魔術師の裾

竜花美まにま

第一話

大陸から海を挟んで遼遠。

この島には、魔術師が居る。

草、土、水、風、火。

これら自然にまつわる力を使役するその術は、この島以外では迷信として語られていた。

しかし、この島には、魔術師が居る。

見た者は殆ど居ないが、確実に居る。


少なくとも、魔術は身近に存在した。

魔術を自在に操る魔術師が、魔術を本来扱えない者でも使役出来るように魔力を込めたモノ。

魔道具といわれるそれを残しているからだ。


とはいえ、その魔道具も誰でも扱える訳ではない。

平たく言えば〝才能〟のようなものが必要だった。

そして、たとえ扱えても、魔道具から扱う魔術は、本物の魔術師のそれにはとても及ばない。

しかし、その才能の有無と魔道具の希少性から、魔道具を扱える者は重用された。


自然の力を借りるとは、人々の生活に大きな利益をもたらすからだ。


そして、人々はその〝魔道具を扱う者〟をこう呼んだ。


魔術師の力をお裾分けしてもらった者。

〝魔術師の裾〟と──。











魔術師の裾

(きっと私は忘れないだろう)

(朽ちた、その後も)











カラン、コロン、カラン、と。

柔らかく、耳心地の良いカウベルの音色が畑に響いた。

一般的な牛より巨体の彼が歩くと、カラン、コロン、と。

農具を引いて畑を耕す彼を脇目に、苦しそうな呻き声を上げながら、少女は畑の前に立つ。

少しよろよろと覚束ないその足に、毎度の事ながら憂慮してしまう畑の持ち主の老夫婦。

少女は気合いの声を上げ、目の前の地面に少女の背より遥か大きい、木の根そのもののような粗雑な杖を突き刺すと、


「…新しい季節が来ました。

畑を耕し、柔らかい土の上に種を撒きます。

露に凍える朝もあるでしょう。

灼熱に喘ぐ昼もあるでしょう。

雨に溺れる夜もあるでしょう。

全て受け入れます。

全てと共に生きます。

それでもどうか、作物を悪しき病から守り、悪しき虫も程々に、立派な実りの日まで、この大地が健やかでありますように」


カラン、コロン。

カウベルの音に合わせて穏やかに祈る彼女が地面に突き刺した杖から淡い光が、耕したばかりの土を遊ぶように駆けて行く。


その弱々しい光は、まるで見間違いだ。

指摘されなければ気付かず、気の所為だと強く言われればそうかと納得してしまう。


そんな光を放った少女は、ふぅ、と息を吐き、先程と変わって安心し切って微笑む老夫婦を振り返り、無邪気に手を振った。


「終わりました!

病気対策と害虫予防!」


「ありがとねぇ。

魔術掛けてもらうと目に見えて作物の出来が違うからねぇ」


「お疲れさんでした。

ヤヤネちゃん、お菓子とお茶飲んできな。

タロには売り物にならなかった芋やるからな」


やった!と少女ヤヤネは目を輝かせ、老夫婦の息子に農具を外してもらったあの巨体の牛を呼ぶ。


「タロ!

おいで!

お芋くれるってよ!」


ボウボウ、と低く短い声を上げて、牛のタロはヤヤネに歩み寄り、ヤヤネはタロの鞍にあの大きな杖と、その反対側に重さの均衡を取る為の荷物を括り付けていった。


「いい子ちゃんね、タロ。

重いから気を付けて」


そう声を掛けながらヤヤネはタロに荷物を固定すると、自分の背丈よりずっと大きなタロの首輪を持って誘導しながら歩き出した。


「芋は蔵の前に出してあるよ。

タロを連れてったらヤヤネちゃんはウチの縁側においでね」


「はーい!

ありがとうございます!」


元気に返事をしたヤヤネはタロを蔵の前の割れた芋の山へと歩かせ、それを食べ始めたタロの頭を撫でてから先に向かった老夫婦の後を追うように慣れた庭先を走って縁側へと辿り着く。

先に腰掛けていた老夫婦に手招かれ、ヤヤネも隣に座る。

家の奥から現れた人数分のお茶とお菓子を持った老夫婦の息子はヤヤネの隣にそれを置くと、早速勧めながら口を開く。


「ヤヤネちゃんが草と土の魔術が使えるんでこの村は大助かりだよ。

今までは何年かに一回、街から〝お裾様〟をお呼びしてたけど…」


「やっぱあんなんじゃダメだな。

植付けの度に掛けてもらうと全然違うから」


そう笑う息子と夫にヤヤネはお茶を飲みながら照れたように笑い、思い出したように妻が息子に声を掛ける。


「そうだ。

忘れない内にヤヤネちゃんにアレを渡しましょう」


「ああ、そうだった!

