第21話
風邪が治ったあと、俺は皆に大歓迎された。あと、心配もされた。
洗濯屋のおばちゃんと、お弁当屋さんの旦那さんと奥さんと、それと郵便局の皆。
「イズルちゃん、大丈夫だった?」
「快気祝いに、何でも好きなものお弁当に詰めてあげるわ」
「無理なときは、無理って言うんだよ」
俺は自分の人気者ぶりに改めて驚きつつ、自分がものすごい幸せ者だと思った。
それと、皆は俺の髪のことも何にも言わなかった。
いや、言われたんだけど、『みっともない』なんて誰も言わなかった。
「あら、ずいぶん短くしちゃったのね」とか「後ろがぴょこぴょこ跳ねててカワイイ」とか「前衛的だね…」とか。
だから、隊長さんに言われた失礼なことは、全部上書きできた。隊長さんに言われたことはもう気にしない。大丈夫!
そうしてすっかり元気になった、ある日の夕方。
「銭湯、楽しみ」
おっちゃんが仕事早く帰って来た日、ふたりでお出かけ。
夕暮れの町を、おっちゃんと手を繋いで歩く。隊長さんはあれ以来現れないし、平和平和。
だけど、もし現れたらどうしよう。
隊長さんはすごく失礼で酷いこと言ったけど、仕事だから言ったんだよね…って少しだけ思うようにしてる。
でももし…。隊長さんが現れて、おっちゃんが保護者として不適当って言われたら。
そんな感じの役所の書類なんか持ってきたりしたら。
想像すると、ブルって震えた。
「坊主、寒いのか?」
「…うん。早くお風呂に入りたいな」
おっちゃんの手をぎゅっと握り直した。おっちゃんも俺の手をぎゅってしてくれた。
という、感傷的な気持ちになったのだが。
銭湯に着いたら、単純な俺は一気にテンション上がった。
「広い!すごい!」
この世界に来てからずっとシャワーだったから、広いお風呂にウキウキする。
洗い場でウキウキキョロキョロしてるすっぽんぽんの俺。そんな俺の腕をおっちゃんは引っ張った。
「先に体を洗うぞ。そこに座れ。目を閉じてろよ」
椅子に座ったら、おっちゃんが俺の髪を洗った。
おっちゃんの大きい手は、俺の頭を簡単にわしゃわしゃ洗い終わってしまう。
「よし、目を開けてもいいぞ。背中を洗ってやろう」
「俺もあとでおっちゃんの背中を洗ってあげるね」
そんなこんなで、おっちゃんに洗ってもらったり洗ってあげたりした。
おっちゃんの背中は広くて、洗うのに一苦労した。
そして、次はいよいよ浴槽に浸かる。
「深い…」
俺には深かった。
浴槽にお尻を付ける形で座ると、俺は顔半分まで沈んでしまう。ぶくぶくぶく。息できない。
かといって、中腰になったら足伸ばせない。
どうしたもんかと試行錯誤してると、おっちゃんが俺を見て笑ってた。くそう。
「おっちゃんの膝に座らせて」
おっちゃんの返事を聞かずに、俺は無理やりおっちゃんの膝の上に乗った。
「しゃあねえなあ」
やれやれと言った感じで、おっちゃんは俺を後ろから抱えてくれた。
これで足が伸ばせる。俺はすっかりご満悦。
そんなこんなしてたら、偶然知った顔を見つけた。
「あれ?アシオさんとイズルくん」
「番所の兄ちゃんだ!」
兄ちゃんは俺とおっちゃんの近くに来て、一緒にお風呂に浸かった。
そして、苦笑いしておっちゃんに小さい声で言った。
「…アシオさん、仲が良いのはいいんですが。…ちょっとだけ犯罪感が…」
「は?」
「いえ、何でもありません」
おっちゃんに凄まれて、兄ちゃんはわざとらしく肩をすくめた。
今日は非番だという兄ちゃんと、三人でのんびり話をした。
主に俺の話。郵便局のこととか、文通始めることとか。
文通の話したら、おっちゃんは不機嫌そうになって、兄ちゃんは笑ってた。
帰るときも、三人一緒。三人で並んで銭湯を出た。
「寒いね。何か温かい物でも買ってあげようか?ホットチョコレートなんかどう?」
おっちゃんと手をつなぐ俺を、兄ちゃんが誘惑してきた。
ホットチョコレート…。ちょっと欲しいかも。
どうしようかっておっちゃんを見上げる。
だけど、おっちゃんは俺を見ないで前を見てた。怖い目をして、前を見てた。
俺もおっちゃんの視線の先を見る。そこには、俺が会いたくない人がいた。
「…隊長さん」
俺が身をすくめると、おっちゃんは俺の手をギュってしてくれた。
隊長さんは表情を崩さず、ツカツカとこちらへ歩いてきた。
何を言われるんだろう。また失礼で酷いこと言うんだろうか。
そう考えると、心臓がきゅーって痛くなった。
近づいてきた隊長さんは、俺たちと1mほどの距離を開けて足を止め、何か言おうと口を開いた。
「この前は、失礼なことを言って申し訳なかった」
意外なことに、隊長さんはおっちゃんに謝った。
エラそうな態度だなって思ったけど、謝るは謝った。
どういう風の吹き回しだろう…と、訝し気に思ってると、隊長さんは今度は俺を見た。
「すまなかったね」
声は平坦で、本当に悪いと思ってるのかどうかは謎。それはともかく、俺は簡単に許したりしないぞ。
「おっちゃんは俺によくしてくれてるから、ほっといてください」
できるだけ怖い声を出して言ってみたけど隊長さんは気にしてない様子。
それどころか、握手を求めるように俺に手を差し出した。
「よかったら、友達になってくれるかな」
どうして友達なんだろう。
変だなって思ったけど、おっちゃんにも俺にも謝ってくれたし…。
隊長さんなりに歩み寄ろうとしてくれてるのかな。
俺はおっちゃんの手を握ったまま、もう片方の手でそっと隊長さんと握手した。でも、怖いからすぐ離した。隊長さんの手は冷たかった。
隊長さんは一瞬だけ握手したその手を見て、ぐっと拳を作ったかと思うと。
「では、また」
そう言い残し、白いコートを翻して去って行った。
俺はしばらくボンヤリとその後ろ姿を見てた。
そんで、姿が見えなくなったあと、兄ちゃんが真剣な声でおっちゃんに言った。
「最近、噂になってるんです。第一隊の隊長が、やたらこの地域に出てるって」
「見回りも仕事じゃないの?」
つい口を挟んでしまった。だって、弁当屋さんで会ったとき、見回りって言ってた。
「隊によって、見回りの区画が決められているんだ。このへんは、第一隊の見回りの区画じゃないんだよ」
そして、少しの間のあと。
おっちゃんが呟いた。
「何か、調べてるのかもしれないな」
何かって何だろう。
なんだか怖くなって、おっちゃんの手を何回もにぎにぎした。
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