最終章

と、その時。

「二人ともいい加減にしないか!」

またもやガウスが邪魔をした。


「ここから出るんだ、アデリーヌ。洞窟の外を見てみろ。命令だ!」

千載一遇のチャンスなど一顧だにせず要求を突きつける。

「ですが、ガウス殿」

「命令だ!」

語気に押されて戦姫は手綱を手放した。言われるままに細い階段を駆け上がる。

扉から漏れる日差しが肌を焼いた。ズシンと地面が揺れる。翼竜の腹が頭上を通り過ぎた。

ゆらめく岩場のあちこちが銀色に輝いている。甲冑で身を固めた男たちだ。

「ひゅう♪」

アデリーヌは反射的に口笛を吹いた。

”忠誠を誓うか、しからずんば死を選ぶか?”

伝声魔法が洞窟を鳴らしている。それは大広間のソネットに届いているはずだ。

バタンと扉が閉まる。アデリーヌは階段を駆け下りた。

「小細工や引き延ばし工作は認めないと言ってるわ」

ソネットが深刻な面持ちで迎えた。

「駄目よ! ダメ。女の子たちは巻き添えにできない!!」

それは母ヘルガが口を酸っぱくして言い聞かせてきたことだ。強者たるもの、ベルゼビュートたるべからず。

「もう時間がないの! バウチャーの庵では巨羊トロウンを焼いてる」

    

ソネットによれば特別な捧げものだという。聖なる生け贄として供えたあと、参加者に振舞われる。

「トロウンに火が通るまでしばらくかかるわ。陽動作戦を進めましょう」

アデリーヌは気を取り直して手綱を握った。

その瞬間、電撃が走った。


「ひゃん!」

驚愕のあまりスカートの奥が丸見えになるほどひっくり返る。

「さっさと片付るのよ。アリスの名誉のために」

仁王立ちするソネット。アデリーヌは覆いかぶさったスカートの向こうに赤い点滅を認めた。

銀色のパンツに逆さ文字が照り返している。

「虐殺の汚名を被ったままじゃ、アリスが浮かばれない」

アデリーヌはこの期に及んでなお、病的な慎重論を持ち続ける。

「アデリーヌ!」

ソネットの小指が光った。

「ぐえ!?」

アデリーヌの制服がスカートごと縦に裂けた。

銀色のショーツも前後に分かれて軽作業用に着込んでいる黒い下履き一枚になる。

上は吸湿性のランニングシャツで、汗で濡れた肩ひもが浮き出ている。

「今度は皮膚が焼けるわよ。おとなしく言うことを聞いて」

ソネットは必死だ。顔をこわばらせ、片手で次の呪文を宙に描いている。

「ヘルガの娘を傷つけて済むと思っているの?!」

アデリーヌは親の七光りを持ち出した。反逆罪は死よりも重い苦しみが永劫に続く。脅迫という卑劣な手段に頼る自分が心底嫌いになった。

    

「きゃっ!」

焼けるような痛みが全身を覆い、端切れが床に散らばった。ゴムがパチンと頬を打つ。

「構わないってさ」

ソネットはビキニ姿の戦姫を睨みつける。

「本気で言ってるの?」

アデリーヌは右手で垂れた紐をかばいつつ、後ずさる。

その背後にガウス卿があらわれた。

「ママにお尻をひっぱたいて貰うか?」

「えっ? きゃ」

アデリーヌが腰をひねって地べたに座り込む。すると、ガウスの立体像にヘルガが重なった。

「アデリーヌ! コントローラーの婚約者はソルビトールを殺したのよ」


ヘルガが両手を広げると繭のような光が拡大した。


バルバロイ城塞に重装歩兵が、ガウンを纏った術者が雪崩れ込む。衛兵が真っ二つに切り裂かれ、バシャバシャと鮮血を蹴立てて騎兵が駆ける。

抵抗とは名ばかりで歯ごたえがない。敵は剣を振りかざしたものの、どいつもこいつも切り結ぶほどの闘志はないらしく、呆然としている。

それらが蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。かわりに一人の女が突っ立っている。

「マクガイヤ?」

アデリーヌが思わず身を乗り出した。

”フゥーハハー! 飛んで火にいる夏の虫とはこの事”

    

