番外編
その後1 ちょっとケンカ
「おっちゃん、遅い」
俺は時計を睨みながら、いつもの時間をとうに過ぎても帰ってこないおっちゃんを待っていた。今日は遅くなるって言ってなかったはずだけどなあ。
おっちゃん、どうしたのかな。仕事で何かトラブルでもあったのかな。
…ちゃんと帰ってくるよね?ね?
おっちゃんを心配しつつも、俺のお腹は素直。ぐーっと鳴った。いつもの晩ご飯の時間はとっくに過ぎている。
「お腹空いた…。でもなあ…」
パンがストックされてるカゴを見るけど、中には硬いパンが一切れあるだけ。今朝、おっちゃんが「パンがもうないな。今日の帰りに買ってくる」って言ってた。
パンをじーっと見ながら、俺は俺のお腹と相談する。
…お腹空いた。この一切れだけじゃ、絶対に足りない。でも、今の時間からお弁当屋さんにも行けないし。おっちゃんは何時に帰ってくるか分からないし。
「ようし…!」
俺は禁じられている料理に手を出すことにした。料理といっても、盛大なことができるとは思っていない。自分の技術は正しく理解しているつもりだ。
「知ってるんだ。ここにハムがあるんだよね」
独り言を言いつつ、食材ストックしてる箱からハムを取り出す。それと、卵。
これで食材準備はカンペキ。
フライパンをコンロに置く。使ったことないけど、使い方は分かる。ガスじゃなくて石が入ってるんだ。だけど、このスイッチを押すだけ。やるぞ!
カチッという音とともに、ボッと火が付いた。よしよし。いける。
フライパンを熱して、ハムを投下。じゅわーって焼けた感じがしたので、次に卵も投下。
おお。すごい。いい匂いだ。完全なる目玉焼きだ。朝ご飯みたいなメニューだけど、そこは気にしない。
出来上がった目玉焼きをお皿に移して、火を消したかどうか指差し確認。アパートを火事にしたりはしない。
やればできるんだ、俺って。おっちゃん、ビックリするかな?おっちゃんが遅くても自分のこと自分でできたから、おっちゃんは俺のこと褒めてくれるかな。
ちょっとウキウキした気持ちになって、パンと目玉焼き食べた。おっちゃんが帰ってきたら、おっちゃんの分も俺が作ってあげよう。美味しいって言ってくれるといいな。
そんなこんな想像して、食べ終わってすぐ。お皿を片づけようとしたとき。
玄関のドアがガチャガチャ鳴った。鍵を開ける音だ。
「遅くなった。すまない」
おっちゃんは息を切らせて帰ってきた。急いで帰ってきてくれたんだと思うと嬉しくなって、俺はおっちゃんに駆け寄った。
「おっちゃん!おかえり!お仕事お疲れさま!」
とすっとぶつかっていくと、おっちゃんは俺を抱きとめた。そこで、少しの違和感。
あれ?おっちゃん、石鹸の匂いがする。お風呂に入ってきたのかな?ひとりで銭湯行ってきたのかな?
ついっとおっちゃんを見上げると、おっちゃんは俺じゃなくてテーブル見てた。そうだ。ひとりでゴハン食べたことを自慢しなきゃ。
と、思ったのだが。おっちゃんは怖い顔で俺を見た。
「料理はダメだって言っただろう!」
怒られたって、一瞬気付かなかった。だって、おっちゃんの帰りが遅いから。お腹空いたから。ひとりでもちゃんと食事できるって、おっちゃんに褒めてもらいたかったのに。
約束破ったのは悪いことかもしれないけど、そんな大きい声で怒ることないじゃん…。そんなに俺は悪いことした?した?
