう。そして上目遣いで迫る。
「ああ、そういう約束だからな。店主、代金はこれで足りるか?」
「はいはい、これおつりね。あとはオマケのハムも付けておくよ。二人で食べな」
葡萄酒とハムが入った紙袋を受け取る。食料と酒の調達も出来たことだし、帰るとしよう。
「ソフィアはこのまま家に来るのか?」
「そうしたいところですけど、用事を思い出したので一度自分の家に帰ります。あ! でもそこまで時間はかからないと思いますので!」
「わかった、気をつけてな」
軽い足取りで自宅に戻るソフィアを見送って、俺も家へ向かう。たまには少し遠回りして帰ってもいいだろう。
ルインは俺が6歳の頃、龍種の眷属の群れが襲撃し瞬く間に壊滅状態へ陥った。それから14年の年月をかけて着々と復興が進んでいる。建物は増え、畑は広がり、人が集まる。村の機能は俺がルインで暮らしていた頃と遜色ないところまで回復したと言ってもいいだろう。
(ソフィアには感謝しないとな…)
俺が村にやってきてソフィアと再会したことには驚いた。彼女はルイン出身ではない。彼女の家族は別の村で生活していたが、エルフの襲撃によって家族は殺され、誘拐されたのだ。そして、それを救出したのが彼女との出会い。
その後彼女は摩耗した精神の回復の為に別の村での療養に当たっていたと聞いていたが、それがルインだった。
両親を失ったソフィアは今、パン屋を営んでいる老夫婦の元で暮らしている。当時16歳の彼女に一人で生活は経済的に厳しかった。それを見かねた老夫婦がソフィアを引き取って、パン屋での仕事を与えた。
そして俺はソフィアと再会した。
顔を合わせた時はとても嬉しそうな顔をしてくれた。俺も彼女が普通の平和を取り戻せたようで安心した。だが、俺が勇者を引退したことを聞くと少しがっかりした様子を見せた。
それからだ、彼女がたまに俺の家に来ては食事や掃除の手伝いをしてくれるようになったのは。最初は断ったが彼女は頑なに手伝いを申し出てくれた。「好きでやってますから」と優しく微笑みかけてくれる。
家に着く。
(たまには自分で片付けよう)
外出したおかげで陰鬱としていたものが少し和らいだので、片付けの意欲が湧いてきた。
―――コンコンコン
玄関から軽いノック音が響く。
「ソフィアか? 入っていいぞ」
―――コンコンコン
ソフィアではないらしい。
俺のところに訪ねてくるのは酒屋の店主かソフィアぐらいだ。念のため気配を探る。扉の向こうからは敵意を感じない。
なら、ただの来客だろう。俺はドアノブに手をかけてゆっくりと扉を開く。
「どちら様で―――っ!?」
金色の小さい何かが全力で胸に飛んできた。
「ずっと…ずっと、お話し、したかった…! やっと、会え…た! 好き―――! クラロス!」
透き通るような白い肌をした金髪碧眼の少女は、涙ながらに言葉を紡ぐのだった。
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