今持ってくるよ」


「?」


家の中に消えた息子だったが、老夫婦に勧められてヤヤネはお菓子を頬張る。

息子はそのお菓子を飲み込むより早く戻ってくると、紙袋をヤヤネに手渡した。

お菓子を飲み込み、開けて良いかと問うヤヤネに三人はどうぞどうぞと嬉しげで、ヤヤネが袋からそれを取り出すと、


「わぁ…」


それは、絵本だった。

表紙の絵がとても繊細で、柔らかい色合いが優しく温かい。

そしてその絵本は、その表紙の絵こそ初めて見たものの、この島に住む者なら誰しもが知るお話。

この島の古く親しい昔話。


「ヤヤネちゃんはもう絵本って歳じゃないけど、その絵がとっても綺麗だったから。

ヤヤネちゃん、こういう絵好きでしょう?」


「好きです!

大好きです!」


ヤヤネはそう応え、表紙を撫でる。

家に飾ってある、鹿と花の絵と似ている。


「孫が首都に嫁いで行ったでしょう。

妊娠したのよ、あの子」


「え!?

おめでとうございます!」


ヤヤネは老夫婦の孫であり、絵本を手渡してくれた息子の娘の顔を思い起こした。

とても優しい女性で、裕福な商人の家に嫁いで行った人だ。


「この前、様子を見に行った時に色々子供用品も見てきてね。

その絵を見た時に〝ヤヤネちゃんに買っていかなきゃ〟って思ったのよ」


ふふふっ、と楽しそうに笑う妻にヤヤネは嬉しそうに笑い、その絵本を抱き締めた。


それから、首都の話をした。

あんな店があったとか、今はあんな服が流行っているらしいとか、他愛もない話。

お茶がなくなり、お菓子が消えてもしばらくは会話が縁側を跳ね回り、そう長い時間ではなかったが空が今にも赤みを絞り出そうと太陽を傾ける様を見て、暗くなる前にヤヤネを家に返さねばと老夫婦と息子が慌てていた。

ヤヤネは芋を食べ終わった後も大人しく蔵の前で座り込んでいたタロの背へとよじ登り、鞍に横向きに腰掛けて絵本の入った袋を抱えたままタロに声を掛ける。

カウベルを鳴らしながらタロは立ち上がり、ヤヤネは見送ってくれる三人に別れを告げてタロの足で帰路に着いた。

踏み固められただけで整備されていない道を進むと、庭先や畑の中から気を付けて帰るようにと手を振られる。

皆、ヤヤネが昨日と今日に魔術を掛けた畑の持ち主だ。

この村では小さくとも畑を持たない家はないので、村人の全員とヤヤネは魔術で繋がっている。

ヤヤネは手を振り返しながら、拓けた農村から森へと入った。


獣道よりは立派で、馬車道というには悪路をタロが歩き、ヤヤネはその背に揺られて黄金色の木漏れ日をチカチカと浴びる。

そして黄金の空が真っ赤になると辿り着いた小さな家。

家の周りは木が切り倒されているとはいえ、どの方角を向いても森しかない。


ヤヤネはタロに声を掛けて足を止めさせ、体高二メートル近いその背から慎重に降り、鍵なんてない家の扉を開け、タロを中へ入れた。

タロは鞍に付けている荷物も合わせてギリギリ通れる大きさの扉を抜け、大きくないその部屋の片隅にある使い古された布の上に伏せる。

ヤヤネは部屋の炉に火を付け、そこに吊られた鍋の蓋を取った。

沈殿した具を焦がさないように軽く匙で掻き混ぜると、薪を一つだけ足す。

パチパチと弾ける火の粉が足元に散り、何も焦がさず消えていった。


ヤヤネはコートをスタンドに掛けて、タロから杖や荷物を下ろしてから鞍や手綱などの装具を外すと、棚から深皿を取り出す。

程よく温まったスープを深皿によそい、テーブルにそれを置いて鍋掴みをはめた手で鍋を炉から外してから椅子に座ったヤヤネは静かにスープを食した。

日の消えた夜の暗さの中、炉の明かりが部屋を照らしている。

木製の皿とスプーンが擦れる細やかな音と、薪の焼ける音。

ヤヤネは、その薪の音の変化に気付いてスープから顔を上げ、飲み掛けのそれをテーブルに残してランプを持つ。

そして、消え掛けていた薪から蝋燭へと火を拾い、ランプに火屋を掛けて机に置いた。

食事を再開し、スープの最後の一口を運ぶ前に炉の火が完全に消えた中、用意しておいた蝋燭に照らされながらスープを食べ終えたヤヤネはランプを持って、伏せるタロの傍らに座り込む。