いるはずのない娼婦がごつい鎧甲冑で身を固め、バッタバッタと男たちを切り捨てていく。猛威の果てにヘルガの夫がいた。

「陽動かッ?!」

ソルビトールはおっとり刀で立ち向かう。マクガイヤが喉元に剣を突き立てた。にらみ合う男女。

「殺さば殺せ。その前にせめて」

”おおっと、言い残す時間はないよ。もっとも、いずれ隠し事はバレるさ”

マクガイヤが顎をしゃくる。見上げると翼竜が羽ばたいていた。

「ぐはあっ!」

わずかな隙がソルビトールの胸を刺し貫いた。

「ヘルガ! アデリーヌ!」

断末魔の叫びが爆音にかき消された。


「騙したのね?!」

アデリーヌは憎しみの目線をガウスに向けた。

「おいおい。ハメるのは娼婦の得意技だろ。それにアリスの飛行計画書は前夜に出ていた」

あくまで失態や証拠隠滅でないと言いたいらしい。今となっては白黒つける証拠もないが。


「お言葉ですが信じられません。コントローラを尋問しなくては」

ソネットにしてみれば沽券にかかわる話だ。ましてやアリスが隠蔽工作に使われたなんてかわいそうすぎる。

「その必要はありません」

ヘルガがキッパリと否定した。マクガイヤたちはハチソン教徒を篭絡して大がかりな陽動を企んでいる。

「アデリーヌ、君は名誉ある戦姫の娘だな。だったら、行動で示せ」

ガウス卿に促されて彼女は俄然やる気がわいてきた。

    

「あたし、殺ります!」


手綱を握りなおすアデリーヌ。ソネットが横っ飛びで阻む。ガラガラと祭壇の神器が落ちた。

「捕獲するのよ!」

「邪魔しないで!」

二人はもみ合ううちに氷柱の裏に倒れこんだ。そこに手のひらサイズの護符が張り付けてある。魔力の供給源だ。

剥がそうとアデリーヌが腕を伸ばす。それをソネットが思いきり踏みつけた。

相手が悶絶している間に主導権を握った。

翼竜が炎息ブレスで崖を撫でると、石ころに火がついた。うまい具合に火砕流がコントローラと担い手を分断する。

逃げ惑う子供たちの間にアリスが降り立ち、クワッと威嚇する。

骨すら溶かすドラゴンブレスが岩肌を焼く。担ぎ役たちは荷物を放り出し、開けた岩場をめざした。

コントローラはその場に立ちふさがって時間を稼ぐ。そして暑苦しいマントを脱ぎ捨てると、たわわな胸を揺らした。

「えっ、女?!」

アデリーヌは目を疑った。てっきりマクガイヤの亭主だと決めつけていたのだ。それではコントローラーは今どこにいるのだろう。

「アリスを引き揚げて」

呆然自失するアデリーヌに成り代わりソネットが手綱を握る。翼竜は慌てて翼を広げた。

    

息せき切って雲上に駆け上がると、すぐそばを青白い光線が追い越していった。

「レベル7の攻撃魔法よ。危ない所だった」

ソネットは胸をなでおろした。それもつかの間、またいまいましい指令が師団本部から届いた。

ガウスだ。

「ソネット。君はガーシュウィン親子と何の確執もない。君は中立で職務に忠実だ。今すぐコントローラーを抹殺しろ。手段は問わぬ」

「どういうことですか?」

ソネットが耳を疑うと、ガウスは直接的な表現を用いて命令を繰り返した。

「妨害は実力で排除しろ。どんな手を使っても構わん。結果責任は私が負う。女将の許可も得てある」

ガウスの視線からソネットは真意を読み取った。そして、アデリーヌを一瞥する。

「か、彼女をですか?」

「そうだ」

ソネットは白熱する指先と同僚を交互に見た。そして、すばやく決断した。

「お断りします」

「ならば、アデリーヌ」

ガウス卿は展開を予想していたらしく、戦姫の忠誠心を試した。

すると、「仰せの通りに。しかし、今は出来ません」と矛盾した回答をした。

「どういうことだ?」

納得がいかないガウス。

「登山の引率者は女性でした。コントローラーは恐らく別ルートかと」

「いい加減にしないか、アデリーヌ」

    

