第5話 お台場 14:45

お台場について、フジテレビを横目に見る。フジテレビをバックに一枚あなたの写真を撮った。次にレインボーブリッジをバックに撮り、最後に自由の女神をバックに写真を撮った。

「おなかすいたよ」とあなたが言った。その言い方は初めて二人で食事をしたときの言い方に似ていた。出会って二年目くらいだっただろうか。それまで私達は単なる同僚だった。それが事務所で夜二人きりになって、仕事が終わり、あなたから食事に誘ってきた。そのころはよくみんなで夜遅くなると食べに出かけていたので、その延長線上だった。通例としてもその状況で事務所にいれば食事に出ることについては普通のことだった。

「ああいこうか」そのときの状況はたとえ二人きりでもそこに特別な意味はなかった。


アクアシティーの5階で私たちは昼を食べることにした。

とにかく見晴らしのいいところということでレストラン街の一番高い階にやってきた。レインボーブリッジが目の高さにあった。

エレベーターを降りてレストランを探すまえに

「ああ、ここ見晴らし良いぞ」と私は年甲斐もなくはしゃいであなたの手を引いてバルコニーに出た。そこにはお台場の風景が広がっていた。

「いい景色ね」とおなかがすいていることも忘れたようにあなたが言う。そんな横顔を見ていると、あの頃のようだった。

手すりぎりぎりまで来るとかなり風か強かった。

そして急な突風があなたのキャップを飛ばした。

「あっ」と二人で声をあげた。私が弾かれたように

「とってきてやるよ」といって振り返ったときだった。

振り返った私の手をあなたが後ろからつかんだ。

もう一度私は振り返ってあなたを見る。するとあなたはゆっくり首を横に振った。

「いいの」

「でも」

「本当にいいの。あたしたちには時間がない」あなたの深い瞳に私は何も言えなくなっていた。

二人きりで食事をするのも五年ぶりのことだ。かつてはそんなこと当たり前のようにしていた事が特別なことに感じる。


「旦那とはうまくいっているの?」レストランで食事をしながら私はあなたに尋ねた。

「うん、いいやつだよ。でも一つ問題があって」

「何」

「トラキチなんだ」

「トラキチ」

「阪神命」

「名古屋だろ」

「だから問題なんだって。いつかヤクルトファンから刺されるね。ユニホームは当たり前。岡崎で阪神のユニホームを着ているカップルがいたら、あたしたち。ほら」といってあなたは携帯を見せた。そこにはタイガースのステッカーが二枚貼られていた。

「去年の優勝決定戦の時は二日間球場にいました」といってVサインを出した。

「へー」といいながらそれは私の知らないあなたの姿だった。阪神はおろかあなたが野球の話をしたことすらない。これがリアルなあなたの姿なんだ。いつしか私はあなたを私の心の神殿に閉じ込めて、こうなんだというイメージを作り上げ、そんなあなたに恋をしてきていた。だからこうしてリアルなあなたの姿は余計な思いを断ち切れるといういい面と、せっかくなら持ち続けたいという相反する思いを喚起させる。

「綺麗だね」とあなたが言う。レストランの外には窓いっぱいにレインボーブリッジが見える。

「夜はもっと綺麗なんだろうな」

「そうだね」

夜までの時間は私たちには与えられていない。

「幸せなんだ」

「どうなのかな」

「何だよそれ。幸せになってもらわなくちゃ困るんだ」

「何で」

「ずいぶん前に豊橋から名古屋に行く途中の名鉄特急で幸せになりたいって言ってたいただろう。きっと今がその状態だからこそ、僕は我慢が出来る」

あなたはじっと私の顔を見つめた。その泣きそうな顔が何を意味していたのか分からなかった。

「帽子を買って」

「えっ」

「何でもいい。あなたが選んだ帽子を私に買って」

「あっ、ああ、いいよ」私はいったいそれが何を意味するのか分からなかった。

「いきましょう」といって彼女は私の手を引いた。

会ってから一時間半が立っていた

アクアシティーの二階に帽子屋があってそこで私は彼女に帽子を買った。ベレー帽をもう少し角張らせたような帽子だった。とてもよく似合っていた。あなたはその場でその帽子をかぶって店を出た。

「でもあのキャップ本当に良いのか」

「旦那にもらったやつ」

「だったら、大事なものじゃないか、とにかく探しに行こう」

「えっ、ええ」

アクアシティーの一階に出ると、難なくキャップは見つかった。でも悪戯なのか、偶然なのか。誰かに踏まれて泥だらけになっていた。あなたはいとおしそうにその泥だらけのキャップを胸に抱いた。胸に泥がついた。その姿に私はあなたを抱き締めたい衝動に駆られた。

誓って言う。そのときの私によこしまな気持ちはなかった。

ただあなたの大事なキャップと、汚れてしまった服を何とかしたいという気持ちだけだった。その気持ちだけで私たちは、お台場の駅前のホテルに入った。

あなたは何も言わずついてきていた。そのことに抗議も肯定もしていない。ただじっと私を見つめて惹かれるがままに私の後をついてきた。あなたをホテルに連れ込む、それは私のエゴの象徴のようだが、私はかなり純粋にあなたのキャップと服を何とかしたかっただけだった。

会ってから二時間がたっていた。

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