タロは静かに腹元に座るヤヤネを見詰めていて、ヤヤネはランプを床に置き、椅子に掛けられていたブランケットを引き摺り下ろすとそれを膝に掛けた。

そして、あの夫婦から貰った絵本を袋から出す。

低い位置にあるランプの明かりで絵本が見えるように開いたページの角度を調節し、ヤヤネはその絵と文字に視線を落とした。


もう既に知っている内容。

この島に住む者なら大好きな物語。

絵本ではあるが、冒頭に少し目を通しただけでこれが子供向けに省略されたものではなく、原典の文言のまま書かれているものだと理解した。

絵柄から見ても、幼過ぎない者が娯楽的に保有する為のものなのだろう。

ヤヤネがこの物語を最後に読んだのは二年前。

その時に初めて、ヤヤネは子供向けに簡略化されたものではないこれを読んだ。


この物語のタイトルは、〝魔術師と精霊〟。

古き先人が書いた話。


ヤヤネは、一言一句間違わず、という程ではないが、よく覚えている物語を、頭の中の文言と目の前の文字列を重ね合わせるように読み始めた。


薄暗い中、絵の色がよく分からないまま。






──魔術師と精霊


昔、この島がまだ、少しの土くれと、申し訳程度の草花しかなかった時。

綿毛に掴まって、ひと粒のタネと、ひとりの魔術師が島に降り立った。

タネは島の中央に自ら埋まると芽を出し、双葉を開くと同時に、その中から精霊を現す。

この島唯一の生物、魔術師と精霊は友となり、日々を穏やかに過ごしていた。


ある日、この小さな島よりも大きな船が五隻も流れ着いた。

ここは大陸からは遠く離れた島であり、辿り着いたものは総じて、漂流に因るものだった。

もはや、大陸に帰ることは叶わないだろう。

いや、生きてここまで辿り着いただけでも奇跡であり、とてつもない幸運なのだから、それ以上を望むべきではなかった。

小さな島にそれぞれの船の代表者一人ずつが降り立ち、彼らは五人並んで、その島の主であろう魔術師と精霊に跪いて希う。


「どうか私達に、この地を少しだけ分けてください」


「食物を作るための土地だけで構いません」


「そしてたまに、大地を踏む喜びを思い出させてください」


魔術師は五隻の船を見上げた。

そこからそれぞれ大人や子供が、代表して降りた彼らを心配そうに見詰めている。

確かにこの島には、どんなにキツく、ギュウギュウに詰め込んでも彼ら皆が立っていられる程の広さはなかった。


魔術師は、小さく寄せ集まって祈るように膝を突く五人を眺めて。

そして、こう問い掛けた。


「大地の上に住みたいとは願わないのか」


彼らは黙ってしまい、更に俯いた。

彼らは願っている。

家族や友人を、波の揺れのない地で眠らせてあげたいと。

子供たちを草花の上で走らせてあげたいと。

しかし、命があるだけ幸運なこの時に、そんな贅沢を願うのは、この島に辿り着けずに消えた者達への冒涜であるような気持ちになった。

それに、願っても、叶えるだけの土地もこの島にはなかったからというのもあった。


しかし、魔術師はその沈黙を、謙虚な答えと受け取った。

そして、魔術師はまた問い掛ける。


「お前達は、笑うことが好きか?」


五人は、魔術師を見上げた。

そこに立つ魔術師は、鬱屈とした場に吹く外界の風のようだった。

思わず、深く息を吸ってしまう。

心地良いその冷たさを、〝凛としている〟というのだとぼんやりと考えた。

そして、そのぼんやりとした脳の最も内側を激しく働かせ、どう答えるか悩んでいると、


「笑うことは好きです!

