貴方が嫌いな究極の理由

水原麻以

第1話


「おぼえているがいい。お前を必ず殺してやる」

そんな事を急に言われても困る。いったいお前は誰で、私は何者なのだ。わけがわからないまま、私は引き金を絞った。ためらいがないわけではない。

貴方だって理由なく人を殺せと言われれば躊躇するだろう。

しかし、目の前にそびえたつ相手は身の丈2メートルをゆうに超える大男で、全身に毛が生えていた。斜めに切れあがった口元からは鋭い牙が見えており、片手にごつい棒を構えている。私がいる場所は画一的なデザインが続く通路で左右に立錐の余地がない。そして、背後には核爆発に耐えられる扉が立ちふさがっている。何故、分かるかって。そう書いてあるからだ。

幸いなことに私は注意書きを解するだけの識字力があり、眼前の敵と意思疎通できる語彙を持っている。私が置かれている境遇はさっぱりわからない。それを調べる手段も時間も残されていない。手元にあるのは銃だけだ。

それで私はやむを得ず銃口を向けた。震える手でグリップを握り、汗ばむ指を引き金にかけた。心臓が破裂する寸前、乾いた音がして巨体が斃れた。

とうとう人を殺してしまった。しかし、不思議なほど何の感慨もわかない。弾丸は突っ伏した男の腹部に命中しており、みるみる血が広がっていく。、

記号的で事務的な「死」

しかし、彼にとっては意味を持つ言葉だった。

「必ずお前を殺す」

どういう意味だろう。そう告げた本人は物言わぬ存在になっている。

いや、私はとんでもない勘違いをしていた。主語が「彼」だけとは限らないのだ。

遺志を継いだ者が使命を果たしに来る。

私は彼の死を頭から振り払い、逃げることに集中した。


厄介な問題が横たわっている。屍を越えてゆけだ。跨ぐには大きすぎる。私はなるべく素肌が触れないようにして人間山脈を乗り越えた。拳を袖の奥で丸めたまま、なんとかよじ登った。

廊下は緩やかな右カーブを描いている。等間隔に頑丈そうな扉があるが、開かない方が賢明だろう。なにしろ耐核だ。

そこまで考えて新たな疑問が浮かんだ。気づくと私は銃を持っていた。ここが核シェルターだと仮定すればあり得る状況だ。

だが、あの大男は何者だ。人間離れしている事は火を見るよりも明らかだ。まず思い浮かぶ事は突然変異あるいは遺伝子組み換えを施された可能性だ。

となると、ここは避難所ではなく隔離施設かもしれない。私は慎重な足取りで周囲に目を配った。天井には等間隔で照明がある以外は配管などの類はない。

オフホワイトの壁は無機質でツルツルしている。床は何の変哲もないリノリウムだ。考えていてもしょうがないので先に進む。そのうちに手掛かりが見つかるだろう。

それにしても、私はいったいどういう経緯でここを訪れたのだろう。閉鎖環境で銃を持つなど尋常ではありえない。いや、すでに常軌を逸している。

非現実な状況。

そうか、わかったぞ。日常ではない局面を必要とする状況。それは数えるほどしかない。映画の撮影、あるいは何かの実験、訓練、シミュレーション。

私はモルモットにされている。だから、銃を持たされ、毛むくじゃらの男と対峙させられた。そして、第一関門をクリアしたという事だ。

「見られている?!」

全身が総毛だった。意識し始めると四方八方から視線が突き刺さる。頭の上から、足元から、見えない憎悪が降り注ぐ。

目を皿の様にしてカメラを探す。簡単に見つかるわけがない。忌まわしいことに私の一挙一動を誰かが高みから見物しているのだ。

監視から逃れようと私は駆け出した。これもテストの一環なのだろう。毒を食らわば皿までだ。何としても合格してここを出てやろうではないか。

生きて娑婆に帰れないかもしれない。それでもむざむざ殺されるよりはましだ。出題者どもは被験体が死ぬことも厭わないのだろう。当然、それを想定した設問も用意されている。


