その後6 衝撃
ふんふんふーん。もうすぐおっちゃん帰って来るー。
夕方、図書館で借りた本を読みつつ、鼻歌歌って大人しくおっちゃんの帰りを待ってた。今日の晩ご飯は何かな。
玄関のカギを開ける音が聞こえたので、俺は椅子から下りてさささーっと玄関に走る。
「おかえり!おっちゃん!」
おっちゃんを見上げると、おっちゃんは「おう、ただいま」って俺の頭をわしわししてくれた。
してくれたのだが。
俺はアワアワしてしまった。
「どうした?坊主」
おっちゃんはわしわしする手を止め、不思議そうな表情。俺はアワアワしながら指を差す。
「シャツに…口紅が…」
おっちゃんはシャツの胸元の部分の生地を引っ張って、首を傾げた。
「あー…。そうだ。さっき、曲がり角で女の人にぶつかったんだ」
曲がり角でぶつかるだって?本当?本当にそんなことが?だけど、俺の衝撃とは対照的に、おっちゃんはいたって普通だった。フツー。
「そ、そっかあ」
本当にぶつかっただけなのかな。そうなのかな。うーんって思ったけど、おっちゃんがフツーなので本当かどうか追及できなかった。ていうか、良く考えたら、追求する理由もない。ないのだ、俺には。
しかしその日の晩。
洗濯屋さんに持って行くために脱いだ服を袋に入れてた俺は、おっちゃんの服をそっと匂ってみた。香水の匂いとかするんじゃないかと、ドキドキしながら匂ってみた。
でも、おっちゃんの匂いしかしなかった。ホッとしたのと同時に、俺は一体何をしてるんだと表現しがたい気持ちになった。
寝るとき、何だかおっちゃんにくっつきたい気持ちになった。大体いつも何も考えずにくっついてるけど、今日はちょっと違う。くっつきたいと思ったのだ。
「おやすみ」
おっちゃんはいつもどおり俺をさすりさすりしてくれて、俺は安心して目を閉じた。
おっちゃんの男くさい匂いと、石鹸の匂い。そうそうこれこれ、と、すんすんして夢の世界に旅立とうとしたところで、俺はハッと覚醒。
そういや…?
前に、おっちゃんが遅く帰って来た日。俺が料理して怒られちゃった日。あの日、おっちゃん、お風呂に入って帰ってきてなかった?そうそう、石鹸の匂いしてたよね?ね?
シャツに口紅…外でお風呂…。こ、これは。
…おっちゃんって、恋人いるのかな?
少し前、おっちゃんの過去の話を聞いたとき。あの時の感じだったら、昔は恋人いたけど、今はいないって感じだった。そもそも恋人がいたら、捨て子の俺と一緒に暮らそうだなんて思わないだろうし。
でもあれから少し時間経ったし、なんやかんやで運命的な出会いを果たしてるとも限らない。いかついけど、おっちゃん優しいし。
いろいろ考えてたら、星祭りの日に会った女豹教官さんを思い出した。そしたら眠れなくなった。
翌朝。
「坊主、朝だぞ」
布団をめくったおっちゃんは、俺の顔を見てビクッとなった。
「ど、どうした?なんだその顔」
眠れなかった俺は、ヒドイ顔をしているようだ。自分では見えないけど。
「なんか…眠れなかった」
何を考えてて眠れなかったのかは言えなかった。どよどよと負のオーラを放つ俺をおっちゃんは心配して、俺のおでこに手を当ててくれた。
「大丈夫か?熱は無いみたいだけど…お腹痛いとかだるいとか、そんなのは?」
おっちゃん、優しいなあ。…恋人がいても、おかしくないなあ。全然おかしくない。
「ううん、何にもないよ」
のそのそと起き上ろうとしたけど、おっちゃんは俺をベッドにころころした。
「今日は坊主は休みの日だろ?寝とくんだ」
