おんなの、たたかい。

レンガ造りの壁がとろけそうだ。今にもこちらに崩れるんじゃないかと心配になる。中天に昇った夏日は騎士団を機能不全に陥れている。それに比べてここは天国だ。

盲腸のように狭い階段を抜けるとひんやりとした空気がスカートを揺らした。アデリーヌは息を凍らせながら膝より高い裾を整えた。

王都のあちこちで喘いでいるというのに申し訳ない気もするが地下迷宮の奥底に最前線が設けられている理由には正当性がある。

扉を開けるとダンスホールほどの広間があり、その奥に巨大な氷柱がぶら下がっていた。磨き抜かれた表面に青空が映っている。手をのばせば翼竜の群れに届きそうだ。

「遅いじゃない。士官学校でもそうだったの?」

祭壇の前で肌もあらわな小悪魔がふんぞり返っていた。足を組み替える度に白い逆三角形が見え隠れする。

「エースパイロットはこぉ~んなどん底に潜る訓練なんてしないの!」

アデリーヌはワザとらしく両手を広げてみせた。すると小悪魔は珍獣に出逢ったような反応を示した。

「へ~え? 将来を約束されたエリートさんが末席から墜落して迷宮勤務なんて、どういう風の吹きまわしかしら?」

虐め抜かれたアデリーヌは安っぽい煽りには折れない。

    

「成績はトップだったわ。進路相談の時に技術革新の風は地下迷宮に吹くって熱心に説かれたのよ」

彼女はスカートのポケットから近衛師団長直筆の推薦状を取り出した。それを小悪魔がひったくった。

「ふぅん。ガウス殿は優しいのね。精一杯の花を持たせてくれた」

一瞥しただけで興味なさそうに返した。

「うっさいわね。貴女なんかねぇ!」

アデリーヌが睨みづけると、小悪魔は図々しくも右手を出してきた。

「敵はベルゼビュート軍よ」

ひっぱたいてやろうか、どうしたものかとアデリーヌが迷っていると、氷柱の表面にいかつい男が姿を現した。

「アデリーヌ。機龍士官を泣かしたら独房行きじゃ済まんぞ!」

「ガウス殿?」

小悪魔が声を上ずらせた。

「ソネット。こんな子だがよろしくな」

騎士団長は小悪魔にアデリーヌの人となりをかいつまんで聞かせた。その中には触れてほしくない暗黒史も含まれている。。

「うううう」

頭を抱えてうずくまるアデリーヌにソネットが手を差し伸べた。

「まずは一時休止。敵はベルゼビュート軍よ」


繁栄と拡大の一途をたどる王国は領域警備と進撃の両立を求められており、効率化の切り札として軍隊の無人化を急いでいた。

地下迷宮の奥深く、かつては魑魅魍魎が跋扈していた部分に百戦錬磨の魔導士を囲い、使い魔や眷属を遠隔操作する作戦に出た。

    

従来の人海戦術では領土が広がれば等比級数的に兵士が増大する。しかし、農民の徴兵には限界があるため、人間でない者に戦闘を代行させることにした。

航空騎兵たちの物だった翼竜に特別製の手綱をつけた。これによって遥か後方から居ながらにして航空攻撃が可能になる。

ソネットは太腿の上に乗せた焼き菓子をつまみながら得意げに言った。

「ベルゼビュートの拠点をぶっ飛ばしてやったの。アデリーヌ。あ・な・たが乗るはずだったワイバーンでね!」

氷柱に次から次へと武勇伝が流れていく。翼竜は魔法誘導弾や雷樽を高高度から雨あられと降り注ぐことができる。

龍の眼から見た古城が手前に迫ってきたかと思った瞬間、眩い光に包まれた。

「ちょ、これって? ああっ!!……」

アデリーヌはあっと息を呑んだ。カザヌー卿はベルゼビュート軍と王国の和解を担っていた超大物で、泥沼の闘いに終止符を打つかと思われていた。

武器商人か戦争続行を望む急進派に暗殺されたものと報じられていたが、真相は違った。

「あたしが殺ったの!」

ソネットはこれ見よがしにドヤ顔をする。

「あなたねぇ……」

正々堂々をモットーとする騎士道はどこへ行ってしまったのか。アデリーヌは失望した。これでは卑怯極まりない魔王と同じだ。

最強の証とは公正誠実であること。近衛師団の門標を揮毫したのは他ならぬガウスだ。

    

「ガザヌーは二重スパイよ。王国要人の挙動を漏らしていた」

「だから、吹き飛ばしたの? 家族や居城の召使たちは?」

「全員がスパイよ。たぶん」

「たぶんって、確かな証拠はないの?」

アデリーヌが信じられないとかぶりをふる。

「ガウス卿暗殺の動きがあった。だから、先手必勝」

小悪魔は当たり前のように言う。

「後悔の念はないの? もし、濡れ衣だったら?」

正論を振りかざすアデリーヌ。

「本当だったら、今ごろ王都は滅んでる」

ソネットはじっと俯いてスカートを濡らした。

「あたしが平気でいられると思ったの?!」

真っ赤に目を腫らしてアデリーヌにつかみかかる。胸が張り裂ける思いは判らないでもない。

ワイバーン乗りは地上の騎士よりも多くの命を奪う。切り結ぶより卑怯だという誹りを免れない。名誉の戦死よりも自害を選ぶ乗員もいる。

「わたしが言うな、ってことよね」

アデリーヌはソネットの黒髪をそっと撫でた。

「正直言って、あんたが来てくれてあたしは感謝してる。色んな意味で」

縋るような目つきで見上げてくる。

「孤軍奮闘は今日でおしまい」

アデリーヌはしっかりと小悪魔を抱きしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る