お前を必ず殺してやる、とあの男は言った。しかし、彼は志なかばで死んだ。ならば、私の運命は未確定だという事だ。

「私は、必ず、いきのびてやる」

怨恨だか狂信だか知らないが、私利私欲で命を奪われてたまるか。

ひたすらに床をながめ、足を交互に繰り出す。リノリウムがレッドカーペットになった。

顔をあげると打って変わって部屋の調度が立派になった。北欧風の家具や絵画が飾ってある。曲線や幾何学模様が入り組んだ図柄だ。私の審美眼は理解不能だ。

作業台らしき大きなテーブルに意味不明な図面や筆記具が転がっている。

どさりと大きな音がした。台の向こう、ちょうど部屋の突き当り部分が本棚になっている。そのわきに小さなドアがあり、そこから聞こえてきた。

しかも耳に新しい。あいつが斃れた時の音そっくりだ。


◇ ◇ ◇ ◇


「大丈夫か!」


扉をあけるやなや、私は目を疑った

若い女を見つけた。年恰好は二十代ぐらい。鼻筋はとおっていて金髪が肩にかかっている。白いドレスをまとったままベッドで両目を見開いている。

「おい」

ゆさぶってみると、身体がまだ温かい。

彼女に大きな外傷は見当たらない。ただ、適切な処置を施せば助かりそうな予感がした。

奴らは私に何をさせたいのだろう。毛むくじゃら男のあっけない死。同じ出題を繰り返すなど無意味だ。そしてテストというからには難易度があがる。

「難易?そうか!」

唐突に思い当たった。第一問目で私が使った道具は命を奪う武器だ。それならば逆に命を吹き込むツールを私に与えるだろう。

どこかに隠されている。私の手の届く範囲に必ずある。そして、彼女には時間がない。

「生き返らせてやる!待ってろ」


だが、どうやって。蘇生術など荒唐無稽だ。とりあえず、探そう。隣の部屋に戻って片っ端から捜索すれば見つかる。それも時間との戦いに打ち勝つ範囲内でだ。

「手伝ってやろうか?」

予期せぬ展開に私は出鼻をくじかれた。

ドアを開けるとあの男が立っていた。


あいつの息遣いがする。

相変わらずの毛むくじゃらだが、傷は癒えている。

「どういうつもりだ?!」

私はとっさに身構えた。私に対して死刑を宣告した男だ。必ず成し遂げるとも誓った。だから、殺しても容易には死なないだろう。

殺気立った目線が彼女と私の間を往復する。

「女は復讐の勘定に入ってない」

巨漢はそういうなりベッドに近づいた。

「おいっ!勝手な真似はするな。彼女に何をする気だ」

割って入ろうとすると、彼はかるがると私を持ち上げた。ひょいと荷物を片付けるようにつまみだされた。

「黙って見てないで手伝え。女を助けたいんだろう?」

そういいつつ、男は彼女の胸元に手をかけた。

「この野郎!」

とっさにつかみかかった私を彼は右腕で払いのけた。したたか壁にぶつけられる。視界に火花が走った。

ビリビリと何かを裂くような音がした。男はポップシクルキャンディーの包みを剥ぐように彼女のドレスを糸くずに変えた。

彫像みたいなプロポーション。腰回りを申し訳程度に布が覆っている。

「手伝えといっただろうが!」

