第131話 子どものころみたく「またあしたね」と言うだけの関係性は


 散歩が趣味だ。

 それも早朝。気の早い勤め人たちが出てくる時間より、少し早めの時間の散歩。

 特に冬の散歩はいい。

 高くて、冴え冴えとしている水色の空。

 見通しの良くなった公園の木々。ツンと痛くなる鼻の奥、白くなる吐いた息。

 コツコツと、ブーツの足音が高らかに鳴る。他の季節よりも、遠くに響く気がする。

 普段は、家の周りのひと区画、あるいは斜め向かいにある公園程度で済ますのだけれど(あまり長く散歩していると、勤め人が増えて嫌なのだ)。

 久しぶりに、母校の方へ足を向けた。

 大人の足で徒歩十分。子どもの足だと、倍くらいかかる。小学生時分は、長く感じたものだ。

 コツコツ、コツコツ。

 水色に晴れた空。キンと冷えた空気。アスファルトを叩く靴の音は、高く遠く響いている。

 家々は、まだシャッターや雨戸を閉めて、だんまりを決め込んでいる。ここは山の上の住宅地だから、シャッターなんかを閉め忘れると冷気が染み込んでえらく寒くなる。

 コツコツ、コツコツ。

 白いアパートの並ぶ坂道を、足音高らかに下りていく。

 途端。視線が、勝手に左横の角に移動する。

 私がここを通るとき、必ずあの角から、

『おはよっ』

 友だちが飛び出して来たものだ。

 今はもう、地元ここを離れ、隣県に就職、一人暮らしをしている友人。一年に一回、会うか会わないかになってしまった。

『おはよっ』

 私も挨拶をして、すぐにこう言うのだ。

『昨日の、見た!?』

 たいてい、アニメの話だ。それか、漫画の発売日だったら漫画の話。

『見た見た! かっこよかったよね! 新ロボ登場はしびれる!』

 ひとしきりアニメの話題で熱くなりながら、横断歩道を渡って、あの校門をくぐる。

 校門をくぐるあたりで、また別の友人と一緒になることも多かった。

『おはよう! 何話してんの?』

 そこでまた、ひとしきり熱くおしゃべり。

 彼女も、遠くへ行ってしまった。付き合っていた人の転勤に合わせて結婚して、そのまま。

 私は、慎重に横断歩道を渡り、校門の前に立った。校門はまだ閉まっていて、学校も、早朝の闇とも言えない蒼い影に静かに沈んでいる。

(……あのころ)

 こんな関係が、ずっと続くと思っていた。

 好きなものについて語り合って、ただ「いいね」「楽しいね」と笑い合って。そして夕方には「またあした」と手を振って、別れる。次の日、また同じように会う。

(それだけで、良かったのにな)

 好きなことを好きなだけ語り合う。ただ、それだけ。たまに愚痴を言ったりもするけど、でもほとんどは好きなことについて話して、美味しいものを食べて。

 それで「またあしたね」と言う。また明日も会う。

 それだけの関係が、どうして成長していくにつれて難しくなるのだろう。

(あの頃みたいに、そんな関係のひとと毎日会えたら)

 どれだけ、倖せだろう。

 恋愛とか、結婚とか、仕事とか、そんなこと関係なく。

 そんな時間と空間があれば、どれだけいいだろう。

 私はため息を吐いて、踵を返した。

 やっぱり、母校の方向は鬼門だ。無いものねだりをしてしまう。

 失くしたものを追ってしまう。無意識に。それは危険だ。

 寝坊気味の朝日が、やっと姿をぜんぶ現わした。

 まるで太陽の光で咲く花のごとく、家々のシャッターや雨戸がひらき出す。

 ガタガタ、がらがら。音が増えていく。

 いってきます、と何処かの家から声がする。

 早く帰ろう。

 帰って、熱いお茶を入れて、そしてさっさと仕事に取りかかろう。

 私は、逃げるように足を速めた。


 END.

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