けれど、苦しい時にムリに笑うことはできません!」


そう叫んだのは、ある一隻の船に乗る少年だった。

驚きながら無礼を働くなと慌てる皆を余所に、その少年に精霊がふわりと微笑んだ。

まるで、花が咲くように綺麗に笑う精霊の隣で魔術師も笑う。


「それは良かった。

楽しい隣人が欲しかったんだ。

そしてその隣人が苦しんでいる時は、助け合わねば」


魔術師は両手を胸の前で軽く広げた。

そこから、キラキラと光が溢れてくうを踊る。

見入る彼らに、魔術師はまたも問い掛けた。


「大地に住めるのであれば、船がなくとも構わないか?」


光に見とれていた代表者五人はハッとして、慌てて頷いた。

魔術師はまたニコリと笑い、両手を大きく広げる。




小さな大地に輝く精霊の双葉は、天を貫くように伸び、立派な根で海面を覆い隠していった。


その根を覆うように土くれが湧き上がり、一面を豊かな大地へと変えていく。


起伏を有した大地から真水が湧き出すと、それは幾本もの小川となって海へと転がり降りた。


海から集めるように風がうねり、五隻の船が宙に浮かび上がる。


宙に浮いていた船はバラバラの木片へとなると、大地に落ちる時には数多くの家へと姿を変えていき、最後に。




その家に、暖かい火が灯った。


道標のような明るい火が。


船に残っていた皆も、羽のようにゆっくりと大地に降り立った。

呆然とする皆を見て魔術師が口を開き、こう告げた。


「ようこそ、隣人。

我が友よ」


漂流していた彼らは歓声を上げ、安堵に泣いて喜び、魔術師に礼を述べた。

しかし魔術師は首を振り、立派な大木となった木に手を向ける。


「お礼なら彼女に言いなさい。

彼女はこの島の礎、母樹となりました」


すると、大木からあの精霊が、美しい女神として姿を現した。

思わず、平伏してしまうような威厳があった。


「民よ、よく聞きなさい。

貴方達はこれから我が根の上を歩くのです。

我が庇護する大地で暮らすのです。

感謝し、驕らず、謙虚に過ごしなさい。

さすれば、恵みは貴方へ微笑むでしょう」


民となった皆は、母樹の慈悲に祈りを捧げた。

彼女は彼らの様子に頷き、大樹の中へと姿を隠す。

そんな彼女を見送った魔術師は、最初に島に降り立った代表者五人に友情の証を贈った。




一人には、母樹から手折った小枝を。


「魔術ほど強くはないが、この小枝があれば、草木を健やかに導ける。

草木はこの島の礎であり、母樹の子供達。

草木の萎えた地は、簡単に生物の命を枯れさせる。

常に敬意を払い、感謝と共に頂きなさい」


一人には、足下から拾った宝石の欠片を。


「魔術ほど強くはないが、この宝石があれば、大地を健やかに導ける。

大地は全てのものの足下に在る。

大地が毒されれば草木も水も、風も火も人も、全てが毒される。

常に敬意を払い、感謝と共に踏み締めなさい」


一人には、小川を跳ね上がった魚の鱗を。


「魔術ほど強くはないが、この鱗があれば、水を健やかに導ける。

水は生命の根源であり、命を繋ぎ止めるもの。

水がなければ誰も幸せにはなれず、愛し合うことも出来ない。

常に敬意を払い、感謝と共に愛しなさい」


一人には、空から零れ落ちた鳥の羽を。


「魔術ほど強くはないが、この羽があれば、風を健やかに導ける。

風は生死を司る運命そのもの。

風が消えれば命は生まれず、風が荒れ狂えば命を刈り取る。

常に敬意を払い、感謝と共に受け入れなさい」


そして、最後の一人には、ガラス玉の中で永遠に燃える灯火を手渡した。


「魔術ほど強くはないが、この灯火があれば、火を健やかに導ける」


煌々と燃える炎。

彼はそれを恐る恐る受け取った。

彼だけではなく、見守る誰もが息を呑んで見詰めている。


「火は、恐ろしいものだ」


彼らの様子を見て、魔術師は頷きながら続けた。


「魔術に関わる五つの力。

自然の力は全て人の命を奪い得るもの。

けれど、その中でも火の恐ろしさは別格。

ましてやそれが、消えぬ炎ならば恐怖して当然」


灯火を受け取った彼は、ガラス玉を落とさないように確りと、割らないように優しく持つ。

魔術師に返したい気持ちにもなった。

しかし、魔術師は彼の肩に手を置くと、よく通る声で言った。


「それでも皆、身近に火を灯す。

何の為に?」


魔術師の言葉に、皆が口々に答える。


「暖を取る為に」


「料理する為に」


「光を得る為に」


魔術師は頷いた。

そして、ガラス玉を持つ彼の肩を叩いた。

まるで、励ましのように。


「火は古くから、災厄を表すと共に、希望を表す存在だった」


彼は、ガラス玉を確りと抱えた。

気を緩めて落とさないように。

力を込めすぎて割らないように。

確りと、優しく。

赤子を抱くように、だ。


「火は、最も扱いの難しい存在だ。

扱わなくとも生きていけるが、なければ豊かにはなれない。

希望とは道標であり、灯火。

手の焼ける愛しき隣人として、共に生きよ」


皆は船から変貌したばかりの家々を眺めた。

暖炉の火が灯っているのか、どの家も優しい光が漏れている。

あそこに、灯りがなればどうだろうか。

ひんやりと冷たい暗い窓。

けれど、今は温かみを帯びて揺れている。

温度だけではない温かみを何故感じるのかは、たった今、魔術師が教えてくれた。


魔術師は皆に声を掛け、視線を集めると、優しく微笑んで言った。


「お腹は減っていないかい?」


その夜は、沢山の魚を焼いてお祭りのように皆で飲み食いをした。

その宴の中、魔術師は皆から何度もお礼を伝えられた。

どうやってこの恩を返せばいいかと悩み抜く皆に、魔術師は思い出したように言葉を紡ぐ。


「実は、船を一隻残してあるんだ。

今度それに乗せてくれないか」


どこか行く宛があるのかと不思議がる彼らに笑い、魔術師は宴の魚を指差すと、


「釣りが好きなんだ」


とても偉大な魔術師の、なんともありふれた趣味に皆は思わず笑ってしまった。

魚なんて、釣り糸を垂らして無言で待たずとも、水を少し操れば簡単に取れるだろうに。

その笑顔を見て、魔術師も笑った。


「やっと笑った。

愛しき隣人よ。

ずっとずっと笑っていてくれ。

笑って過ごすことを、私への礼としてくれ」


それから、五人の代表者を中心とする彼らは魔術師の教えを守り、母樹であり、聖樹である彼女を信仰して暮らした。

何代も何代も幸せに暮らしたが、魔術師は未だ歳を取らずに皆を見守り続けている。

魔術師は必要であれば、魔術を扱う為の道具を増やし、この島と聖樹と私達が健やかに暮らせるように手助けをしてくれた。

けれど、もう、魔術師の姿を覚えている者は誰も居ない。

魔術師の姿を覚えているのは、母樹の精霊だけ。

聖樹の女神だけだ。

魔術師は精霊と共に聖樹に暮らしているとも言われているが、真偽の程は分からない。

しかし、もし、あなたの街に釣り竿を借りに来た者が居るのなら貸してあげるように。

あなたの船に、釣りがしたいと乗りたがっている者は、喜んで乗せなさい。

釣りを楽しみにしている魔術師かもしれないから。

魔術師が、あなたの目の前で、あなたの笑顔を見て微笑んでいるのかもしれない。


この島が幸せと笑顔で溢れますように。


──魔術師様と精霊様に感謝を込めて。

──カイネルック






小鳥の鳴き声に、ヤヤネは目を開けた。

タロの横腹に寄り掛かって寝ていた体を捩り、膝の上で開いたままだった絵本を閉じる。

タロの顔を見れば、床に顎を付けていたが、目は空いていた。

いつもタロは早起きだ。

ヤヤネは座ったまま伸びをして、膝掛けと絵本を持ったまま立ち上がり、絵本は机の上に、膝掛けは椅子に掛け、今度は全身で伸びをする。

タロも体を起こそうとして、彼のカウベルが床に擦れる音がした。

ヤヤネは昨夜と同じスープの鍋を火に掛けながら扉を開けてタロを外へと誘導し、家の隣にある牛舎前の飼槽にクズ野菜や牧草を入れた。

そして、食べ始めたタロを確認してから家に戻り、顔を洗って丁度よく温まったスープを皿によそうと、昨夜と同じ食事を朝食として口に運ぶ。


ヤヤネは朝食を終えると遠出用の確りとした革の鞄から手帳を取り出し、ペンをインクに付けて、あるページに文字を書いた。

しばらくはペン先が羊皮紙を擦る音が響き、十分程で終わるとヤヤネはインクを乾かす為に手帳を開いたまま、インクとペンを片付ける。


扉を開けたヤヤネは、食事を終えたタロが伏せている姿に彼が期待するものを察してくすりと笑い、牛舎の倉庫からブラシを持ってきた。

タロの大きな体を、体の小さなヤヤネが体全体を使ってブラシで梳かす。

タロは気持ち良さそうに目を細め、次第に足を崩していき、最終的にゴロリと横に寝転がった。

ヤヤネはじんわりと汗を掻きながらタロの全身を梳かし、それを終えて息を吐いた。