怒声に促されるまま、私は彼女を隣室に運んだ。ショーツ一枚の裸体が作業台に横たわる。

「黒魔術の儀式でもやろうというのか?」

医療もへったくれもない。おおよそ科学とは縁遠い環境に私はめまいを覚えた。

「魔術?何を言ってやがる。へバリンとホイールを使う。さっさと持ってこい」

男は私を無視して、背後の棚を指した。

「ヘパリン?どういうことだ。死人を生き返らせる方法を知っているお前は何者なんだ?」

矢継ぎ早の質問に彼の表情が険しくなる。

「うるさい!右から三段目の赤い瓶だ」

「はい」

言われるままに手渡した。

「ラザロ・シックスだ。シックスでいい」

彼は慣れた手つきで女の静脈をさぐり、注射針を突き立てる。

「シックス。それがお前の名前か? 私は……」

思い出そうとしてもイニシャルすら浮かばない。それにしても、ラザロとはどういう意味だろう。シックスとは六番目か。

「量は多めにしよう…よし、これでいい」

シックスはふうっとため息をつくと、注射針をゴミ箱に捨てた。

「それで彼女は助かるのか?」

彼女の様子をうかがおうと身をかがめたところ、ぐいっと腕を掴まれた。

「運次第だ。セブンを運べ」

言う通り、シックスと二人がかりで台車に載せた。見かけによらずセブンは重い。腰が抜けるかと思った。

ストレッチャーに載せてもと来た通路を進む。

「これからどこへいく?」

「エアロックだ」、とシックス。

「気閘だと。すると、ここはやはり隔離施設か?」

やはりにらんだ通り、私は感染予防対策が施された区画で目覚めたのだ。致死性の細菌を扱う施設は外部より低く気圧が設定されている。

万が一、細菌が漏出したとしても、なだれ込む外気に阻まれて周囲を汚染する心配はない。

「はぁ?」

シックスが防護扉を勢いよく開け放った。

何もない空間にぽっかりと地球が浮かんでいた。


◇ ◇ ◇ ◇


月火星間深宇宙ポータル「コンステレーション」はガナッシュ工学院の肝いりで造られた。設計開発から建造に至るすべての資金をガナッシュ博士の私財で賄った。

マーシャン・メイフラワー有人移民船送出の前線基地として、事前集積物資や建設用無人ドローンを次から次へと打ち出している。その一角に検疫設備が整備されており、将来の通関を担う予定だという。

ジーン・ガナッシュ博士は孤高の科学者でありながら、虫歯の特効薬、カエルの蛋白資源化など度肝を抜く珍発明で財を成した。

ただし、氏の研究成果はどういうわけか論文として発表されず、したがって学会からも正式な研究成果として認められていない。

それにもかかわらずこれほどの巨大施設を完成できたのはひとえにスポンサーの支援あっての事だという。

シックスが朗々と語る間にもホイールとやらの準備が進行していく。直径10メートルほどの円盤が眠れる森の美女を待ち構えている。

「ずいぶんと友好的じゃないか。私を殺す誓いは何処へ行った?」

ビキニ姿のセブンをベッドに固定した後、私たちは備え付けのレーションで一息ついていた。パサパサのフリーズドライに給湯チューブを突きさすと、それっぽい香りがただよってくる。

