強き者たちの果て




 「―――禁呪、禁技。人の身で余す業を持ってオレを倒すか……。脅威は聖槍だけだと侮っていたのが裏目に出たか。人間の底力、称賛しよう」




 大広間の床や天井は液化し、所々に硝子が出来上がっていた。調度品は全て灰に還り、残っていたのは地に伏す覇王と、肩で息をしているクラロスだけだった。




 「うるせぇ、さっさと……逝きやがれ……。こっちは、意識保ってんのがやっと……なんだ」




 「オレの死に際を見届けるか…。悪くないな」


 覇王は天井を見つめていた瞳を閉じ、大きく息を吸う。




 「ああ、悪くない。オレを倒す者が貴殿らでよかったと思う……。一族を未来には連れていけぬがこの願いは貴殿らに託そう。苦難の道に、闘争と混沌の道に、幸あれ……」




 ―――静謐が訪れる。




 クラロスは3時間という長丁場の末、覇族の王を倒しきったのであった。




 体の支えにしていた聖槍から手の力が抜けて、その場に倒れこむクラロス。奥の手として使用した禁技の反動が肉体へと返っていく。




 「がはッ……! くそ、わりぃカルム、リューレ……。お前たちを、迎えに……行けそうに、ねぇや……」




 腹の奥から鉄臭いあついモノがこみ上げてくる。


 肉体的にも精神的にも限界を迎えたクラロスは薄れていく視界の中、ただ仲間の安否を願った。




 意識が飛ぶ直前、聖槍グリフィリーベがほんの少し煌めきを帯びたような、そんな気がした―――。






×××××






 走った。怖かった。




 走った。次は自分の番だと思った。




 走った。助けて欲しいと願った。






 少年は呼吸を忘れて夢中で山を走り続けた。蔦に皮膚は裂かれ、足に枝が刺さる。それでも確実に近づいてくる死から逃げ続けた。




 初めは村だった。




 龍種の眷属が村を襲い、民家を次々と火の海に変え、嵐で吹き飛ばした。




 応戦に出た大人たちは皆、龍種に攫われていった。若い人間は龍種にとってのごちそうなのである。子供ともなれば珍味のなかの珍味だと、子供を怯えさせる昔話で聞いた覚えがある。




 「お前は母さんと逃げろ!!」




 父さんが叫んだ。その叫び声に龍種は反応し、みるみるうちに父さんを囲い込んだ。




 母さんは俺を抱いて走る。




 きっとその瞳には涙が流れていたと思う。抱かれていたからはっきりと覚えていない。




 「あなたは先に逃げて!!」




 母さんは足を怪我した。もう走ることはできないと判断して我が子だけでも逃がそうとしたのだ。




 だけど子供だった俺には母親のその心がわからない。だから嫌だと言った。




 「大丈夫、すぐに追いかけるから…」


 母さんの顔は優しかった。




 俺は母さんの言葉を信じて走った。いや、本当は気がついていた。母さんは追ってこないと―――、




 (嫌だ、嫌だ、嫌だ―――! 死にたくない、死にたくない、死にたくない―――!)




 龍種の雄叫びが近くまで来ている。死がすぐそこまで迫っている。




 (誰か…! 誰か、助けて…!!)




 夢中で走り抜けた先は行き止まりだった。崖を登るには体力も時間もない、背後からは龍種が来ている。俺は呼吸を激しく乱した。




 龍種がその姿を見せた時、俺は死を悟った。父さんと母さんが必死につないでくれた命のバトンを取り損ねたのだ。




 龍種はブレスの態勢に入った。丸焼きにされて、エサとして持ち帰られるのだろう…。




 諦めに近い考えをしていると、一筋の光が目の前に落ちてきた。




 「これは―――?」






×××××






 「―――!?」




 全身が酷く痛む、吐き気がする、気分は最悪だ。




 見慣れない白い天井、薬品の匂い。状況から察するに俺は病院のベッドで寝ていたのか。




 「やぁ、ようやく目が覚めたようだね。これで俺の任務もお終いだ」




 乾いた笑みを浮かべる男が俺の顔を覗き込んだ。




 「シェルロ・サハルか…。どうしてここに…?」




 シェルロ・サハル。彼も教会から聖人認定を受けた勇者の一人である。クラロスが覇王討伐の任務に当たっていた頃、南の勢力である龍種の侵略を阻止するため別の任務に当たっていたのだ。




 「目覚めて一番にそれかい? まぁいいや、龍種の防衛線は想定していたよりも緩やかでね、君たちが覇族を討伐したという知らせと同時に撤退命令がでたんだ。何事かと思えば傷だらけの君の護衛しろだなんて、教会も聖人遣いが荒いね」




 黒髪と灰色の瞳。華奢な顔立ちをした青年シェロはどこから持ち出してきたのか、コーヒーセットを病室で広げていた。




 大輝剣シリウスの所持者にしてアーミースレイヤーとも異名を持つ彼だが、その実態は非常にマイペースな潔癖症のドSなのだ。重症の患者が隣で寝ていようと彼には関係ない。




 「俺はどのくらい寝ていたんだ? 戦いはどうなった? 皆は無事なのか?」




 「そう慌てるなよ煩いな。まったく、とんだ面倒ごとを押し付けられたよ」




 不機嫌そうにコーヒーを一口。カップをテーブルに置いてホワイトボードを取り出してきた。




 「そうだね、こういう時はこう言えばいいんだろ? 君さ、良い知らせと悪い知らせどっちから聞きたい?」




 「その二択を迫るときは大抵の場合悪い知らせの方が最悪で、良い知らせごと揉み消してしまうのがお決まりだろ…? ―――良い方から頼む」




 「君ならそう選ぶと思ったよ。じゃあ良い知らせだ。君たちは無事覇王とその軍の討伐に成功した。君が施療院に運ばれる2週間前だね。これによってここ数十年は覇族勢力からの侵略は弱まるだろう。今じゃ帝都ではお祭り騒ぎさ、煩くて仕方がない」




