第5話 急の章2
トン、と両肩を押された彼女は、ポカンとした表情で。
「なんで?」
と言った。
うっすらと笑みが浮かんでいる。
本当にわからない問題を問いかけられたときような、戸惑ったような笑顔だ。
「ねえ、ねえ。なんで?」
「……」
詰め寄ってくるさくら。
「ねえ、ねえ、ねえ、ねえ、ねえ!」
彼女はだんだんと語気を強めていき、バン! と机を叩いた。
「もしかしてつばきくんは、そんな能力を押し付けられていつつもまだ、この人生を謳歌しようと思っているの?」
「……」
「あたしたちの人生は今後もずっと退屈なままだよ。だったら二人でこの世界ごと終わらせようよ!」
悲痛な声でさくらは叫んだ。
ぼくだって頷きたい。でもぐっと我慢をしてぼくはさくらに問いかけた。
「例えばそんなに終わらせたいなら、一人で死ぬとかは考えなかったの?」
突き放すようにそう呟くと彼女はかぶりを振って答えた。
「あたしの動機は復讐なんだ」
「復讐」
「そう。あたしから充実した人生を奪った、この理不尽な世界への復讐。それがあたしのやりたいこと。自殺したらそれこそこの世界に負けたことになる。人生丸ごと奪われて、最後には命まで差し出すなんて納得がいかない。だから壊したいんだよ! 君は? つばきくんは本当にそうは思わないの」
世界への復讐なんて正直考えたこともなかったけれど、彼女の言い分は納得できた。
ぼくがこの退屈な世界から退場しないのも同じ理由だからだ。
それでも、だからと言ってこの世界を壊そうとするのは、何か違う気がする。
何が違うのか、と聞かれたらうまく答えられないけれど何かが違う。
そう思いながら言い淀んでいると、彼女はスンと無表情になって。
「そっか。つばきくんが最後の希望だったんだけどな」
と言った。
そのままふらふらとした足取りで窓の方へと歩いていく。
「ちょっと待って、なにを?」
「いや、確かに君の言う通りでもあると思って。一人で死ぬのも当然選択肢としては考えるべきだよね。だからあたし、今ここで死ぬことにしたの」
さくらは悲しそうな顔で笑って、勢いよく窓に足をかけた。
この教室は四階にあるので、打ちどころが悪ければ普通に死んでしまう。綺麗に着地できても大怪我は免れない。
止めなきゃ!
止めなきゃ?
……どうして?
彼女は死にたがっているし、彼女は人類にとって生かしておくには危険すぎる存在だ。
好き勝手に人の思考を操れる人間が自殺を望むのなら、それでいいんじゃないか?
ぼくがそう葛藤している数瞬の間に、彼女は勢いよく窓の枠に立ち、こちらを向いて「……ばいばい」と言った。
その瞬間、ぼくは全てがどうでもよくなって、ひとつの考えに支配される。
彼女を助けなきゃ!
さくらが死にたがっていようが、世界にとって迷惑な存在だろうが関係ない。
ただ、同じ境遇の人間が目の前で死ぬのを黙ってみていられない!
瞬きする間にも飛び降りそうなさくらを止める手段を、世界でぼくだけが持っている。
ぼくは彼女を救いたい一心でぎゅっと目を閉じて―
「『
―息を止めた。
**********
次の瞬間、窓際から吹いてきた風がふわりとさくらを攫い、教室の中央へと運んだ。
そしてその風はさくらと一緒に、真っ黒な塊を運んできた。
その塊はズン、と教室に着陸し、立ち上がる。
男だった。
立ち上がった大きな男が右手のひらを上に向けて、「『
その目に宿るは憎悪の光。
ぼくの命を奪わんとする、鋭い眼光。
「俺の炎で踊り死ね」
**********
ちょっと待て! なになになになに!
今の想像は一体何なんだ。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。
ぼくの想像した通りに、窓側からふわりと風が吹いてきて、さくらを攫っていった。
そしてぼくの想像通りということは―!
「俺の炎で踊り死ね!」
さくらと一緒に教室に転がり込んできた大きな男が、右手で火柱を操っていた。
こんな想像、ぼくがするはずがない!
