この先、左方向です

K

この先、左です

またか・・


夕方から降り出した雨は峠を越え

夏夜の山道に霧雨となって降り注いでいた


市街地を離れ車は走る

通い慣れたいつもの道


この山を越えた町に彼の家はある


別にこの界隈では珍しいことではない

友人の中にも同じように毎日こうして山の向こうにある街へ働きに出ている者はいる


ただ、ただ、暗い

静かな山道を一台の車が走る


車のライトは霧雨に霞つつも頼りなく前方を照らす



「この先、左です」



必ずだ

脇道など、ない。



必ずこの緩やかな右カーブに差し掛かるとナビからガイダンスの声がする

毎日の通勤道だ

もちろんナビを使ってなどいない

音楽を聴いていてもミュートしてナビのガイダンスが割り込んでくる


いつも気にしないようにしていた

だが今夜、彼はそっとそのカーブに車を寄せて止まった


錆びて役に立たないであろうカーブミラーがガードレールの向こうに佇んでいる


霧雨が冷たい


彼はガードレールの向こう、漆黒の闇に眼を向けた

下の方からかすかに聞こえる水の流れにここが崖であることが見えなくてもわかる

そんな場所だ



もう、やめてくれないか

もういいじゃないか

俺だって悪かったと思っているし

心を入れ替えて真面目に生きているんだ

頼む、許してくれ・・許してくれ・・・



彼には結婚を約束した恋人がいた

三年前、彼女は行方不明になった

家族や友人、知人、そして当然彼も必死に捜索したが手がかりすら掴めず

警察や消防などによる大規模な捜索はすでに打ち切られている


背後の車内から静かな空間に音が漏れてくる


ピロリン・・

「ここをひだりです」

「ここをひだりです」

「ひだりです」

「ひだりです」

「ここです」

「ここです」


「ここです」



後日、彼の自供通り斜面の下から彼女は発見された

遺体は既に見る影もなく

わずかな白いかけらのような骨のみだけだったという。



「この先、左です・・」



もしあなたがどこかの山道でこのガイダンスを聞いたら注意した方がいい

誰かがあなたを呼んでいるのかもしれない。



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