紫焔に

有理

「紫焔(しえん)に」

※同性愛が苦手な方はご注意ください


潮見由実 :

(しおみ ゆみ)

相良(花咲)紫:

(さがら〈はなさき〉ゆかり)




名前のみ登場

花咲慶一郎…紫の夫

(はなさき けいいちろう)

礼(あや)…由実の元クラスメイト


…………………………………………


由実「ゆかり。」

紫「なに?」

由実「私ね、」


紫「やだ。」


紫「言っちゃやだ、ゆみ。」


由実N「悪戯に、私の唇を塞いだ彼女の人差し指。」


紫「秘密にしてて。一生。」


由実N「私はあの日の蜘蛛の巣に、ずっと囚われたまま。」


紫(たいとるこーる)「紫焔に」


……………………………………………


由実「ゆかり。」

紫「ゆみー。久しぶり。」

由実「久しぶり、元気だった?」

紫「うん。いろんなことがあったんだよ。」

由実「そうなの?1から聞こうかな!何飲む?」

紫「カフェラテ。ホットで。」

由実「この初夏にホット。」

紫「寒いの嫌いなんだもん。エアコンついてるし。」

由実「相変わらずね。」

紫「ゆみは?」

由実「あ、これにしようかな。」

紫「…ビール?」

由実「ノンアルコールよノンアルコール。このカフェ昼間からアルコール出してくれるから好きなの。」

紫「相変わらずね。」

由実「真似っこだ。」

紫「ふふ。」


由実「それで?何があったの?」

紫「お友達ができたの。」

由実「そう。珍しい。」

紫「でしょ?ゆみ以来。」

由実「それは言い過ぎ。」

紫「ううん。本当。」


紫「由実だけだよ。私のことちゃんと見てくれるの。」


由実「…そうかな。」

紫「そう。…ねえ、覚えてる?」

由実「なに?」

紫「高校入ってすぐくらい、図書室でさ。」

由実「ああ、どこかの誰かさんが派手に告白されてたこと?」

紫「あー。懐かしいねそれ。」

由実「私結構根強い記憶だけどなー。」


紫「あの日は、」


……………………………………………………


由実N「指の骨折で吹奏楽部を辞めた。好きでもない音楽に何ら未練もなかった。放課後の時間を持て余した私はまた、好きでもない読書で時間を浪費していた。」


紫「何ですか?用って。」


由実N「よく知る声が図書室に響いた。相良 紫。小学校の頃から一緒の誰もが羨む美人だ。」


紫「なに?」


由実N「側に立つ男子生徒を見て告白現場だと分かった。そっと、本で顔を隠してみるが手遅れだろう。」


紫「ありがとうございます。でも応えられません」


紫「私、」


由実N「ふ、と目が合った」


紫「あの子が好きなので。」


由実「…は、」


紫「ふふ。」


由実N「その瞬間、私の普通の世界は終わった。」


…………………………………………


紫「あの時のゆみの顔、可笑しかったなあ。」

由実「普通友人を告白振る理由に使ったりしません!」

紫「そうだね。普通はね」

由実「普通、はね。」

紫「ゆみはいつも私の味方でいてくれるよね」

由実「まあ、友達だからね。」

紫「友達、ね。」


由実「…花咲くんは?元気?」

紫「うんー。」

由実「上手くやってるの?」

紫「それなりに。」

由実「そ?新しいお友達とばっかり遊んでちゃ、出禁くらっちゃうよ?」

紫「しないよ。そんな子供みたいなこと。」

由実「わかんないよ?」

紫「そういえば、ゆみはしてたね。」

由実「え?」

紫「子供みたいなこと。」


………………………………………………


紫N「秋の暮れ。ベージュのカーディガンがそっぽを向く。」


紫「なんで拗ねてるの?」

由実「ゆかりのせいだよ。」

紫「なんで?」

由実「なんでも!」


紫N「放課後の図書室は独特の匂いがする。隣に座る栗色の彼女は頬を膨らませたまま“魚図鑑”に顔を突っ込む。」


紫「ねえー。」

由実「なに」

紫「なにが私のせいなの?」

由実「…今朝。」

紫「今朝?」

由実「一緒に登校してきた人。誰?」

紫「2組の花咲くん。」

由実「だから誰」