おっちゃんにおでこをさすりさすりされた。すると、すぐにウトウトしてきた。俺の身体、一晩起きてたのはやっぱり辛かったみたいだ。
「…おっちゃん、行ってらっしゃい」
「早く帰ってくるからな」
おっちゃんは両手で俺のほっぺ挟んだ。あったかくて嬉しくて、ひゅふってなる。俺だけじゃなくて、他にもそう思う人がいるのかも。いるんだろうな。
夢うつつ。
俺は追い出されるのかな。
ううん。おっちゃんは優しい。俺を追い出したりしない。きっと、おっちゃんの恋人も優しい。おっちゃんの恋人だもん。俺に出て行かなくていいって言うだろう。でもこのアパートは引っ越すだろうな。狭いもん。3人で暮らせないもん。
でも、そしたら俺は、このアパートにひとりで残らせてもらおう。おっちゃんと、おっちゃんの恋人か奥さんかという人と、俺と。3人でなんか住めない。
とかなんとか。
切れ切れに考えつつ、俺は夢の中に旅立った。
目が覚めると、昼過ぎ。
よく寝たなあと、伸びする。すっかりお昼になった窓の外を見て、俺は決意を固める。
おっちゃんに恋人がいるとか、その人と結婚するとかになったら、俺は応援せねば。
恋人じゃなくても、デートやお出かけするような人がいたら、「ひゅーひゅー」って冷やかすくらいのことしないと。
俺はルエンくんとお出かけしたのに、おっちゃんはダメっって、そんなのは変だしね。おっちゃんは大人だしね。そうそう、そうなんだよー。
そういうことなんだし、来るべき一人暮らしに備えて俺がしなくちゃいけないこと…。料理をできるようにならないと。おっちゃんと一緒だったら、練習がてらに作ってもいいんじゃないのかな。おっちゃんにお願いしてみよう。
おっちゃんが用意してくれてた朝ご飯のイモをまぐまぐしながら、改めて部屋をキョロキョロしてみた。
この部屋の家賃っていくらくらいなんだろ。俺の郵便局のお給料じゃ、払えないだろうなあ。
おっちゃんが置いてくれてる新聞を広げてみる。新聞には賃貸情報も載ってる。それをふむふむと読むけど、俺の給料で生活できそうな部屋はない。
…隊長さんの愛人になる仕事をすれば、払えるかな。
チラッと考えてブンブンと頭を振った。一瞬でも何を考えてるんだ、俺は。
変な考えを振り払うように、勢いよく椅子から下りた。
今日はいつもより隅々まで掃除してみよう。床をさっさと掃くだけじゃなくて、水拭きまでしちゃおう。
そんなこんなで時間かけて掃除をし終わった直後。玄関ドアの鍵が開く音が聞こえた。まだ夕方の早い時間だけど、もう仕事終わったのかな?嬉しい気持ちで、てててっと玄関に向かう。
「おっちゃん、早いね。おかえりなさい」
「おう。ただいま。朝より元気そうだな。よかったよかった」
おっちゃんは優しい手つきで俺の頭をよしよしわしわし。俺のこと心配して早く帰ってきてくれたのかな。やさしー。
それはそうとして、料理のお願いをしないと。
「おっちゃん、晩ご飯作る?俺も作るの手伝う!」
おっちゃんは数秒悩んだあと、頷いた。
「…少しだけな」
そして始まった晩ご飯作り。俺のお手伝いは、鍋をかき混ぜることだけだった。それでもおっちゃんがヒヤヒヤしてるのが伝わってきた。俺が鍋をひっくり返すとでも?さすがにそこまでボケーっとしてないよ。
おっちゃんに見守られつつ、ぐーるぐる鍋を混ぜてたら、玄関ドアがノックされた。
「坊主、出てくれ」
鍋の番をおっちゃんと交代し、言われる通り玄関へ。番所の兄ちゃんかな、なんて思ってガチャリとドアを開けると…。
「こんばんは、ぼうや」
ニッコリをキレイな笑顔を見せたのは、女豹教官さんだった。家に来た…。何しに?
