第104話 不安の中で(男女恋人同士)
「不安が心の中で大暴れしてるとき、他の人はどうしてるんだろう」
彼女が、窓辺で蹲りながら言った。
「みんな、どうやって抑えてるんだろう」
外では雷がゴロゴロと鳴り、不穏な気配。細く開けた窓からは雨の匂いが、ムッと香った。
「不安を口に出すなってみんな言うし、泣くなって言うけど、抑えきれないくらい怖いとき、みんなはどうしてるんだろう」
ギュッと自分を抱きしめながら彼女が言う。
「確かにみんな、私ほど怖がってない。みんなは、どうやってこの不安とか恐怖を抑え込んでるんだろう」
よく見ると、彼女は微かに震えていた。
泣きそうだけれど、決して泣かない瞳が揺れている。
「叫び出したくなるくらい怖いこの不安を、みんなどうやって宥めてるんだろう」
「うーん……多分なんだけどさ」
僕は、温かな紅茶を入れながら言う。
「みんな、君ほど不安を感じてないだけだと思うよ」
ポットにお湯を注ぐとふわり香る柑橘系の匂い。
アールグレイの、濃く爽やかな匂い。僕と彼女の好きな匂い。
「みんな、誰かの空気がちょっと変わったくらいじゃ変わったって気付かないし、先のことについて怖い考えが次から次へ湧き出すことも無いし、わからないから恐ろしいことが起こるって感覚も多分無いよ」
「……本当に?」
「とりあえず、僕は無いし、君が言うから君の中にはそれらがあるんだって思ってるけど、他の人からはあんまり聞かないな」
「……無いから、私の言うことは嘘だって思ってるのかなぁ」
彼女が、茫洋とした声で言った。
「嘘だとまで思ってるかは、僕は他人じゃないからわからないけど、でもよくわからないなぁって思うから単純に否定するんじゃないかな」
「……でも君は、私を否定しないね」
彼女の言葉に、僕は吃驚して即座に返した。
「しないよ。するわけないじゃないか。他人の考えたことや感じたことは究極、誰にもわからない。わかるのは、その人の中ではあるとなっていることだけだよ。わからないことだらけなのに、その唯一わかってることを否定してどうするんだい」
「…………ありがとう」
「お礼を言われるほどのことじゃないよ。それより、今不安が溢れそうなんだろう? 大丈夫?」
「君と話してたら、少し、マシになったかも」
「ふむ。でも少しだろう? ……なら」
はい、と腕を広げる。
「おいで。人肌は、とりあえずの効果があるんだろう」
「うん」
飛び込んで来た彼女を思い切り抱き締める。
ぎゅっ、と。力強く。
ピシャンと鳴る雷に、連れ去られたりしないように。
「ありがとう」
「どういたしまして」
彼女の胸の奥から彼女を侵蝕しようとする不安に、負けないように。
「不安、早く溶けるといいね」
「うん……」
不安は、きっと消えない。
けれど、あと少ししたらゆるりと溶けるだろう。
だから、このままもう少し。
柔らかな温もりに、不安を溶かしてしまいたかった。
END.
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