おっちゃん、帰ってくるの遅かったくせに。しかも、お風呂入ってから帰ってきたくせに。
おっちゃんから手を離して、俺はぐっと自分の服の裾を握った。うぐぐ。泣きそうになってきた。俯いてガマンするけど、泣きそう。
そんな俺の様子に、おっちゃんは「…あっ。そうだ、パンが…」と小さく声を漏らした。パンが一切れしかなかったこと、思い出したんだろうか。言い過ぎたって思ったんだろうか。でも、知らない。
遅く帰ってきたおっちゃんなんか知らない。
「…おやすみなさい!」
テーブルの上のお皿はそのまま、シャワーも浴びない歯磨きもしないでベッドに逃げた。ベッドの端に横になって、壁におでこをくっつけた。
後からおっちゃんがベッドに入ってきたけど、俺は背中を向け続けた。おっちゃんが俺の髪の毛を後ろから撫でてくれたけど、無視して寝たふりした。
翌朝。
モヤモヤした気持ちで目が覚めた。なんで壁が目の前にあるんだろうと思った。
そうだ。俺はおっちゃんとケンカしたんだった…。
おっちゃん、もう起きてるんだ。
寝室のドアの向こうでは、おっちゃんが朝の支度をしてる物音が聞こえた。それを聞かないように、俺は壁と仲良くしたまま布団をかぶりなおした。俺は仕事休みの日だから、起きないんだ。洗濯屋にも行かないんだ。しーらない。
朝になっても心の中を整理できなくて、俺は目をつぶる。すると、出かける時間になったのか、おっちゃんが寝室のドアを開けた。ドアの音にビクッとなったので、俺が起きてるのはおっちゃんにバレたことだろう。
「…行ってくる。今日は早く帰ってくるから」
そう言って、ドア閉めるのかなと思ったが。おっちゃんはドアをなかなか閉めなかった。俺が返事するの待ってるのかな。何か言ったほうがいいかな…。
言葉が見つからなくてソワソワしてたら、しばらくしておっちゃんは諦めたのか静かにドアを閉めた。
それから何分間かベッドの中で丸まってた。考えては消えていく、いろいろなこと。
本当に洗濯屋に行かなかったな、とか。
「おはよう」「いってらっしゃい」って言わなかったの初めてかな、とか。
気が済むまで寝てやろうかとも思ったけど、考えれば考えるほど眠くなくなる。
仕方ないので、のそのそとベッドから這い出した。昨日、歯磨きしないで寝たから、口の中がドブみたいなニオイする。そんな下らないこと思いつつ、寝室を出て居間に行くと。テーブルの上には、俺の朝ご飯があった。
ふかしたイモ。おっちゃん、朝からイモをふかしてくれたんだ。
それに、昨日俺が使ったフライパンもお皿も、きれいになってた。おっちゃんが洗ってくれたんだ。
シャワー浴びて歯を磨いて、イモをもっちゃもっちゃと食べたら少し元気出た。あと、頭もすっきりしてきた。
「反省会をしなきゃ…」
昨日の俺の悪いとこ。約束破って、火を使ったこと。約束破ったのに、謝らなかったこと。
おっちゃんの悪いとこ。帰ってくるのが遅かったこと。俺を心配させたこと。急いで帰ってきたけど、お風呂に入ってきたこと。お風呂に入らなかったら、もっと早くに帰ってこれたんじゃないの?パンが一切れしかなかったから俺は料理したのに、俺の気持ちを考えなかったこと。パンが残り少ないのを忘れてたこと。
ここまで考えて、俺はテーブルにおでこをゴツンとぶつけた。
「おっちゃんだって、パンを忘れるときもあるよね。ゆっくりお風呂に入りたいときもあるよね」
寂しいけど…。おっちゃんにも自由な時間が必要だ。だから俺は、自分のできる範囲でできることをしなきゃ。
「よし!俺がパン係になろう!」
おっちゃんの負担を減らそう。仕事帰りのおっちゃんにパンを買ってきてもらうんじゃなくて、俺が買いに行けばいいんだよ。
そうと決まれば、行動あるのみ。首に財布をかけて、お出かけの準備。えいえいおー。
パン屋には行ったことないけど、場所は知ってる。大通り沿い、郵便局の近くにあるんだ。
てくてく歩いて、郵便局を通り過ぎ。そしてやってきたパン屋。初めての店なので少しドキドキしてドアを開けた。店の中は、まだお昼前だからかお客さんはいなかった。
「おや、かわいいお客さん。いらっしゃい」
優しそうな店員のお兄さんがいた。他にお客さんもいないので、今がチャンス。
「あの…。日持ちするパンをください」