俺がぽけーっとなってると、おっちゃんが素早く火を止めて俺の後ろに立った。そのおっちゃんを見て、女豹教官さんは申し訳なさそうに微笑む。キレイだな。
「ごめんなさいね。家まで来て。これ、明日まで持たないでしょ?」
「ああ、すまん。すっかり忘れてた。ありがたい」
…俺は、俺は。今ここで何を言うべきか。仲良さそうなふたりを見て、俺の口から出た言葉。
「あの、よかったら、上がってください。晩ご飯、食べて行ってください」
本当は帰ってほしい。俺とおっちゃんの楽しい時間に入って来ないでほしい。
けど。
もし、女豹教官さんがおっちゃんの恋人だったら。俺は応援しなきゃいけないから。
俺の精一杯の申し出に、女豹教官さんは慈しむように微笑んだ。そして、俺の頭に手を伸ばした。
「あら、ありがとう。そんなこと言えるなんて、えらいわねえ。ウチの子とは大違いだわ」
…ウチの子?女豹教官さんに撫でられながら、頭の中にはたくさんのハテナ。
「そりゃ、ウチの坊主だからな」
おっちゃんは自慢げな口調。俺はおっちゃんの自慢なのかな。それはとても嬉しいことだけど、頭がうまく働かない。
相変わらずぽけーっとなったままの俺の頭から、女豹教官さんは手を離した。
「旦那と子供が待ってるから帰るわ。ありがとね、ぼうや」
女豹教官さんは笑顔で手を振って帰って行った。俺は最後までぽけーっとなってた。
言葉が出たのは、玄関ドアを閉めたあと。
「旦那さんと子供さんがいるんだね…」
俺はかなり衝撃だったのだが、おっちゃんは平然としてた。おっちゃんにとってはもう知ってることで、大したことのない、当然のことなんだろう。
「ああ。あの人は以前は騎士団に所属していて、結婚を機に養成学校の教官になったんだ」
女豹教官さんをおっちゃんの恋人かもしれないと思った自分が恥ずかしい。考えすぎだったこと、勝手に恋人設定してしまったこと。
…いや、でも。
口紅の件も、外でお風呂の件も、事実は事実なんだ。女豹教官さんじゃない誰か。誰だろう。
ついおっちゃんを見てしまった。
そしたら、俺の視線を感じたおっちゃんと目が合った。何を届けてくれたのか俺が気になったと思ったんだろう。女豹教官さんが届けてくれた袋を俺に見せてくれた。
「ああ、これか?これは果物だ。今朝偶然、学校の近くに行商人がいて買ったんだ」
おっちゃんが見せてくれた袋の中身。ビワみたいなのが、5個入ってた。甘い匂いがする。
「すぐ悪くなってしまうのが難点だが、これを食べると夜よく眠れるんだ。買ったはいいが、すっかり忘れてた」
おっちゃんは俺のために買ってくれたんだ。おっちゃん、優しいなあ。
思わず、おっちゃんのシャツの裾を握ってしまった。
「どうした?」
少し変な俺に、おっちゃんはすぐに気付いた。袋をテーブルに乗せ、そして俺をよいせと抱き上げて椅子に座らせた。
「考えてたんだ。シャツの口紅とか、外でお風呂入ってきたこととか」
昨日の晩から思ってたこと、口から勝手にぽろぽろ出てくる。
「外でお風呂?」
「おっちゃんが遅く帰って来た日、あったでしょ?俺が料理作って、おっちゃんに怒られた日。あの日、おっちゃん、お風呂入って帰ってきたでしょ?」
おっちゃんは何か思い出すように、目をつぶってウーンと唸った。でも出てこないみたいだった。俺が気付かなかっただけで、お風呂は日常茶飯事なのかも?いちいち思い出すことじゃないのかも?
自分の鈍さに苦笑いして、話を続ける。
「俺は考えたんだ。おっちゃんには、恋人がいるのかなって。もしそうなら、俺はこれからどうなるのかなあって」
全部話したら、やっぱり悲しくなってきた。応援するって決めたはずなのに、悲しくなってきた。…置いてけぼりにされるのはイヤだ。
溜め息を吐いて下を向く俺に、おっちゃんはウーンともうひとつ唸った。
「そんな人はいない。口紅は、本当にぶつかっただけだ。風呂のことも、思い出した。あの日は野外演習で汗と泥にまみれてしまったから、学校で風呂に入っただけだ」
おっちゃんを見上げると、ただただ困った顔をしていた。
「…ほんと?」
「本当だ」
おっちゃんは断言した。迷いのない言い方だった。
…そうか。俺の考えすぎだったのか。でも、それでも!
「もし、結婚するような人がいたら、教えてね?」
尚もそんなこと言う俺に、おっちゃんはワハハと豪快に笑った。
「いないよ。そんな人は」
わしゃわしゃぐりぐり。おっちゃんのでかい手で、俺の髪はめちゃくちゃにかき回された。
これにて、一件落着。
そう思ったけど。
「ところで、『シャツに口紅。外でお風呂』と『恋人がいる』ってことを、どうやって結び付けたんだ?その知識はどこからきたんだ?」
そんな質問をしてくるとは。どこって答えられるものじゃないけど…。えーと。どう返事しようか。
「…本で読んだ」
まあまあ無難だと思う答えを言ったけど、おっちゃんは渋い表情。
「その本は、坊主が読むにはまだ早いな」
どんな本読んだと思われてるんだろう…。変な本は読んでないよと、心の中で抗議しておいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます