さいこうの、おんがく
晴天の霹靂だった。僕は雷に打たれたような衝撃を受けた。いや、校庭の杉が真っ二つに割れて、叩きつけるような雨と猛烈な風が吹き荒れる。
突然の悪天候にグラウンドの生徒たちが逃げ惑う。強烈な大地のサウンドが僕を大きく揺さぶった。また雷が落ちた。ピカッと光る途中で轟音と衝撃が来た。
いつもならキャッと女の子らしい悲鳴をあげる葵。今日はその瞳に稲妻が映っている。
誤解を解かなくちゃ。悪意を否定しなくちゃ。誠意を見せなくちゃ。僕のチキンハートが動転している。そう、人としての弱さ。釈明会見で常用される小賢しい
ところが誠意を汲み取ってもらえるどころか火に油を注ぐ。だって人は誰でも弱点を抱えていて、苦しみながらも成長するために乗り越えていく。その努力を放り投げて無罪放免を請うても怒りを増幅するだけだ。
僕も心に住み着いた救世主に決定権を委ねて都合よく生きてきた。でも、それは結局、僕自身の独りよがりに過ぎなかったのかもしれない。
あの日、自己満足の沼にはまった僕を3-Aの岸辺に引っ張りあげてくれたのは葵だ。僕は1本の弦をきっかけに彼女と赤い糸を紡ごうとしていた。そんな善意を僕は雑音でかき消してしまった。
冷静に考えて天の声といっても科学的にはありえない。僕のざわつきが僕を浮足立たせたんだ。
葵は失望と裏切られた悲しみをあらわにしている。
「違うんだ」と言いかけて、何かが「違う」と感じた。負の感情ではない、真逆の何かが僕をサワザワさせている。
そのうねりは僕の血肉やたましいだけでなく、存在そのものを激しくゆさぶっている。
楽しい。不謹慎かもしれない。でも、葵の愛や信頼を失う心配とは別に愉快な感情が並走している。
そう、心が躍っている。生まれて初めて感じる疾走感に僕は眩暈を感じた。
真上から歌声が降ってきた。あの子だ。幻聴じゃない。渡り廊下に寄りかかって雨に打たれながら御機嫌に歌っている。
「ちょっ、何を考えているの?」
葵が橋上のシンガーに罵声をぶつけた。しかし両者の瞳にバチバチと火花が飛ぶことはなく、言葉が風に流されていく。
「てめえ! いい加減にしろよ!!」
正直言って僕は幻滅した。ピアノを優雅に弾きこなす女の口から出る台詞とは思えない。黒髪の彼女は臆することもなく、即興で葵を揶揄した。
”彼は私のもの。生まれた時から魅かれ合う。絡めとれなかったお前が悪い”、そんな歌詞だ。
そして僕をチラ見したあと、挑発の目線を葵に投げる。
「いいわよ。演ってやろうじゃん」
葵はすぐ横の教室に飛び込んだ。教壇の代わりにアップライトピアノがある。音楽室だ。窓から渡り廊下が見える。
そしてアドリブのラブソングを歌い始めた。1本指から始まった私たちの恋。弦が震えるたびに育っていく。そんな感じ。ちょっとこそばゆい。
それに雷がどんどん激しくなっている。止めさせないと危険だ。それとは別に落雷を期待する僕がいた。あいつらに直撃したら面白い。
「二人とも、ありえねーよ。こんな青春映画みたいなこと」
僕は声を枯らした。すると、背後から声がした。
「映画なんだよ」
小田先生だ。
「今、何とおっしゃいました?」
「文字通りだ。この学校に残っているのは四人だ。雷雨の危険を冒してまで近寄る者はいない。一般常識からあり得ない場所に俺たちは立っている。例えるなら君を含めた全員が銀幕の世界にいると言えよう」
「ちょっと理解できないです。それに先生、何やってんですか」
僕は小田先生に率直な疑問をぶつけた。彼の難解な説明を僕なりにまとめてみる。ちょっとついていけない点もあったけど、たぶん大筋は押さえてるはず。
先生は臨時採用される前は大企業の研究部門に勤めてたらしい。スパコンやAIを扱う分野だ。そこでは持続可能な社会の模索をテーマにしていたらしく、終末の回避が彼の主題だった。