いろいろな種類のパンが並んでて、いつもおっちゃんが買ってるパンが分からないので店員さんに聞くことにした。おっちゃんが買ってくるパンは、買ってから一週間くらいは食べられる。たくさん買って、一週間くらい買いに行かずに済むようにしてるのだ。
「日持ちするパン?それだと、このパンだね。堅く焼しめてるから、一週間は持つよ」
店員さんがすすめてくれたパンは、いつもおっちゃんが買ってきてくれるのと同じだった。安心した。
「じゃあ、それください。あと、このお店で一番人気のパンもひとつください」
一番人気だったら、一番おいしいだろう。おっちゃんに食べてもらうんだ。
「じゃあ、これとこれ。…これはおまけ。また来てね」
店員さんは日持ちパンと人気パン以外に、小さいパンをふたつみっつ袋に入れてくれた。すごくいい店だ、ここは。
親切にしてもらったので、ほこほこした気持ちでパン屋を出る。だけどすぐに、少しだけ心が沈んだ。
おっちゃん、俺が買ったパンを食べてくれるかな。俺はおっちゃんを無視しちゃったから、おっちゃんも俺を無視するかもしれない。
想像すると、悲しくなってきた。おっちゃんも悲しかったかな。
おっちゃんに謝りたいけど、許してもらえなかったらどうしよう。パンの袋を抱えて、今更そんなこと思う。
俺はバカだな。ものすごいバカ。バカの世界の王様かもしれない。
家に帰ろうかと思ったけど、足が向かなかった。ちょっと遠回りして帰ろう。元気はどっか行って、視線を地面に落としてしまう。溜め息吐いてフラフラと知ってる道を適当に歩く。あーあ。どうして俺はバカなんだろう。そんなこと鬱々と考えていたその時、名前を呼ばれた。
「イズルくん?」
パッと顔を上げると、そこにいたのは。
「兄ちゃん…」
見回りの途中だったんだろうか。番所の兄ちゃんはいつものようにニコッとして見せてくれて、俺はなんだか泣きそうになった。
「どうしたの?イズルくん」
兄ちゃんは腰をかがめて、俺の顔を覗き込んだ。強がってもしゃーないので、素直にぽろぽろ言葉をこぼす。
「おっちゃんとケンカしちゃったんだ」
しょぼくれた俺を可哀想に思ったのか、兄ちゃんはあくまで優しかった。
「それは大変だね。よし、じゃあちょっとお話しようか」
兄ちゃんは促すように、俺の肩をぽしぽし叩いた。俺はうなだれて兄ちゃんについてく。まるで連行されているようだ。
番所に着いたら、兄ちゃんは俺に椅子をすすめてくれた。パンの袋を抱えて、その椅子に座る。パン…。おっちゃん食べてくれるかな。
「さてさて、ケンカってどういうことかな?」
兄ちゃんが淹れてくれたお茶を飲みながら、俺は昨日のことを話した。おっちゃんの帰りが遅かったこと。パンが一切れしかなかったから、自分で料理したこと。それをおっちゃんに怒られたこと。
怒られたから、俺はおっちゃんを無視したこと。
兄ちゃんは俺の話をうんうんって頷きながら最後まで聞いてくれた。
「そうか。それは、アシオさんが悪いね。保護者なんだから、イズルくんがお腹空かせるようなことになっちゃいけないんだ」
兄ちゃんは俺の味方してくれた。それはありがたいけど、でもおっちゃんが悪者になるのは違うんだ。
「でも、わざとじゃないよ。おっちゃん、走って帰ってきてくれた。俺がおっちゃんを無視したのに、朝ご飯も用意してくれたんだ」
おっちゃんは保護者失格だって思われたら困る。それは違うんだ。俺が必死になって兄ちゃんに伝えると、兄ちゃんは微笑んだ。
「えらいね、イズルくん。アシオさんに感謝する気持ちがあるなら、それを素直に言えば大丈夫だよ。すぐに仲直りできるよ」
「そうかなあ…」
尚もブツブツと心配を口にすると、兄ちゃんは今度はカラカラ笑った。
「心配しなくても大丈夫。きっとアシオさんも、どうやって仲直りしようか考えてると思うよ」
俺は悩んでるっていうのに、そんな簡単に笑ってくれちゃって…。もー。だけど、励まされて元気出た。深刻なことじゃないって言ってもらえて、心が軽くなった。
兄ちゃんに手を振り、番所を出る。さっきまでノロノロした足取りだったけど、今はシャッシャと歩ける。
家に帰ったら、おまけのパン食べよう。その後は、お掃除しよう。今日は晴れてて暖かいから、枕を干してみようかな。
で、おっちゃんが帰ってきたら、ちゃんと謝ろう。
晴れた空を見上げて決意を固める。よし!
