第261話 いつか、言えたらいい(社会人女性。友情片想い?)
(あ、今の)
私は、走るスピードを緩めて、振り返った。
(やっぱり)
通り過ぎるときに見えたトートバッグ。
何処かの美術館のもの。
それに見覚えがあって、「あれ?」と思い、振り返って後ろ姿を確認する。
(
踊るように軽やかな足取り。短い髪が、風にさらりと揺れる。
たぶんだけど、同期の日南さんだ。
ボーッと走っていたから、気付くのが遅れた。
河原でのジョギングは、趣味……というより、日課のデトックスに近い。
走っていると、日常のあれそれ……些細なミスとか、ちょっとした人の嫌味とか、そういうのをいちいち気にしちゃうこととか……を、その間だけすっかり忘れることが出来る。
だからまあ、こういうとき周りへの反応がちょっと遅れる。
(わあ、挨拶すれば良かった)
バイザーを付けてたから、たぶん向こうも気付かなかったのだろう。
(お家、本当にこの近くなんだ)
日南さんと私は、同期と言っても別部署だからほとんど関わりは無い。
廊下ですれ違うときに、挨拶をする程度。
だけど、私は日南さんが好きだった。
好き、というより、憧れだろうか。
日南さんは、いつ見てもひとりだった。
誰かとランチをするところも、給湯室で短いお喋りに興じるところも、見たことが無い。
休憩のときは、黙々とひとりでお弁当を食べ、帰りもひとりで颯爽と帰る。
同僚や先輩は「日南さんって、いっつもひとりじゃない?」「かっこいいと思ってるのかな」「話すといい人なんだけどね」と陰口すれすれのことをたまに言っているけれど、私は彼女が好きだった。
誰とも群れず、かと言って人を邪険にすることもなく。話しかければ普通に、何となれば他の人より親切に返してくれる。
ひとりだけど、いつも何処か上機嫌だな、と気付いたときには、目で追っていた。
お昼ごはんを満足げに、美味しそうに食べていたり。
残りの昼休憩も、たいてい楽しそうに本を読んだり、何かの動画を見たりしている。
あの人の周りだけ、パッと空気が明るいように見える。
机の上に飾ってあるポストカードを新調したときは、更に上機嫌になる。周りの明度も上がる。
いつかの雑談の折「ひとりで美術館巡りをするのが趣味だ」と言っていた。
色々な絵をのんびりじっくり見るから、ひとりが気楽でいいのだと。
先輩たちは「何か寂しくない?」と後でこっそり笑っていたけど、私は全然そうは思わなかった。
ここの美術館、すっごくいいからおススメだよ、とトートバッグを撫でたときの顔が、本当に愛おしそうで、キラキラしていたのだ。
ああ、いい顔だな、素敵だなって、心の底から思った。
あれからずっと、私は日南さんのファンだ。
日南さんがマイペースに働いている姿を見ると、こちらまでホッとして、ちょっと気持ちが明るくなる。
ひとりでもまったく寂しそうでなく、ご機嫌にしているのを見ると、とてもいいものを見た心地になる。周りに垂れこめるしがらみが、一瞬だけでも無くなったように感じる。
(あ、挨拶してみようか……でも、一度通り過ぎてまた戻って来たってなったら、気持ち悪いかなあ。けど、気付いて無さそうだったし、でも……)
どんどん遠ざかる背中は、青く夜に染まりつつある空に溶けていくかのようだ。
(いつか)
もっと話せたらなあと思う。
あのひとのペースを乱すことなく。
もうちょっとだけ、お話出来たら。
あのひとの空気に触れられたら。
私は一つため息を吐くと、踵を返して、ジョギングに戻った。
夕陽が、とぷんと雲の向こうへ沈もうとしていた。
END.
日南さんはこちら(https://kakuyomu.jp/works/16816452220371917465/episodes/16817139556413094006)の。
恋愛だけでなく、「友だちになりたいなー」って片想いもありますよね。
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