ガウス卿は二人を反逆罪で訴追するという。ただし、おとなしく従えば未遂罪は不問に付すと猶予を与えた。

「いいえ。父の仇はこの手で討ちます。無関係な女の血で贖いたくありません」

アデリーヌの瞳に復讐の炎が揺れていた。そうこうしているうちにチャンスが遠のいていく。早く親の仇を探さねば。

「アデリーヌ。バルバロイ城塞の事件の首謀者はマクガイヤよ。でも他に協力者がいたの」

女将がお尋ね者リストを掲げた。似顔絵の中にさっきの女がいるかといえば微妙だ。

「ソルビトール父さんを殺した仲間には違いないでしょ。仕返ししたくないの?」

それで満足できるなんて、とアデリーヌは失望した。時薬というが年月は敵愾心まで薄めてしまうのだろうか。

「お母さんの馬鹿」

アデリーヌは回線を切った。


「穴が開くほど見てりゃ、しまいに壁のシミまで敵に見えてくるよ」

ソネットは背丈ほどもある巻物を紐解いた。手配者がずらりと並んでいる。これと毎日らめっこしながら屠っていくのが遠隔航空騎兵の仕事だ。

「要するに暗殺目標は誰でも良かったってこと?」

アデリーヌは疑心暗鬼をあえて言葉にした。

「師団はバルバロイ城塞の失態を挽回する成果が欲しかったのよ。ベルゼビュートの司令塔を任じられるほどの大物を潰せば、元老院も黙る」

「じゃあ、休戦しましょう。敵は魔王よ」

    

ソネットはアデリーヌと手を握り合った。



アリスの体力は幾ばくも無い。本物のコントローラーはどこにいるのか。ソネットは知識を総動員して考えられるルートを洗い出した。

トロウン羊が焼きあがる時間から登頂予定時刻を逆算して、それに間に合うルートを絞り込んだ。

目ぼしき場所にアリスを飛ばしてみたものの、登山者の影も形もとらえることができなかった。

「このまま空振りに終わるなんて、アリスが可哀そうよ」

ソネットは深々とため息をついた。

「そうだ。あたし、いいことを思いついちゃった!」

憂鬱を吹き飛ばそうとアデリーヌが明るく振舞う。

「名案って?」

「元老院に通報するのよ!」

「そんなことって?!」

ソネットが青ざめる。アデリーヌはビキニをめくって内ポケットから小さな水晶を取り出した。

「録音珠よ」

ヤバい会話は漏れなく記録済みという次第だ。

「まさか、アリスに届けさせる?」

狂人の閃きだとソネットは思った。翼竜の命運は尽きている。

「そうよ。彼女に朗読して貰うの。声は周辺住民を介して元老院の耳に入る」

「あなた、まさか、ガウス殿をゆするつもり?」

「つもりじゃなくて、マジ。嫌なら今すぐアリスを召喚ゲートに通せ」

    

アデリーヌは自信たっぷりに言う。澄んだ眼差しは真剣そのものだった。



「五分以内に標的を殺せ。さもなくば突入する。お前たちの代わりは待機している」

洞窟内に最終通告が届いた。

業を煮やしたガウスは洞窟を封鎖し包囲網を敷いた。翼竜の回線も監視されている。


「これは暗殺じゃなくて虐殺ですよ?!」

ソネットが無駄な抵抗を試みているが、説得に耳を貸す相手ではない。

「ハチソン教徒が大規模な礼拝を予定している。それが陰謀の隠れ蓑でないと誰が保証する?」

師団長はなりふり構わず強引な展開で押しまくる。

「単なる祭典だとしたら? あの登山者は女性でした。マクガイヤとバウチャーの宴は婚礼ですらありません」

「単なる女子会かも?」、とアデリーヌ。

「バルバロイ城塞の狼藉を忘れたか? 今度も陽動に決まっておろうが!」

ガウスは怒りをあらわにした。

「陽動?! もしかしたら!!」

ソネットは重大な見落としに気づいた。山岳パーティーの引率者は胸が張っていた。

だが、それは詰め物で偽装できる。さっきの女が「男」である可能性もぬぐえない。

「アリスを飛ばすわ」

アデリーヌが翼竜を鞭打った。

「あと3分だ」

容赦ないガウスの声が追い詰める。「1分でお前を殺す。女将であろうとなかろうと」

    