という意気込みだったけど、家の前で俺は固まった。
「…ど、泥棒かな?」
玄関ドアが半開きだった。俺、鍵を閉め忘れてたのかな。なんたって俺は、バカの世界の王様だからなあ。ウッカリ鍵を閉め忘れてたのか、本当に泥棒でもいるのか…。そろりそろりとドアを開けてみる。すると、中から大声が聞こえた。大声というか、叫び声。
「坊主!どこだ!?」
家の中にいるのはおっちゃんだった。ドタバタとした足音が聞こえる。ドンとかバンとか、クローゼットやトイレのドアやらお風呂場のドアやらを開ける音も。
「ここだよ」
俺が家に入ると、おっちゃんはワッとすごい速さで俺の元へ。そして、袋を抱えたままの俺をぎゅーっと抱きしめた。
「どこ行ってたんだ?」
おっちゃんは確かめるように、俺の顔をぺたぺた触った。おっちゃんのごつい手で触られると、フフフってなる。フフフってなってる場合じゃないけど、自然になっちゃう。
「パン屋だよ」
自慢するようにパン屋の袋を見せると、おっちゃんは情けないと言わんばかりにへしょっとなった。
「すまんかったな。おっちゃんが頼りないから、自分で買いに行ったんだな」
おっちゃんが落ち込んでしまった。励まさないと!
「違うよ。そうじゃないよ。おっちゃんは忙しいから、俺は自分でできることをしようと思ったんだ。…おっちゃん、ごめんなさい。料理のことも、おはようって言わなかったことも」
励ましの言葉だけじゃなくて、自然にごめんなさいの言葉も口から出た。すると、おっちゃんは俺の顔をペタペタするのを止めて、もう一回ぎゅーって抱きしめてくれた。
「いい。いいんだ。おっちゃんこそ悪かった。お腹空いたから料理作ったんだよな。それなのに、頭ごなしに怒って悪かった」
おっちゃんに抱きしめられ、おっちゃんの匂いをくんくんする。汗のにおいがした。仕事したあとのおっちゃんの匂いだ。
あれ?
「おっちゃん、お仕事は?」
まだ昼間だ。どうしておっちゃんは家にいるんだろ?遅ればせながら疑問を口にすると、おっちゃんは慌てて時計を見た。
「そうだ、そろそろ戻らないと。昼休憩に抜けてきたんだ。テーブルの上に昼飯があるからな」
急いで出て行こうとするおっちゃんだけど、俺は待ったをかけた。
「あ、待って。これ、おっちゃんの!」
さっきパン屋で買った、一番人気のパンをおっちゃんに渡す。そしたら、おっちゃんは俺の頭をわしわししてくれた。
「ありがとうな、坊主。今日は何としてでも早く帰ってくるから、大人しく待ってるんだぞ」
「はーい!いってらっしゃい!」
元気よくおっちゃんを送り出す。仲直りできて良かった。
その日の夜は、いつもよりくっついて寝た。
「今日はこっち向いて寝よっと」
昨日は壁に向かって寝たので、今日はおっちゃんに顔を向けて寝てみた。すると、おっちゃんも「よし。じゃあおっちゃんも坊主に顔を向けて寝ようかな」って。至近距離で顔を見合わせるのは照れたので、いっそ顔をおっちゃんの胸にくっつけてみた。
そんで、おっちゃんになでなでしてもらってるうちに眠くなった。
そういや、どうして昨日は遅くなったのか結局聞かなかったなあ…。ひとりでお風呂だったのかな?まあいいか。おっちゃんと仲直りできたから何でもいいや。
あったかい気持ちでウトウトして、いつの間にかぐっすり寝た。
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