味はブルーマウンテンブレンド。本物だ。粉っぽい液体をコーヒーと呼んでいいならば、の話。

「殺すとだーれが言った?」

シックスは攻撃的な顔つきに似合わず、間の抜けた返事をした。

「ちょ、復讐するって、おまえ」

私はすっかり拍子抜けしてしまった。あの命のやり取りは何だったのだ。

「殺すとは言ってない。お前に復讐すると言っただけだ。だいたいお前、被害妄想が過ぎるぞ」

毛むくじゃら男に肩をすくめられても、可愛いとは感じない。

「敵愾心を持った相手に気遣われるとはな」

私は頭を抱えた。一体全体、何がどうなっているのやら。混乱と困惑のあまり昏倒してしまいそうだ。

「人が殺す対象は血の通った命だけか?」

シックスが意味深な含みを持たせる。

「社会、名声、地位、人間関係、財産、私の何が望みだ。というか、私は何者で、おまえに何をした?私に家族でも殺されたか?」

身に覚えのない罪を着せられてだんだん腹が立ってきた。

『♪』

情緒的なメロディが緊張に水を差した。

「決断の時が来たようだ」

シックスは腰をあげ、ホイールに駆け寄った。壁面のパネルはセブンの断層撮影図や血液循環をモニターしている。

「決断?お前は主語が少なすぎるぞ。5W1Hをはっきりさせろ。いつ誰がどこで何をどうするんだ?」

もったいぶった言い回しに私はイライラが募る。シックスは色鮮やかなコンソールボックスの一角を指し示した。

「お前に決まっているだろう。何を躊躇している? ボタンを一つ押すだけだ。それで俺の復讐は成し遂げられる」

「は?」

「ボタンをポン、で終了だよ。痛みも何も伴わない。スイッチ、オン。コンマ何秒もかからない。簡単なものだろ?」

まるでインスタントカメラで写真を撮るような軽さで私をうながす。

「ちょっと待て、セブンに何をするつもりだ? だいたい、彼女とお前と私はどういう関係なんだ?」

私がコンソールから飛び退くと、シックスが退路を塞いだ。

「家族だよ。お前は凍眠を選んだ。俺は貧乏籤を引いて火星で生きる身になった。そして姉は究極の生を選んだ」

大男の瞳に再び殺意の炎が宿る。

「ちょっと待て!じゃあ、俺達は何かの被験体だというのか?!」

すうっと腰の力が抜けた。へなへなと俺は頽れる。

「そうだ。キリストから不死を授かった聖人ラザロ。その名を冠した究極にして人類最後の願望。ガナッシュ博士の…」

私は死にたくなった。

私は死にたくなった。


しかし、運命が許さない。思い出したぞ。ラザロ8……それが私の「本当」の名前だ。そして「我々の【死因】」も。


心臓が破裂しそうだ。失われた、いや、私が目を背けていた現実が溢れかえり金属バットで滅多打ちされた気分だ。


床をのたうち回り壁に怒りをぶつけ、隠し扉を破った。そして、開かずの間に駆け込んだ。見覚えのあるスクリーンや端末が並んでいる。


「この部屋だ!我々はこの部屋でジーン・ガナッシュから究極の選択を迫られた」


壁に太陽系の略図があり、地球から三本の矢が伸びている。一つは月、このステーション、最後は火星だ。


シックスが静かに告げる。


「ああ、博士は禁忌に触れた。滅亡寸前の人類にどんな延命措置が出来るか。彼女は最初、滅びは避けられないものとして、受け入れる道を選んだ。ただ…」


「シックス。全員死ねば【滅亡】という刑罰は終了する。博士はその【あと】に望みを賭けた」


大男がにやりと笑う。


「蘇生だ」



最初のラザロは博士の愛犬だった。苦しまずに逝った。寿命だった。そして、人工呼吸と心臓マッサージを施され十数分後に目覚めた。そして三分間だけこの世に留まった。


「血液循環と新鮮な酸素が心肺を活性化させると考えたんだ。だがラザロ1は血栓ができて死んだ。ジーンは溶血剤ヘパリンを投与することでラザロ2の延命を試みた」


はっきりと覚えている。黄色い狂気を灯した彼女の瞳を。彼女はラザロ3に画期的な発明を用いた。遠心力による血液循環。そして、蘇生率は百%に達した。


「俺もスリーの成功はうれしかったよ。何しろ、そのころにゃ彼女のロードマップに私が載ってた」


シックスが自嘲気味に笑う。


「失敗作だったんだろ?」


「酸欠で脳が損傷した。次のフォーでは酸素吸入器を取り付けて動物実験は成功。いよいよ人体実験となった」


私はシックスの説明を上の空で聞いていた。そして、核心を突いてやった、


「ジーンを殺したのはお前なんだろ?」


「は?」


シックスの顔にふざけるなと書いてある。


「ラザロ5の実験には生きた人間が必要だ。だがどの世界に好き好んでゾンビになりたい奴がいる?言い出しっぺ自らが実験体になるしかない」


私はじりじりとにじり寄った。


「馬鹿を言うな!失敗したら頭脳が失われるんだぞ!」


強弁するシックス。構わず私は接近する。


「いいや!お前が殺したんだ。考えてもみろ。3つの延命措置。結果を誰が見届ける?ジーン・ガナッシュはこの場にいない。これはどういう事だ?」


シックスが彼女を殺したのだ。


「ふざけるな!どこに証拠がある?」


そこで私は状況証拠を並べてやった。


ガナッシュはまず、冷凍睡眠、火星環境に耐えうる遺伝子操作、そして最後に人体蘇生の駒としてセブンを残した。


前者2つの実験が失敗してもイキのいい死体が増えるだけだ。


「お前はうっかり口を滑らせた。さっき言ったろ?自分が工程表に載っていた。それが嫌で計画阻止を目論んだ」


「ぶ、ぶわっはっは」


大男は唐突に噴き出した。


「俺がジーンを殺めただと?じゃあ、この身体は何なんだ?」


毛むくじゃらの手足を大仰に振り回す。


ひるまず、私はまくしたてた。


「どのみち、お前は全員殺すつもりだったのさ。地球人類はどうやっても滅びは免れない。その理由は不明だ。だが、人類全てを亡き者にする呪いがかかっているのだとしたら……」


