あの子ね……死んだの
家の中から年端の行かぬ子供たちが飛び出してきたのだ。
三、四歳ぐらいの幼女と十代前半のあどけない少女。予定外の闖入者にカップルは戸惑っている。
「お、お前たち、起きてきたのか?!」
慌てふためくバウチャーの悲鳴が聞こえるようだ。干してあった布を身体に巻き付けて、もう一枚をマクガイヤに投げる。
「子供がいるなんて聞いてない!」
アデリーヌは大声を張り上げた。近衛師団の動揺が感じ取れる。
急変を察したソネットが攻撃中止を命じる。
「アリス、お待ち!」
翼竜の視点から庵が飛び去った。
「何てことなの。無辜の信徒を殺したとなればハチソン教徒が黙っていない」
ソネットが激しくかぶりを振った。
マクガイヤのそれと一致するではないか。十中八九、バウチャーは婚約者ではない。挙式を予定しているカップルは複数いるのだ。そして、その中にマクガイヤの彼氏もいる。
「アリスに無駄弾を撃たせるところだった。おまけにバウチャーは司令塔じゃない。彼は大物から儀式を頼まれているだけなのよ」
アデリーヌの「女の勘」は的中した。もし、早まって暗殺を仕掛けていればオウンゴールになるだけでなく、折角捕まえた尻尾を自ら失うことになる。
「そういう次第です。ガウス殿、申し訳ありませんでした」
平身低頭するソネット。師団長はおさまりがつかないらしく、声を震わせている。
「アデリーヌ。今回だけは君のお母さまに免じてやろう。だが、次は」
ガウスの怒号は叱責の嵐に埋もれてしまった。
バウチャーは集団結婚をお膳立てすることで娼館の顧客を掌握しようとしている。常連客には政府の要人や各界の重鎮がいるだろう。彼らを通じてベルゼビュート軍は王国を侵食していく。
「貴女、うそ、まさか?!」
ソネットは師団長以上に動揺が隠せないようだ。目をしばたいて、口をパクパクさせている。
「ええ、伝説の最強戦姫。ヘルガ・ガーシュウィンの娘よ!」
アデリーヌは誇るでもなく、むしろ恥じ入っているようだった。
「はぁー。それでガウス殿が。英雄のボンクラ娘。厄介な腫れ物を抱えちゃったわねえ」
「それだけじゃない。彼女のお相手、司祭じゃないわ」
鷹の眼を持つ元エリートパイロットは要点を見逃さなかった。マクガイヤ抱き上げた際に幼女の脛に小さな印があった。
「そこで停めて!」
アデリーヌが氷柱の画面を静止させた。拡大すると、めくれあがったドレスと可愛らしいフリルの間にマクガイヤと同じパターンの刺青が掘られている。
「この子たち、娼婦よ」
その指摘にソネットは蒼白した。念のために数を数えてみると。
「おお、なんてことなの!」
親の七光りなど屁でもないという風にソネットは受け流した。
「うっさいわね。妬むほど恵まれた出自じゃないわ。学校では泥水をすすりながら息を殺していた。実力で這いあがったんだからネッ!」
アデリーヌは氷柱に士官学校の指導記録を洗いざらい表示して見せた。孤高の努力家で勉強熱心。教官の評判は悪くない。むしろ彼女の素性を知っているのか、敢えて辛口評価をつけている。
それでも成績の足を引っ張る要素はなかった。
「エリートの娘だからって、いい気にならないで!」
ソネットは人差し指を立てて反論した。
「別にエリート風なんか……」
アデリーヌの弁明は届かないようだ。
「エリートであろうとなかろうと、いい気になってると!」
何かを必死に伝えようとソネットが叫ぶ。
「だから、あたしは!」
「だまらっしゃい! いい気になってると、アデリーヌ」
「お願い聞いてちょうだい」
「あなた、死ぬわよ」
「うるさい!」
ソネットの減らず口に靴先がのめり込んだ。彼女は激しく咳き込みながら化粧室へ逃れた。肺が破れるかと思うほど強烈な咳。
しばらくして、息も絶え絶えに部屋に戻ってきた。口元に血がにじんでいる。
「ごめん。やりすぎたわ」
アデリーヌが治癒魔法をあてがう。
「貴女を見ていると、シドニーを思い出すわ」
ソネットがソファーに倒れこんだ。
「誰?」
「シドニー。あなたの席に座ってた。ほぉんとにそっくり」
「その子、どうなったの?」
アデリーヌが続きを促す。ソネットはきっぱりと告げた。
「彼女ね……死んだの」
「遠隔航空騎兵が新時代を駆けるのだ!」
勇ましい号令とともに翼竜が舞い上がる。たちこめる雲を切り裂いて、赤茶けた大地がぐんぐん巻き取られていく。
その様子が薄暗い鍾乳洞を照らしている。若い女連れが氷柱に見入っている。片方は引馬のない手綱を握り、もう一方は神妙な面持ちで呪文を呟いている。
地平線の向こうにがっしりとした城塞がせりあがってきた。その前哨戦とばかりに石弓や魔光が飛んでくる。
視点はそれらを乗り越えて再び雲間に隠れた。手綱を握る女が隣の魔女に何やら話しかけた。
すると、灰色の世界に蛍光色の線画が閃いた。その輪郭は城塞都市を象っている。そして、線上に淡い光がいくつも連なった。
周辺から中央に向かって無数の輝きが線画を埋めていく。
それから、都市の中心部にひときわ大きな火球が膨れ上がった。雲の傘がいくつも積み重なって世界が白で塗りつぶされた。
「シドニーはね。あたしの初陣を錦で飾ってくれた」
ソネットはまるでそこにいるかのように虚空を睨んだ。
「バルバロイ城塞の戦いは近衛騎士団が善戦したと……」
アデリーヌは狸に化かされたような顔で聞いている。
「手を汚したのはあたしたち。その後、シドニーは葛藤に押しつぶされた」
「死ぬことはないじゃない?! 大手柄よ。それとも何? チヤホヤされ損なった?」
アデリーヌが軽蔑したように言うと、ソネットに突き飛ばされた。思いっきり壁に頭をぶつけてしまう。
「その壁に何て刻んである?」
鋭い刃物のようなもので流れるように抉られている。
「”これって、最強?”」
「そうよ。戒めのために残してある。ちなみにあたしが第一発見者。剣は喉に刺さってた」
「死ななくってもいいじゃない! これは戦争なのよ!!」
アデリーヌは思わず虚空に向かって怒鳴った。そこにシドニーが来ていると感じる。
「確かに遠隔航空騎兵は最強だよ。安全地帯からドカン。返り血一つ浴びる心配もない。定時にあがって、何事もなかったかのようにディナーを楽しむ」
ソネットが洞窟の壁を開くと航空騎兵専用のレクレーション施設があらわれた。まるで繁華街を切り取ったように煌びやかな店が立ち並び、大勢の客でにぎわっている。
通りが見えなくなるほど奥まで続いていて、瀟洒なレストランやこじゃれた店が繁盛している。そこにいるのは全て航空騎兵だ。そろいのミニスカートで判る。
あまりのギャップにアデリーヌはめまいを感じた。
「そうね、気が変になりそう」
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