「俺は一つのモデルを組み立てたんだ。隔離された世界で三体問題を解くことはできないだろうかと」
彼はチョークで三つの円を描いた。互いに引かれあう球体の関係は絶対に安定しない。
「三体問題は解けないって習いました」
僕は黒板で証明して見せた。
「求積法は教えたよな? 第一積分、つまり三者の間に一対一の絆を発見できれば丸く収まる。たとえ最後の一者を敵に回し続けたとしてもだ」
「そんなことをして本当に世界が救えるんですか? 求積法で??」
「世界の構造はシンプルなもんだよ。三体問題の一角を固めれば、この宇宙の問題がすべて片付く」
だんだん僕は腹が立ってきた。トリックの手口はともかく、僕たちはこの男のモルモットにされたってわけだ。
「そうだ。世の始まりには二人の人間がいた。終わりの時には三人いればいい。それで世界が安定する」
小田。そうだ、小田と呼び捨ててやろう。狂った野郎に敬称は要らない。小田のモデルをどうやって地球全体に適用するか興味深いが、もうどうでもいい。二人を助けなくちゃ。
歌合戦が鳴りやまない。
「職員室の鍵を貸してください」
僕は親を呼ぼうと考えた。携帯は学校にいる間は預ける規則になっている。
「無駄だよ」
小田はバッキバキに割れたスマホを投げ出した。
「苦心さんたんして準備したんだ。さすがの俺でも気象まで制御できない。今日を逃すわけにゃいかないんだ。最後まで付き合って貰おう」
彼はアルトサックスを取り出した。いかにもなコードやLEDが灯っている。
「サブリミナルですか? B級の手口ですね」
揶揄すると小田が乗ってきた。
「君の先入観より洗練してある。
後者の名前はきっと黒髪の子のものだ。こんな形で知りたくはなかった。
「僕にも、ですか?」
信じたくないが、いちおう聞いてみた。そして絶望的な回答を得た。
「ああ、君には共鳴する役目を与えた。葵には倍音、つまり一つの音を何倍かすることによって任意の旋律を奏でる。方波見は減算成分、すなわち引き算式に音を……」
聞いちゃいられない。僕は小田を無視して雨の中に飛び出した。
マッドサイエンティスト野郎が僕をいつから弄っていたのか、考えたくもない。
いま、考慮すべきことは一つ。
彼女たちの安全だ。小田がサックスを手に取る。
僕は構わず音楽室に飛び込んだ。そして、葵に本当の気持ちを打ち明けた。
「僕は葵が好きだ」
連弾していた指がピタリと止まる。そして、じっと僕をみつめる。
「ピアノを続けて」
そして、すうっと深呼吸した。内心、僕はまだ迷っている。方波見も諦めきれない。毛細血管が逆流して手足がむずがゆい。心臓が破裂寸前だ。
「藤崎!」
小田が飛び込んできた。
だから、妨害してやった、
「桔梗を助けてくれ」
思いがけない僕の願いに葵は凍り付いた。しかし、大きくうなずくと渡り廊下に向かって秋波を送り始めた。
”わたしは貴女が好き!”
ドカン、と雷が落ちて方波見が気絶した。
「一緒に来てくれ。僕たちは三体問題を解かなきゃならないんだ」
僕が階段を駆け、葵がスカートを揺らす。コツコツと靴音がリズムを刻む。
そして、二人で方波見を担ぎ上げた。すると、小田が待ち伏せていた。葵がすかさず怒鳴りつける。
「セッションを邪魔しないで!」
僕も畳みかける。もう、迷わない。
「俺はどっちも好きなんだ!!」
こうなったら小田の入り込む余地はない。のらりくらりと僕の心は揺れ続けたけど、自分の人生は自分で奏でる。
全てを洗い流す雨と、何もかもぶちのめす雷が、最高の音楽をくれた。
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