紫「2組の花咲くん。近くで会ったの。」

由実「…」

紫「おはよう、って言うから。おはよう、って言ったの。」

由実「…」

紫「それだけ。」

由実「あいつ、ゆかりのこと好きだよ。」

紫「初めて話したのよ?」

由実「わかるもん。」

紫「なんで?」

由実「何で、って。」

紫「なんでゆみにわかるの?」

由実「っ、ばか。」


紫N「可愛い。彼女はいつも可愛い。感情豊かで表情がコロコロ変わる。羨ましい。」


由実「はーあ。クレープ食べたい」

紫「急。」

由実「食べに行こう。」

紫「いいよ。」

由実「本返してくる!」


紫N「彼女が席を立って窓の外を見下ろすと、2組の花咲くんが花壇に立っているのが見えた。その瞬間私の視界はベージュに包まれる」


由実「っ、!」

紫「なに?」

由実「今は、私の時間でしょ。」


由実「それ以上見るなら。枯らすよ、花咲。」


紫N「独り占め、してみたい。彼女の心を。」


……………………………………………………


由実「若かったんだ!」

紫「関係ある?それ。」

由実「ありありよ!」

紫「いつも可愛いなって思ってたよ?」

由実「…そりゃどうも。」

紫「今度うちに来る?」

由実「えー」

紫「結婚式以来、遊びに来てくれなくなっちゃったじゃない。」

由実「んー」

紫「慶一郎さん、まだ嫌いなの?」

由実「嫌いじゃないけど、」

紫「そ?」

由実「…嘘。嫌いだよ。」

紫「素直だね。」

由実「おんなじくらい、ゆかりも嫌いだよ。」

紫「あら、嫌われちゃったの、私。」


由実「その倍好きだけど。」

紫「ふふ。よかった。」


由実「ねえ、あれは?覚えてる?」

紫「なに?」

由実「ほら、卒業式でさ、」


…………………………………………………………


由実N「涙の一粒も出なかった。そんな私を非情だと同じクラスの礼(あや)は言った。それほどこの学校に情などなかった。ただ、紫と。あの図書室で会えなくなることだけがとても名残惜しくて痛いくらいだった。」


紫N「涙の一粒も出ないと何か言われるかと思って、ほんの少しだけ泣いてみる。女子の柔らかい腕に何度か抱かれて適当に過ごす最後のホームルーム。同じテンションで、同じ空気を読んで。馬鹿みたい。合わせなくていい、空気をちゃんと吸えるあの子に早く会いたい。」


紫「ゆみ」

由実「ゆかり!…え、泣いたの?」

紫「泣かないと変でしょ?」

由実「なんだそれっ」


紫N「小馬鹿にして笑う、その顔が愛おしい」


由実「卒業だね。」

紫「そうね。」

由実「お互い大学近いし、なんか、離れる気しないね」

紫「そうね。」

由実「ね、あいつとまた同じ大学なの?」

紫「あいつって?」

由実「花咲よ、はなさき」

紫「そうなの?」

由実「え?違うの?」

紫「知らない。興味ないもの。」

由実「うわ、辛辣」

紫「変?」


由実N「紫は不思議な子だった。仲良くなるまでは、美人で人当たりが良くって優しい印象だったけど、よく知れば違った。人に全く興味がない。ただ、自分が浮かないように振る舞っているだけだった。だから尚更、私の前だけで見せるその不思議さにひどく執着した。」


紫「あのね、ゆみ。」

由実「んー?」

紫「告白されたの、」

由実「へー。誰に?」

紫「花咲くん。」

由実「…ふーん。」

紫「よくわかったね。私のこと好きだって。」

由実「うん。わかるよ。」

紫「付き合ってみようかな、って。」


由実「は」


紫「お付き合いしたことないし。」


紫N「空洞のような彼女の目は、私をゾクゾクさせる。鋭利な眼差しに変わり私に突き刺す。」


由実「すきなの?」

紫「うーん。嫌いじゃないよ?」

由実「好きでもないのに付き合うの?」


由実「普通はしないよ。そんなこと。」


紫「普通、は。」


由実「普通は。」


由実N「ありえないと思っていた。人に興味のない彼女が誰かと付き合うだなんて。誰かの特別になりたがるなんて。それが私以外だなんて。だから、溢れ出した黒い感情を止められなかった。」