だいたい青い炎の使い手にクリムゾンなんて能力名をつけるわけがない!
ということは、答えはひとつだ。
「さくら!」
「この世に存在し得ないような右手から炎を出す男も召喚することができる。ふうん、本当に不可能なことはなさそうだね」
「お前、飛び降りようとしたのは」
「ん? フリだよ。さっきも言った通り、あたしはこの世界に復讐がしたいんだよ。それなのに本当に飛び降りるわけないでしょ」
「……」
ぼくの強い目線をさくらは涼しげな表情で流して、ぱん、と手を叩いた。
「つばきくん、危ないよ」
さくらの言葉を聞き反射的に左を振り向くと、炎使いの男の右手が目前に迫っていた。
熱い!
その熱源のお陰で左を振り向くことができたわけだけれど、そんなことを考えている暇はなかった。
「くっ!」
慌てて膝の力を抜き、地面に伏せる。
「『
目を閉じて息を止める。
**********
男はそのままロッカーの方へ吹き飛んだ。
**********
ガラガラ、と音を立ててロッカーの上に置いてあったものが落ちていく。吹き飛ばされた男は後頭部を擦りながら、ぺろっと舌を出して「やるね」と呟いた。
やるね、じゃないわ。
この男が何者で、どうしてぼくを狙っているのかを考えることに意味はない。
突然現れて、右手から炎を出して、なぜかぼくに憎悪を抱いていることがこの場での確定事項になってしまったからだ。
ぼくの能力はぼくの能力ですら打ち消すことができないので、異能を消すことと戦闘を中断することは出来そうにない。
「……」
戦うしか、ないか。
一度気絶させるなどして時間を置けば、可逆な現実はあるべき姿へと戻っていくはず。つまり、この男のぼくへの憎しみは徐々に消えていく。
殺さず、気絶させる。それがぼくの勝利条件で、それだけなら至極簡単なことだった。
「『虚思淡た―』……ゲホッゲホッ!」
息を止めるために空気を吸い込んだぼくの肺が、煙で埋め尽くされた。
いつの間にか机などに燃え広がっていた炎の副次的な殺人効果だ。
炎そのものよりも煙の方が殺意高いんじゃないか!
煙をいっぱい吸い込んでしまったぼくはくらりと倒れこみそうになり、なんとか姿勢を保つ。
落ち着け。
**********
次の瞬間、窓から吹き込んでいた風が煙を全て廊下の方へと吐き出してくれた。
**********
「ふぅう」
何とか煙を追い払ったぼくだったが、当然安堵する暇などなく次なる攻撃が来る。
いっそ男の右腕を切り落とすか?
そんな物騒な想像は出来ても、文字通り息をつく暇がないため能力を発動させることができない。
「っぶねぇ!」
炎使いの男は、数メートル以上離れた位置から火の玉を飛ばしてくる。
ぼくは半ば反射でカーテンを引きちぎってヴェールのように纏い、火の玉を全て防いだ。
しかしこれによって視界がふさがってしまい、ぼくに決定的な隙が生まれた。
「馬鹿め! 自分の目まで塞いでどうする!」
男が勢いをつけて飛び掛かってくる気配を漂わせた。何やら大技を放ってきそうな勢いで、少しだけ攻撃を溜める。目が見えなくても、纏っている炎の熱加減でだいたい雰囲気が掴めた。
その“溜め”が、ほしかった。
一息つく暇さえくれれば、相手の雰囲気なんてどうでもよかった。
**********
**********
「おらぁ! 『
男がひときわ大きな炎を纏った右拳でカーテンを殴りつけた。
その炎がカーテンに接した瞬間、思わず目をつぶりたくなるほどの激しい閃光が輝く。
しかし、すでにカーテンの中には何も存在していなかった。
ぼくはもう、そんなところにはいなかった。
「なに?」
音もなく男の背後に回り込んでいたぼくは、机を掲げて振りかぶりながら、静かに勝利宣言をする。
「右手から炎が出せる人を生み出せるのなら、瞬間移動くらいできていいよね」
そのままガン! と勢いよく机を振り下ろした。
「うう……う」
失神。
こうして炎使いの男は倒れ、ぼくは勝った。
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