終わったよ。と、タロの腹を叩くがいつもの事ながら起きない彼に微笑み、ブラシを倉庫に片して家に戻る。

手帳のインクが乾いている事を確認し、一応インクが移らないように間紙を挟んで手帳を閉じた。

それを革紐でぐるぐると巻いて閉じていると、カウベルを鳴らしながらブラッシングの続きをねだる事を断念したらしいタロが家の中へと入ってくる。

ヤヤネは手帳を鞄に仕舞い、昨夜眠りに就いたのと同じ場所で伏せたタロに装具を付けた。

鞍に杖を固定し、その反対に先程手帳を仕舞った鞄や、他の荷物を括る。

タロの首輪を握って軽く誘導すれば、彼は立ち上がり、そのまままた扉を潜ってまた外へと出た。

ヤヤネは家の炉や蝋燭の火が消えて来る事を確認しながらコートを着て、タロを追って外に出て扉を閉める。

そしてタロに駆け寄り鞍にしがみつくと、鞍にある手足を掛ける為の出っ張りを辿って上まで登り、横向きに座って落ち着いた。

鞍に引っ掛けてある手綱を軽く引いて合図を出すと、タロは歩き始める。

森を抜け、昨日の村へ続く道から伸びる別の道へと、また手綱を引いて誘導し、タロは大人しくそれに従った。

代わり映えのない道をタロは歩き、ヤヤネはその先をずっと眺めている。


タロは、逞牛ていぎゅうという種類の牛だ。

その名の通り、逞しく大きな体が特徴の牛で、この島では珍しくない。

農作業や荷物運搬用の家畜だが、知能は犬並みだ。

何度も通う道ならば、最初に軽く手綱で誘導すれば後は道なりに進めば良いと理解している。

偶に好奇心で道を逸れる事もあるので油断は出来ないが、その時はまた手綱で注意すれば言う事を聞く個体が多い。

馬よりも遅いが荷物が重くとも長い距離を進め、馬車より遅いが普通は個人でそんなものを所持していないし、乗るとすればそれなりに金が掛かる。

逞牛を飼っている者は普通、急ぎでない限り逞牛に乗って長い道を進むものだ。


ヤヤネは、タロと共に歩き慣れた道を進み、朝早くに出掛けて昼を過ぎるとやっと、静かな田舎の風景から賑やかな田舎の風景へと変わった。

ヤヤネのように逞牛に乗る者や、逞牛に荷台を引かせる者。

馬車に乗る者や、勿論、自らの足で歩く者とが行き交い、ヤヤネは道の端をタロに歩ませるが向かいから来る者は皆、道を譲って避けてくれた。

未だ慣れないその対応に、ヤヤネは擦れ違う彼らに頭を下げて礼を言うので精一杯で、そうしている内に畑や牧場の風景から露店の多い街並みへ移り、それから堅牢な作りの建物が並ぶ大通りに辿り着いた。


その通りの広場の一角にある建物の前でタロを止めると、建物の出入り口に門番のように立つ二人組の男性がヤヤネを見て慣れたように挨拶をする。

ヤヤネは挨拶を返しタロから降りて、内一人の男性がタロに歩み寄って荷物はどうするかと聞いてくれた。

ヤヤネは家で手帳を仕舞った肩掛け鞄だけ鞍から外すと、特に大丈夫だと男性に応え、彼は頷くとタロの首輪を持って建物脇の厩舎にタロを引っ張って行こうとする。

タロは最初歩かなかったが、ヤヤネがタロの横腹をポンポンと叩いて合図を出すと、タロは男性に従い始めた。

ヤヤネは彼に礼を言ってタロを託し、残ったもう一人にも頭を下げて、彼が開けてくれた扉を潜った。

村や自分の住む家とは明らかに別次元の格調高い内装ではあるが、もう流石に感嘆が出る程の新鮮な光景ではない。

ヤヤネは鞄の中身を探りながら中央の受付へと歩き、受付の女性が慣れたようにヤヤネに挨拶すると、ヤヤネも挨拶を返しながら鞄から取り出した手帳を差し出して、


「草と土の魔術師の裾のヤヤネが、先月の活動を報告しに参りました」


「はい、かしこまりました」


文言は堅いものの口調は柔らかく受付の女性はヤヤネから手帳を受け取り、中を軽く確認してから受付内の書類を眺める。


「えぇっと…。

今日は二階の小枝の部屋にお願いします。

シビィ先生はまだ会議中だと思うから、少し待たせてしまうけれど…」


「いえ、私が早く来たので」


「ありがとうね、ヤヤネちゃん」


いえいえこちらこそ。とヤヤネは頭を下げ、階段を登った。

各部屋の入り口にそこがなんという名の部屋なのかを表す絵が描かれており、ヤヤネは小枝が書かれた扉を軽く叩き、返事がないと承知していたので一呼吸空けてからノブを回す。

そこには誰も居なくて、机と、机を挟んで向かい合って置かれた椅子には素人目に見ても立派な意匠が刻まれ、この施設でしかヤヤネは座った事のない高価な革張りのその椅子にヤヤネは腰掛けた。