シックスはがっくりとうなだれた。


「そこまで見抜いていたのか。お前の言うとおりだよ。俺はジーンを殺し、姉を殺し、死者復活という大罪を犯したお前を大義名分のもとに処刑しようとした」


私も憐みの視線をシックスに向ける。科学がもたらす残酷な仕打ちを受けた、彼もまた、犠牲者なのだ。


「ああ、お前は【人類滅亡】の枠外にいるからな。火星なりどこなと生きていける」


「だが、お前には死んでもらう!」


いきなり右腕をつかまれた。五本の指がめりこむ。そのままボタンの前まで強引に連れていかれる。


「わかったわかった!やめろ!!お前さんの望むとおりにしてやろうじゃないか。いつか誰も死ぬんだ」


ふっ、と力が抜け、私は覆いかぶさるようにボタンを押した。


鈍いモーター音がして、ホイールがゆっくりと動き出す。セブンの蘇生措置が始まった。


「最初っからそうしてくれりゃ良かったんだよ。手間を取らせやがって」


シックスは文句をたれながら、操作を続ける。俺は黙って作業を見守っていた。


「なぜあんな真似を? 真実にたどり着いたところで、俺に勝てるわけなかろうが」


返す言葉はない。ただ、実践あるのみだ。俺は視線をめぐらし、頼みの綱を探した。


そして、それを発見し、慎重に手繰り寄せた。


「なあ?」


振り向いた隙に間髪を入れず、一気に締め上げる。


「ぐはあっ!」


データケーブルをシックスを絡めとる。時間稼ぎは承知の上だ。


「何をしやがる」


私はあっけなく組み伏せられた。


だが……。


大男の二の腕には注射針が深々と刺さっていた、


「空気だよ。血栓ができてじきに死ぬ」


「なっ…」


狼狽するシックス。冥途の土産に私は教えてやった。


「私が嫌いな理由をお前から奪いたいからだよ」


「わけのわからない事を!」


さすが火星環境を生き延びる怪物だ。びくともしない。


「お前はセブンに恋をしている。そしてセブンの復活を確信している」


「よくもまあデタラメを!」


「お前、必死だったじゃねえか。でなけりゃ、なぜ、執拗に私をけしかける?」


私が下心を見抜くと、それが憎いとでもいいたげに殴り掛かってくる。


「理由は知っての通りだ」


「いいや、お前は判ってない」


打ち下ろされるアームチェアを間一髪で避け、俺はホイールの向こう側へ飛び込んだ。


「判ってないのはわたしだったのかもしれない」


突然、女の声が降ってきた。


「セブン?!」


大男は目を皿のように見開いた。ホイールが停止している。


「おはようございます。ガナッシュ博士」


俺が本名で呼びかけると、彼女は嫌そうな顔をした。


「本当にごめんなさい」


セブン、いや、ジーン・ガナッシュの頬を涙が伝う。


「シックス、わたしの優柔不断に突き合わせてしまってごめんなさい」


彼女が言う真相はこうだ。


ラザロ計画は終末期を迎えた人類にとって避けて通れない最終的かつ不可逆な選択肢だった。


しかし、彼女は研究を進めていくうちに、ある疑問にぶち当たる。死を克服した存在。それは果たして人間と言えるのか。


完全無欠にして誤謬のない人間などどこにもいない。では、復活した死者は人間と呼べるのだろうか。


そこでジーンはラザロ計画の最終段階にあるトリックをしかけた。自分を死んだと偽り、ラザロ・セブンに扮して被験者に紛れ込む。


3つの選択肢のいずれかが成功する保証はない。すべてが失敗する可能性が非常に高い。


それでも万が一、生き延びた被験者が最後の最後に残された選択肢、禁断の領域に踏み込もうとしたとき、そこにわずかでも呵責が生じれば……


「わたしは死んでも、生き延びた二人のどちらかが人間と呼べる存在でいてくれると考えた。全滅エンドなら、それも運命」


そういうと、ジーンはホイールから飛び降りた。シックスに駆け寄って、ヘパリンを投与する。


「謝る必要はねぇよ」


毛むくじゃら男がジーンを抱き上げた。


「俺たちは全員、超人ってわけだ。良識をわきまえた死の克服者」


愛し合う二人を背に、私は天に問いかける。


「私が嫌いな理由は?人類を滅ぼそうとした理由は何か?過ちを犯したから?では、超越者である貴方はいったい?」





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貴方が嫌いな究極の理由 水原麻以 @maimizuhara

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