 つまり俺は2週間も眠っていたことになるのか。それにしても体が思うように動かない、固定されているのを加味しても指先に力が入りにくいのは変な感じだ。




 シェロはホワイトボードに手を掛けしばらく動きが止まる。さっきまでの不機嫌そうな表情とは裏腹に、何か躊躇っているようにも感じる。




 「シェロ…?」




 「―――君にとって悪い知らせはふたつだ。……ひとつ目は、カルムとリューレは死んだ」




 「―――え?」




 あのふたりが。死んだ……? 追いかけても追いかけても掠りもしない天才たちが……? 約束だってした、生きて帰ると。




 「―――冗談はよせよ」




 「俺が冗談を言うと思うかい? ……気に食わない奴らだったけど、惜しかったね。それに仕事はきちんとこなしたそうだよ」




 シェロは言葉を続けていた。




 カルムは命を代償に己の身体能力を高める技の乱用、ギリギリ生きて帰る余力を残していたと思われるが、ゼルガシュの死に際の一撃で相討ちとなった。




 リューレは万物全てを凍らせる魔術を使用、コロフネラを凍結させるには自身ごと氷漬けにする必要があり、救護班が駆け付けた時にはリューレとコロフネラは氷の中にいた。リューレだけを削り出そうと試みたが、氷に触れた途端全てが雪へとなったという。




 シェロは淡々と語る。仲間を失ったというのにどうして平気なんだ。




 「―――聞いているかい?」




 「…………」




 言葉が出ない。どうして…、どうして俺は、あいつらを迎えに行かなかったんだ。行けたのならあいつらが死ぬことを止められたかもしれないというのに。




 「―――話す順番を間違えたか。あのねぇ、今から話すのは君自身のことだ。まったく、本来なら医者の仕事だってのに……」




 「……なんだよ、俺自身のことって」




 「その前に一つ質問だ。君、何回禁呪と禁技を使った?」




 「―――覚えている限りで禁呪は8回、禁技は10回以上使った」




 俺の言葉を聞いてシェロは大きく溜息を吐いた。そして、手にかけていたホワイトボードに次々と透析写真を張り付けていった。




 「これは君の全身の骨を写したものだ。酷い有様だ、全身の骨がヒビだらけだ。おまけに筋肉質は今にも崩れそうで、内臓もほとんど機能していない。生きているのが不思議なくらいだ。


 この損傷は全て禁呪と禁技の反動だ。


 凡人が使っていい限度以上の回数を超えた結果がこれだ。つまり今の君の体は、もう使い物にならない」




 「―――使い物にならないって…」


 より一層、不機嫌な表情を強めてシェロは俺を睨む。




 「はっきり言ってあげると、君はもう戦えない。下手に魔力なんて使ったら即死ものの怪我だよこれは」




 無慈悲な宣告だった。




 正直、自分の体についてはあらかた覚悟していた。何が何でも生きて戦場から帰るため、無茶をしたのだ。それ相応の報いは受けるつもりでいた。




 「俺の……、俺のことはいい。俺たちが守った国はあいつらをちゃんと弔ってくれたんだよな? 悲しんでくれたんだよな?」




 「さぁね、少なくとも今の帝都ではお通夜っていう雰囲気ではないよ。どこもかしこもやれ平和だの、やれ祝勝だの目出度いやつらばかりが騒いでいる。勇者が死んだことなんて、精々名誉の戦死程度にしか思われていないよ」




 どうして……、どうしてなんだ。どうして誰も悲しまない。どうして誰もあいつらのことを見てやらないんだ。




 俺が守りたかったのは、そんな奴らだったのか?




 俺が本当に守りたかったのは何だったんだ?




 そんな自問自答が頭の中で螺旋する。それほどまでに仲間を失った悲しみが心を大きく抉ったのだ。




 「君はこれからどうするんだい? まさかとは言わないが戦場に立つとは言わないでくれよ?」




 「―――俺には無理だ……。体はともかく、何のために戦ってきたのか分からなくなってしまった」




 「そう……。司祭には療養させるって伝えておくよ。あと、君の聖槍グリフィリーベだけど、教会本部に保管してあるから。君が生きている限りアレは君の物だ」




 「ああ…わかった…」




 「俺はしばらく帝都を離れる。勇者が三人も欠けてしまっては今後が不安だからね。無垢杖ジャンヌ・ブランシュと護刀・透刃斬牙の適合者を探しにいくよ。


 何かあったら手紙でも寄越してくれ、兄弟子のよしみとして微力ながら助けてあげるよ」




 「ああ…」


 シェロは肩をすくめて病室を出て行った。彼なりに俺に気をつかって一人にしてくれたのだろう。




 これから先、どうするか。




 そんなことは今の俺には到底考え付かないし、考える気力も湧かなかった。






 こうして俺は事実上、勇者の引退を選んだのであった。






×××××






 教会の地下神殿に聖槍が保管されている。




 深紅の聖骸布に包まれ、煌びやかな装飾が施された保管箱に入れられる。




 主の元から長らく離れることが無かった聖槍グリフィリーベは、薄暗い保管箱の中で主を待ち続けていた。




 道具に心があるとするならば、それはとても寂しい時間だった。






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