鞄から取り出した本を静かに読んでいると、ノック音。

ヤヤネは返事をして入室を促し、その扉が開くと、優しそうな若い男性が微笑んで入室してきた。


「こんにちは、ヤヤネさん」


「こんにちは、シビィ先生。

よろしくお願いします」


椅子から立ち上がって一礼するヤヤネに、シビィと呼ばれた青年もお辞儀を返し、抱えた荷物を机に置いた。


「おや、前回お渡した本ですね。

ヤヤネさんは勉強熱心で教師として嬉しい限りです」


「いえ…難しくて、まだこれだけしか読めてなくて…」


そうヤヤネは困ったように笑って、どこまで読めたか本の厚さでシビィに示した。

シビィは穏やかに笑うと首を左右に振り、


「勉強を初めてまだ日が浅いのですから、量ではなく、読んでいるという意欲が何よりも素晴らしいですよ」


シビィの言葉に照れ臭そうなヤヤネの前に、シビィは持ってきた荷物の中から取り出した石盤を置いた。

そこには既に数式が書かれていて、その内容にヤヤネはぎょっとする。


「その本の内容については一度全て読んでから解説した方が良いので、今日は計算のお勉強です。

今日から、二桁のかけ算を行いましょう」


「どうやるのか全然分からないです…」


「大丈夫。

一桁の算術はちゃんと出来ていましたから、慣れれば簡単ですよ。

基本は一桁の時とそう変わりません」


こんなに数字がたくさん…。とヤヤネは石盤を見詰めて苦しそうに呻き、シビィは開いた本をヤヤネへと向けて置いた。

そこには、二桁のかけ算の解き方が載っている。

ヤヤネはシビィから解説を聞きながら、難しいけれど勉強を教えてもらえる幸せを感じた。

本来ならば、ヤヤネは簡単な足し算や引き算は出来ても、かけ算や割り算なんて、言葉は何となく聞いた事がある程度だっただろう。

ヤヤネに限らず大人でも、その程度の学力しかないのがこの島の普通だ。

文字の読み書きはほとんどの者が出来るが、それは親や村の年長者から教わる。

教師を専門にしている者から勉強を教わるのは、領主の子供達や、一部の富裕層のみ。

そんな中ヤヤネがシビィから勉強を教われているのは、ヤヤネが〝魔術師の裾〟だからだ。


ヤヤネが今訪れている島の首都にあるこの建物は、〝魔術師の裾〟の統括や支援をしている〝魔術師協会〟の本部だ。

ここに居る者のほとんどは魔術師の裾か、専門の学者だ。

シビィは、聖樹を研究している専門家であり、勿論ヤヤネが教わっている基本的な学問であれば教師として勿体ない程の学者だ。

魔術師の裾は魔術師協会の決まりを守る責務があるが、その代わりに魔術師協会の庇護下に置かれる。

直接金銭的な支援は受けられないが、食事にも困る経済状況なら食料を支援してもらえるし、ヤヤネの場合は希望して勉強を教えてもらっている。

元々、魔術師の裾になった際に、月に一度の報告書をきちんと書けるようになる為、文字の読み書きや適切な言葉遣いの指導を受け、機会を与えられたので算術や歴史、魔術についてシビィを師事しているのだ。

