英雄だなんて、一方的で残酷な傲慢だと思う

英雄だなんて、一方的で残酷な傲慢だと思う。平和な街中で人を刺せば殺人罪に問われるのに、戦場では殺した数だけ称賛される。

最強とは敗残兵を量産し続けることだ。屍の山を昇りつめた先に何が待っているというのだろう。

シドニーの葛藤がソネットの内耳を駆け巡る。それを彼女は必死に振り払った。

アリスを、卵から孵えったクリクリ目の女の仔竜を守り通すと誓った。その約束が果たされぬまま、すべてが終わろうとしている。

むしろ助けてくれるのはアリスの方だ。自分の命を投げ出してもいい。アリスの無事を願った。それが叶わぬならせめて意義ある生涯を全うさせてやりたい。

「ソネット! あれを見て!!」

祈りがハチソン神に通じたのか、アリスはついに標的を発見した。一握りの登山者が尾根をさかのぼっていく。

日焼け止めのベールに包まれて姿形は確認できない。だが、進行方向の延長線上にバウチャーの庵がある。山岳パーティのメンバーは数名程度。

先頭をがっしりとした体格の人物があゆみ、荷物を担いだ人々が付き従う。煌びやかな箱から中身は想像がつく。

「コントローラーよ。一発で仕留めましょう。まだ間に合う」

    

ソネットの顔に生気が戻った。風向きと速度から計算すると滑空することで辛うじてアリスは王都に戻れそうだ。

「ただし、本当にギリギリってとこね」

アデリーヌはエリートパイロットの素養を生かして素早く検算した。計算結果に狂いはなさそうだ。運命の歯車が噛みあうことを懇願する。

ところが、一行が険しい山道にさしかかった。噴火で出来た奇岩が立ち並び、針の糸を通すように細い山道が曲がりくねっている。

気流の変化が激しくて、容易に近づけない。アリスは予想外の風に翻弄されて姿勢を保つのが精いっぱいだ。

ソネットが苛立つ。その場へ飛んで行って直接目で確かめたい。召喚ゲートを用いれば朝飯前だ。しかし、翼竜の操縦に魔力点の大半を奪われている。

アリスを強制送還できれば万々歳なのだが、二人の手に余る。失地回復に追われる師団が「たかが翼竜一匹」に割ける余裕もないだろう。

「立ち止まって、水の一滴でも飲んだらどうなの?!」

届かないと判っているが、アデリーヌはついつい怒鳴ってしまう。ひと口でいい。水筒に口をつければ顔の一部が露出する。その輪郭を魔力で補正すれば人物を特定できなくもない。

岩の間からチロチロと見え隠れする姿が悩ましい。その間にもアリスは乱気流と闘っている。

「彼女、頑張っているわね」

    

アデリーヌは翼竜の苦境を慮って、胸が張り裂けそうになった。疲労困憊したあげく、生きて飼い主に会う保証も支援もない。本当に一人ぼっちなのだ。

「しかも、人間の我がままのために……アリスこそが真の強者だわ」

ソネットは生まれたての龍を抱えた時を昨日のことのように思い出す。

「もともと丈夫な子じゃなかったのよ。幼獣のままで息絶えるかもと御医者に言われたの。それが、こんなに……」

思い出とは揮発油のしみ込んだ布のような物だ。近くにあると咽るほど鼻につく。遠ざけても完全に忘れることができない。ときおり、様子が気になる

そして燃えやすい。ふとしたきっかけで思い出に火がつくと、次から次へと収拾がつかない。

アリスが初めて猛禽を捕まえた日のこと。雄龍に虐められて命からがら帰ってきた日のこと。片翼がもがれ、残った方は骨だけになっていた。

それでソネットは肩まであった美しい髪を剃り、美の女神に捧げた。

捨て身の覚悟が通じたのか、アリスは綺麗な翼を取り戻した。その代償に死ぬまでウイッグを離せない身体になったが、その事を嘲笑う人々をアリスが威嚇してくれる。

女でも二人で団結すれば強く生きていけると励まし合った。

「シドニーを加えて最強のチームだったのね」

アデリーヌはハンカチで目頭をおおった。そして、ソネットの潤んだ瞳に自分を映した。

    

「あたしがついてる! 最強の戦姫。ヘルガ・ガーシュウィンの自慢娘。そして、母さんも!」

万感の思いを受け止め、支えようとした。

しかし、ソネットの左右に雨粒のようなしぶきが飛ぶ。

「どう転んでもあの子は死ぬのよ! 気休めなんて要らない。わたしを苦しめないで!」

アリスの体力が王都まで持ちそうにないことは疑いようのない事実だ。ソネットのち密な頭脳は楽観論をすでに弾き飛ばしていた。本気で心配してくれるアデリーヌのてまえ、とても言い出せない。

「そんなことは無いわぁ!♪」

アデリーヌはオペラ歌手のように舞い、ソネットに絡みついた。そして、リズミカルにささやく。

「あたしを誰の子だと思ってる? 女将の一人娘よ。魔力ぐらい融通できる♪」


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