コントローラーは険しい山道を登りつめ、バウチャーの庵まで数十メートルの距離にいる。巨羊はこんがりと焼きあがり、女たちが切り分けている。

「あの女はコントローラーです。見事にしとめてごらんにいれます」

アデリーヌが翼竜を旋回させる。今ならピンポイント攻撃できる。周囲に被害が及ぶこともない。

するとソネットが手綱をつかんだ。

「どこの世界に女装する花婿がいるの。あれは女子よ」

「離して! 邪魔すると死ぬわよ」

アデリーヌが足払いをかける。ひっくり返ったソネットが手綱を離す。

それでも魔女は呻いた。

「よく考えて。あなたは重大な過ちを犯そうとしているのよ。嘘に嘘を重ねるために無実の女を殺そうとしている。それってベルゼビュートと同じじゃない?」

「いいえ。あいつはコントローラーよ。間違いない」

アデリーヌは頑として首を縦に振らない。

「シドニーと同じ轍を踏んでほしくないの。最強戦姫の娘がやることかしら?」

「じゃあ、あなたの可愛い恋人に聞いてみなさいよ。アリスは無駄死にを強いられるのよ? みすみす敵を目の前にして。それって最強?」

ソネットは痛いところを突かれた。

「あと一分だ」

ガウスが痺れを切らしている。突入したくてたまらない様子だ。

    

「さっき女将が見せた映像がフェイクだったとしたら? バルバロイ城塞の惨敗もねつ造で、マクガイヤと司祭は単なるお祭り好きの善人かもしれない」

ソネットは思いつくままに疑問をまくしたてた。

「うるさいわね。宴の参加者はどいつもこいつもテロリストよ」

とうとうアデリーヌは理性をかなぐり捨てた。もはや、正義の居場所はない。思考よりも感情が先走っている。

「師団は生け贄が欲しいの。疑わしきは誰でも黒。元老院に睨まれてるから目に見える成果が欲しい。だからマクガイヤの陽動をでっちあげた」

ソネットは冷静に論点整理していく。時間は非情だ。のぼせたアデリーヌに冷却期間すらくれない。

言い争っている間にコントローラーは庵に到着した。

もうピンポイント攻撃はできない。

「会場ごとぶっ飛ばしてやるわ」

アデリーヌは人々の中心に狙いを定めた。ありったけの火力を注げば頂上ごと消し飛ぶ。


「フゥーハハハ!」

アデリーヌの背後に魔王ベルゼビュートがあらわれた。

「やるのだ。アデリーヌ。そして暗黒面に堕ちるのだ。ソネットも加われ。お前の母がヘルガと組んだように」

「ソネット、貴女もなの?!」

アデリーヌは目を丸くした。最強戦姫と魔女。その娘が魔王に翻弄される。皮肉としか言いようがない。

「お断りします。いくらテロリストでも子供に罪はありません」

ソネットがはねつけると、氷柱が輝いた。

    

「いい加減にしないか。三つ子の魂百までだ。今は幼くてもテロリストの子はテロリストに育つ」

ガウス卿は突入部隊と綿密な打ち合わせの最中だ。

「抗生の余地があります」、とソネット。


バアンと扉が蹴破られた。

「しかたない! 突入だ!!」

ガウス卿を先頭に屈強な歩兵が雪崩れ込んできた。


庵の前ではコントローラーと目された男が子供たちに囲まれている。

彼は目を細めて化粧箱から玩具やお菓子を取り出した。そして、バウチャーに羊皮紙を渡した。マクガイヤがそれに署名する。


翼竜の視点は署名欄の紋章めがけて突っ込んでいく。栄えある三重七芒星。王家の家紋だ。

「やめて! 彼は王立アカデミー幼年部の職員よ。だから……ふぎゃ?!」

職員が女装する理由は理にかなっている。いわくつきの女性たちを引き取るにあたって、男が出迎えに行けばいろいろと波風が立つ。かといって女だけで危険な山道を往くわけにもいかない。そう釈明しようとした。

だが・・・

バスタードソードがソネットの首を切り落とした。

バウチャー夫婦がにこやかに微笑むなかで、子供たちが火だるまになっていく。


アデリーヌが両手両足を縛られ、床に転がる。脱げたぱんつの裏側から宝珠が転がり出た。

「こんなもの!」

騎士が踏みつぶそうとした、その時。

アデリーヌが叫んだ。

「アリス。貴女が最強よ!」

録音珠が大音量で鳴り響き、翼竜の断末魔がそれに呼応した。

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最強戦姫と魔女のイロウプ 水原麻以 @maimizuhara

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