第25話
「何だったんだろうね」
家に入って、ようやく一息。
おっちゃんとお出かけした帰りに、隊長さんと、隊長さんと同じ白いコート着た男の人に話しかけられてビックリした。
「あんまり気にするな。…でも気を付けろよ」
おっちゃんは俺の耳当てを取って、そんで頭をわしわしした。隊長さんは一体どんな目的があるんだろうか。
家の中にいるけど何だか落ち着かなくて、その日の夜はいつもよりおっちゃんにくっついて寝た。あったかかった。
隊長さんのことは気にかかりつつも、日々は過ぎて行く。
ある日、郵便局から家に帰ると、ポストに手紙が入っていた。
ルエンくんからの手紙だ。
文通を始めるにあたって、おっちゃんが受け渡し係してくれるのかなって思ったけど、ルエンくんが「教官に託したら教官の検閲が入る」と断固拒否したらしい。
おっちゃんは勝手に手紙読んだりしないよ。多分ね。
ルエンくんからは週に一回か二回、手紙が届く。
『学校の寮に住んでて、休日でも許可がないと外出できない。出かけるときも制服なんだ』
『アシオ教官は鬼教官だけど、いい意味で鬼教官だ。厳しいけど、学生から慕われているよ』
『アシオ教官は、今日の昼、野菜炒め定食を食べてたよ。おかわりもしてたよ』
ルエンくんから届く手紙は楽しみだ。
俺の知らない生活を教えてくれるし、俺の知らないおっちゃんのことも教えてくれる。
俺はルエンくんへの手紙に、おっちゃんのこと質問したり俺の日常生活を綴る。
俺の日常生活って面白いかなあって疑問だったけど、ルエンくんはいっぱい質問してくれるからきっと面白いんだろう。
そして今日、届いた手紙。
今日はどんなこと書いてるのかな。おっちゃんのこと書いてるかな。ウキウキして開封する。
『来週、夜間野外演習があるんだ。演習だから危ないことはないと思うけど…。オレの無事を祈っておいてくれたら嬉しいな』
夜間演習もあるんだ。騎士になるって、大変なんだなあ。
ルエンくんに返事を書いて、封をしたちょうどその時。
玄関のドアが開いた。
「おっちゃん、おかえり!今日は早かったね!」
たたたーっておっちゃんに駆け寄ると、俺の頭をわしわし。
「おう、ただいま」
おっちゃんの手には、買い物袋。野菜がはみ出てた。
「今日はおっちゃんの手料理の日?」
お弁当も好きだけど、おっちゃんの料理も好きだ。だから俺はウキウキしたんだけど、おっちゃんは少し暗い表情。
「おっちゃん、元気ないね?何かあったの?」
おっちゃんは椅子に座り、溜め息を吐いた。
悪いことでもあったのかな。心配になって、膝の上のおっちゃんの手を握った。
「実は、来週、夜間演習があるんだが…。急に担当を頼まれたんだ」
ルエンくんの手紙にもあった。おっちゃんも行くんだ。だけど…。
「おっちゃん、それって怖いの…?」
おっちゃんがこんなに落ち込むくらいだ。きっと怖いんだ。
ルエンくん、大丈夫かな。もっとしっかり励ましの言葉を書けばよかったかもしれない。もう封しちゃった。
「怖くないさ。でも、夜間演習だから、その日は家に帰れない」
そうなのか。俺は一晩、ひとりなのか。
「おっちゃん、一晩くらい俺は大丈夫だよ。怖くないよ」
おっちゃんはもう一回溜め息を吐いて、「どうしたもんかな」と呟いた。一晩くらい、ひとりでお留守番できるんだけどな。おっちゃんは心配性だ。
おっちゃんは困ってたけど、俺を泊まらせてもらえるような家のアテもない。
夜間演習も、おっちゃんじゃないとダメなんだって。
「困ったなあ」
演習が決まってからというもの、おっちゃんは毎晩寝る前にそう言った。
だから俺は、言ってみた。
「おっちゃん、大丈夫だよ。俺、一晩くらい大丈夫だよ。おっちゃんが帰り遅い日も、大丈夫だったでしょ?」
「いや。一回目は夜に弁当買いに行ったし、二回目は風邪を引いた」
「…そうだねえ」
おっちゃんが俺を一人にできないと思うのも、仕方ないか。
決まりが悪くなって布団の中でモソモソすると、おっちゃんが「何かあってからじゃ、遅いからな」ってよしよしして慰めてくれた。
なんだかんだで、明日に迫った夜間演習。
明日の朝おっちゃんは仕事に行って、明後日の夜に帰ってくるんだって。
今日は仕事休みの俺は、玄関の前で枕を干しながら日向ぼっこ。夜間演習っていうくらいだから、野っ原だかどっかでテント張って寝るんだろう。そんなイメージ。
だから今日はフカフカの太陽の匂いがする枕で寝てもらいたい。