紫「そうか。しないか、普通。」

由実「うん。」

紫「じゃあ、やめようかな。」

由実「うん。」


紫N「ゆらゆら揺れるゆみの目は宝石みたいできらきらしている。私の一言ですぐに揺らぐこの瞳が羨ましくて仕方がない。私だけのものにしたい。ずっと誰にもこの立ち位置を譲りたくない。ズルい私はそのまま沈黙に委ねる。どうせ彼女はこう言う。」


由実「…嘘。」

紫「え?」

由実「ゆかりが、そうしたいなら。いいんじゃない。」


由実N「このまま我を貫いたら、私の前でも本当のゆかりを見せてくれなくなるんじゃないかってひどく怖くなった。だから、」


由実「花咲と。応援するよ。」


紫N「口角が上がりそうになるのを抑えるのでいっぱいいっぱいで。」


由実「…でも、でもね。」

紫「なに?」

由実「私、私ね、ゆかり」


紫「なに?」

由実「私ね、」


紫N「大きく揺らいだ瞳は、すっと動きを止める。ああ、終わりにしないで。ずっとあなたは私に揺らいでて。」


紫「やだ。」


紫「言っちゃやだ、ゆみ。」


由実N「左の広角が上がっていた。彼女の人差し指は白くて細くて冷たくて。」


紫「秘密にしてて。一生。」


由実N「私は告白することすら許されなかった。」


…………………………………………………………


紫「意地悪したことまだ怒ってるの?」

由実「怒ってはないけど。」

紫「けど?」

由実「一世一代の大告白、生殺しだったなあって。」

紫「ふふ。」

由実「それに、結婚式の友人代表。普通私に頼むかね。」

紫「普通はしないね。」

由実「本当よ。…受けちゃう私も私だわー。」


紫「…ね。ゆみはいつも図書室で図鑑読んでたじゃない?」

由実「文章読むと眠くなるの。」

紫「じゃあ、私のいっちばん好きな本紹介したら読んでくれる?」

由実「うーん。読めるかなあ。」

紫「読んでよ。」

由実「そだねー。ゆかりが言うなら。」

紫「きっと、好きだって言うよ。」

由実「はは。じゃあ読むよ。」


紫「“恍惚”って本なの。今度持ってくるね。」


由実「分かった。」

紫「ねえ、本当に今度遊びにおいでよ。」

由実「それは悩ましい。」

紫「じゃあ慶一郎さんお仕事の日に。おいでよ。」

由実「それならまあ、いいよ。」

紫「私の牢獄、見においでよ。」


紫「ゆみの為に背負った罰だよ?」


由実「…、なにそれ。やな女。」


紫「好きなくせに。」


由実「うるさい。」


紫「今度、いつ会える?」

由実「…いつでもいいよ」

紫「じゃあまた連絡するね。」

由実「…うん。」


紫「ね、ゆみ?」

由実「…ん」

紫「痛い。」

由実「…わざと。」

紫「ふふ。嫌いなの?指輪」

由実「嫌いだよ。好きなわけない。」

紫「この傷が消える頃、またお茶しようね。」


由実N「このひとときの間必ず、白くて細い冷たいゆかりの指は私の指を絡めて遊ぶ。」


紫N「私が時計を気にしたら必ず、ゆみは私の薬指の枷を引っ掻いて指に傷をつける。」


由実N「この艶かしい蜘蛛からは今日も逃れられない」


紫N「ゆらゆら揺れる羨ましいこの瞳は今日も私を惑わせる」


紫「まだ好きでいてくれる?」

由実「うるさい。」

紫「ふふ。ありがとう。」


紫「だいすきだよ、ゆみ。」


由実N「窓の外から見える紫陽花が笑ってる気がした。どうせ叶わないと笑われてる気がした。」


由実N「いつか枯らしてやる。紫に囚われた私はゆらゆら燃える。」

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