葵さん
そこにいるのは目の覚めるような黒髪美人だった。肩甲骨に届くほど長くて、前髪パッツンな温厚タイプ。
僕は思わず見惚れてしまった。しかし、どことなく違和感がある。
こんな子、同じ学年にいたっけ。少子高齢化の煽りで1年生は3クラスしかない。
すると、彼女のヘアスタイルがショートボブに変化した。そうだ。肩より長い髪の子がいるわけはない。校則違反だ。
ゆるふわというのだろうか。耳の下ほどでウエーブがかかっている。
これはこれでかわいい。誰だろう。
「ねぇ、早くプリント配ってよ」
数学の授業が始まっていた。先生が来る前に復讐を兼ねた小テストがある。
僕は彼女に促されるまま、席の前列に問題用紙を配っていく。彼女も上体をかがめて枚数を確認している。
僕は隙を見て彼女の名札を確認しようとした。その時だった。
”作業に専念しなさい”
またしても天の声が僕を導いてくれたのだ。配布は僕ともう一人の男子と分担している。
すると、「柏木のヤツ、葵の胸チラ狙ってやがんぞ!」とヤジが飛んだ。たちまち蜂の巣をつついたような騒ぎになる。こうなったら僕はモブキャラ以下だ。
柏木君の名誉にかけて言うが、彼は決してむっつりスケベな男ではない。どちらかと言えば明るくて女子ウケがいい。ところが虐めの構造は問答無用でレッテルを張り付ける。
完全な濡れ衣なのだが、彼の冤罪を晴らそうとしても聞く耳を持たない。クラスメイトたちは柏木を必死で吊るし上げている。そうすれば授業が潰れてくれるからだ。
数学の担任に一喝されるまで騒動は続いた。柏木と告発した輩と騒ぎに便乗した連中がまとめて職員室へ連行されたあと、自習となった。
がらんとした教室で葵が僕に近づいてきた。正直言って僕は女子と5分以上会話したことがない。滝汗が噴き出して、肝心な場所がヒュンとなりそうだ。
彼女は改まった態度で話しかけた。
「あなた、確か藤崎君よね?」
「えーと。葵さん、でよかったっけ?」
「そうよ。ところであなた、部活、決まったの?」
葵に本題を切り出されて僕は身構えた。こいつもサッカー部連中と同じムジナか。実に残念だ。ゆるフワがかわいいと思ったのになあ。
「せっかくですが、僕は自分で決めれますから」
口車に乗せられる前にキッパリと断ってやった。すると、葵はフッと笑った。同時に終了のチャイムが鳴る。
「誘ってなんかいないわ」
くるっと踵をかえすとウエーブヘアが巻き付いた。僕はその物言いにあどけない表情と違う大人の雰囲気を感じた。
「興味があったら、放課後に3-Aの教室に来てね」
彼女はよれた後ろ髪とプリーツスカートを揺らしながら教室を出ていった。
僕のどこかでスイッチが入った。
「行くべきか、行かざるべきか」
悶々としながら掃除の時間を迎えた。だけど雑巾を絞っている時も、窓を吹いている間も天の声はささやいてくれない。
そうこうしているうちに運命の時を迎えた。僕は迷っている。
3-Aの教室に行くルートは二種類あって、廊下を左に折れて中庭に抜けるコース。
もう一つはかなり大回りになるけど、右の階段から渡り廊下を通るコース。校門の手前に3-Aの校舎の裏口がある。
つまり寄らずに帰宅することもできるわけだ。風に乗って3-Aの方向から管楽器の音が聞こえてくる。
逃げようか。僕は音楽なんかこれっぽちも興味がない。それどころかリコーダーの練習が苦痛だった。
ところが人間の生存欲求はよく出来たもので、知らず知らずのうちに葵の後姿を思い浮かべていた。
風に吹かれて小刻みに揺れるボブカット。僕はそこに音楽を感じた。
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