聖樹や魔術師は、この島にとって宗教のようなもので、彼らに選ばれたとされる魔術師の裾は皆から重んじられている。

そして、魔術師の裾の証として、魔術師協会からコートが支給される。

それを見れば皆一目でその人物が魔術師の裾だと分かる。

田舎の平民であるヤヤネが道を譲られるのも、引け目なく支援を受けられるのもその為だ。


ヤヤネが石盤と睨み合って必死に計算しているこの部屋に、またノック音が響いた。

ヤヤネは返事をして、ヤヤネもシビィも察している訪問者にシビィが卓上を片し始める。

扉を開けた女性は軽く会釈をして、それを返すヤヤネとシビィに口を開く。


「お勉強中に失礼します。

ヤヤネ様の報告書の確認が出来ましたのでお話をさせていただきます」


はい!と応えたヤヤネに、シビィは一度退出すると告げ、片した荷物を持った。

またお願いしますとヤヤネはシビィに頭を下げ、入ってきた女性もシビィに一礼し、シビィもそれを返しながら部屋を出た。

ヤヤネの向かい席に座った彼女は、ヤヤネが受付で提出した報告書を開き、


「ヤヤネ様、ご自身の体調や魔術にお変わりありませんか?」


「はい、大丈夫です。

今回もよろしくお願いします、クリラさん」


「こちらこそ、よろしくお願い致します。

では早速…。

昨年の今頃と、半年前の耕作時は魔術を掛けた畑の数が二十七ですが、先月は二十五となっています。

お間違えはありませんか?」


「はい。

一つの畑はご主人が怪我をして、耕作が遅れて…四日後に魔術を掛ける予定なので今月分の報告に載ります」


「はい」


「それともう一つは…ご高齢で、畑を隣の家に嫁いだ娘さんの方へ譲ったので……。

…この畑が前回のここと合わさって一つの畑として魔術を掛けています」


「なるほど。

面積が増えたのはそういう事ですね」


ありがとうございます。と言いながら別の紙に文字を書き込むクリラを見詰め、ヤヤネは控え目に声を掛ける。


「やっぱり、そういうのは端とかに説明を書いた方が良いですか…?」


クリラは顔を上げ、微笑みながら首を左右に振った。


「いえいえ、ヤヤネ様はご報告が丁寧で大変助かっております。

我々は裾のかたからのご報告を文字だけでなく直接聞くことも大切なのです。

皆様の心身の機微に変化があれば、それを知ることも仕事ですから」


少し〝抜け〟を作っていただかなくては。とクリラは笑う。

不足でないのなら良かったとヤヤネは胸を撫で下ろし、クリラと更に話を続けた。

ひと月に一度、魔術師の裾はどこでどのような魔術を使ったのか、その報酬はどの程度だったのかを報告しなければならない。

それは、裾が魔術を不当に扱わないようにする為だ。


裾の使える魔術は自然の力を手助けする程度のものであり、そうであるべきとされている。

裾の魔術は、一度掛けた程度では細やかなものだが、同じ場所に短期間に何度も掛ければ多少大きな効力を得られるといわれている。

しかし、昔話で魔術師が語ったお裾分けされた魔術は、自然の力を〝健やかに導く〟程度のものだ。

それが魔術師の意思であるとそれており、それが重んじられて、過度に魔術を扱わないようにとこのような管理体制に繋がっている。


また、報酬の額も重要だ。

低廉であれば良いというものではない。

魔術とは、魔術師からお裾分けして頂いた力だ。

安く買い叩かれてはいけない。

しかし己に驕り、不当に多額の報酬を得る事も、勿論決してあってはいけない事だ。

報酬額は魔術師協会で明確に決められており、あとは個人の魔術の力量で多少変わる事があるが、その結果額も魔術師協会が算出して決定している。

だが、魔術を依頼する事は高額ではない。

それは魔術が独占されるものでなく、島の民全てに恩恵が与えられるものであるからで。


それでも魔術を叩き売りしてはいけないのは、魔術師の裾の生活を守る為でもある。

裾としての仕事と他の仕事を兼業しているものも多いが、中には裾としての収入が主な者も居る。

田舎に住み、年齢もまだ幼いヤヤネもそのひとりだ。

ヤヤネは裾としての報酬と、タロに農耕具を引かせて得る金額が収入の全てだ。

たが、ヤヤネの生活は裕福とはいえない。

裾である以上、必要最低限の生活は魔術師協会によって保証されているが、お金持ちになれる訳ではないのだ。

裾として魔術を扱うほとんどの者は、名誉を報酬として得る事を重視して裾としての活動を行っている。

多少本業に支障が出て収入が減ったとしても、〝魔術師の裾〟という称号はその島の民にとって羨望の的だ。

そして、〝魔術師の裾〟は、この島で最も権力のある者の呼称でもある。

それ故に田舎の少女であるヤヤネでも街で道を譲られ、独り人気のない道を歩いても危険がないのだ。


「そういえば、また港に大陸からの船が着いたのですが…」


「!

船が来たんですか?」


「…えぇ、一昨日です。

……、ですが、ヤヤネ様、あまりお近付きにならないようになさって下さい」


疑問に首を傾げるヤヤネに、少々不遜な者達でしたので。と、クリラは釘を刺すように告げた。

今までは大陸から来た船はどれも昔話と同じように遭難に依るものだったが、近年大陸の造船、航海技術が向上したらしく、ここ数年は見事この島に辿り着いて港に停泊する船も何隻か存在していた。

とは言っても、大陸からの旅人曰く、この島は幻のように語られ、ここに向かう船の半数程しか無事に大陸に帰らないという。

その半数の中には、島に辿り着く前に遭難しかけて戻ってきた船も多い。

つまり、大陸からこの島に辿り着き、更に大陸に帰るには多くの幸運が必要なのだ。

その為、大陸から来る者のほとんどが〝冒険者〟と自らを名乗っていた。

交易をするには不安定な航路であり、しかし冒険を好む者には有益な旅路だと言う。

この島の民、特にこの都市まで来れるような者達は皆、彼らの話を聞く事が好きだ。

大陸の話は興味深い。

生活の違いや文化の違いが大陸と島とではあり、自分達の知らない話を聞くのは、子供の頃に絵本を読んでもらう感覚に似ていた。

この魔術師協会の職員達もそんな話を好ましく聞いていたはずだ。

だから、クリラがヤヤネにそう告げたのは珍しい事だった。

怖い人達なのだろうかとヤヤネは考え、彼女の忠告に是か非か答える前に、部屋の扉が叩かれた。

驚いたヤヤネが一瞬言葉に詰まったが、返事をするとそこにはシビィが立っていて、


「すみません、まだ終わってませんでしたか?」


「いえ、大丈夫です」


クリラはシビィの様子にそう答えながら立ち上がった。

普段、呼びに行かなければ戻ってこないシビィが大切な裾の仕事を邪魔をし兼ねないと知りながら入室してきたという事は、何かそれに値する理由があるとクリラもヤヤネも察していた。

そして、シビィに歩み寄ったクリラに、シビィは耳打ちをする。

クリラはそれを聞いて驚いたようで、ヤヤネを一瞥してから、


「ヤヤネ様にも…?」


「えぇ、平等でなければなりませんから…」


「先の適任の方達は…」


聞き取り難い声の小さな二人の会話にヤヤネは耳を澄ませたが、殆ど聞き取れなかった。

二人は何やら言葉を険しい表情で交わし、クリラは少し黙ってからヤヤネの下へ戻ってきた。


「ヤヤネ様、私はこれで失礼いたします」


「あっ…クリラさん、ありがとうございました」


「こちらの方こそ、いつもお疲れ様でございます」


まるでいつものように別れの挨拶をして机の書類や手帳を片すクリラを見送り、部屋の中にはヤヤネとシビィだけになった。

シビィはクリラの座っていた椅子に座り、ヤヤネと向かい合う。

そして、こう問い掛けた。


「ヤヤネさん、聖樹祭はご存知ですね?」






(追懐に耽ると)(いつも、この頃の事を思い出す)

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