だけど、枕を見張るだけなのも暇なので、そのへんの棒切れ拾って地面に絵を描いたりしてた。
ガリガリと地面に猫を描きつつ、何となしに呟く。
「困ったなあ」
ここ数日のおっちゃんの口癖が移って、つい出てしまった。そしたらば。
「何に困っている?」
上から声が降ってきた。バッと見上げると。
「隊長さん…」
ひえ、油断してた。なんだろう。
ソワソワして返事できないでいたら、隊長さんは俺の描いた絵をまじまじと見た。
「その絵、上手だ。東の森によく出る魔獣だな。そっくりだ」
魔獣…。森にはこんなのが出るのか。でもこれは。
「違います。猫です」
強めに否定すると、隊長さんは一瞬黙ってからポツリ。
「…そうか。すまない」
隊長さんは、悪気があるわけじゃなさそうだった。
謝ってくれたし…。気をつけなきゃいけないけど、悪い人じゃないよね。多分。騎士様だし。隊長さんだし。言ってもいいかな。
「困ってるのは…。明日、おっちゃんが夜間演習で、俺が夜ひとりでお留守番することです」
そう言うや否や、隊長さんの眉間に皺が寄った。
「ひとりで?夜?」
言わないほうがよかったのかな。
また『保護者としての監督が』っておっちゃんを悪く言ってきたらどうしよう。前、意地悪なこと言われたのを思い出して、心臓がきゅーって痛くなった。
だけど。真顔の隊長さんが言ったことは。
「だったら、ウチに泊まりにくるといい。私たちは、友達だろう?」
意外すぎる隊長さんの申し出に、俺は目をパチパチ。
「一応、そうだけど…あの、お屋敷に?」
手紙の配達に行ったときの、あのお金持ちの地区でも一番のお金持ち感があったお屋敷。隊長さんへの警戒よりも、ビックリが勝った。あのお屋敷に泊まるだって?
「ああ。明日、何時に来てくれてもいい。屋敷の者には言っておく。遠慮することはない」
隊長さんは淡々と話を進めるので、俺は正気に戻った。
「おっちゃんに聞かないと、返事できないです」
「なるほど…。では、また夜に来よう。その時に返事を聞かせてくれ」
隊長さんは、颯爽と立ち去って行った。親切な人なのか、意地悪な人なのか、どっちか分かんないな。
夕方。
帰ってきたおっちゃんに、昼間のことを伝えた。
「…ダメだ。と、言いたいが…。坊主を一晩ひとりにするわけにもいかないからな。
あー、どうしようか」
おっちゃんが悩んでしまった。
気を付けないといけない相手に頼ることと、俺を一晩ひとりにすること。このふたつは、天秤にかけることができるレベルってことか。そんなら。
「おっちゃんが悩むってことは、隊長さんの家に泊まっても危ないことはないってこと?」
「…何か調べているような怪しい素振りはあるが…」
おっちゃんはそこで言葉を切って、俺の頭をわしわし。
「怪しいけど、坊主に危害を加えたりはしないと思うから…悩むところだな」
俺も実はそう思うんだ。
おっちゃんに失礼なこと言ったけど、だからといって俺に何かヒドイことする感じじゃなかった。
おっちゃんとふたりで考え込んで、んーってなってると。
ゴンゴンと、ドアが強く叩かれた。
ひえっ。きっと、隊長さんだ。本当に来た。俺は思わずテーブルの向こうに隠れた。丸見えだろうけど。
おっちゃんは俺の行動に少し笑って、そのあとでゆっくり玄関ドアを開けた。そこには予想通り隊長さん。
挨拶もしないで、隊長さんはいきなり言った。
「子供をひとりで、夜に置いておけないのは分かるだろう?」
「…分かっている。でも、どうしてそんなに親切にしてくれるんだ?
第一隊の隊長が気に掛ける存在じゃない。坊主は、ただの、何でもない子供だろう」
そう。俺はただのそのへんの子供なんだ。何で俺に構うのか、不思議でたまらない。
「泣かせてしまった詫びだ」
隊長さんは、全然表情を変えない。笑ったりムッとしたり、そんな感情を見せない。
だけど、やっぱり。悪い人じゃないのかな。
おっちゃんは振り返って、テーブルの影に隠れてるつもりの俺を見た。おっちゃんと目で会話して、俺は小さく頷いた。
おっちゃんも頷き返して、そんで隊長さんに返事した。
「じゃあ、頼む。明日一晩、坊主を預かってくれ」
ということで、明日は隊長さんのお屋敷にお泊りすることが決まった。
よその家にお泊りか…緊張するなあ。
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