第4話 急の章1
「で、君ってどこまでできるの?」
「……多分不可能なことはないよ」
放課後。
昨日、あんなテロリスト騒動があったので生徒は休校になることを期待していたけれど、残念ながら朝に全校集会があっただけでそのあとすぐに日常に戻っていった。
いつものように授業を受けて、いつものようにクラスメイトと楽しく会話をする、酷くつまらない日常だ。
でも今日は、珍しく少しだけ特別なことがあった。
約束通りぼくとさくらは、教室に残って二人きりになる。
「つまり君の異能は、現実を改変する能力っていうことでいいのよね」
さくらは言葉を噛みしめるようにゆっくりと、この異能を紐解いていく。
「その通りだよ。だからぼくの頭の中で想像し得ることは恐らく全部、現実に引き起こすことができる」
「あはッ、いいね、いいわね! すっごくいい!」
「お、おう」
見たことのないようなテンションで大声を上げるさくらにぼくは酷く戸惑った。
いつもつまらなさそうな表情で生きている彼女のこんなに楽しそうな笑顔を初めて見た。
からからと笑いながら机を叩く彼女をしばらく眺めていると、さくらはふと笑顔をやめてこっちを見た。
「はあ、久しぶりに笑ったぁ。ん、つばきくんもなんだか楽しそうだね」
「え?」
戸惑いながら自身の唇に触れると、確かに口角が上がっていた。
自分でも気が付かないうちに笑っていたようだ。
ぼくは、楽しんでいる?
そうだ、さっき自分で言ったばかりじゃないか。今日は珍しく特別なことがあると。
自分の退屈な“縛りプレイ”をぶち壊してくれるかもしれないクラスメイトとの対決。
無理やり手抜きを強要される、苦痛で仕方がなかった人生を変えてくれるかもしれない存在の台頭。
これを楽しみと呼ばず、なんと呼ぶ。
「能力の発動条件は、目を閉じて呼吸を止めること?」
「うん。それも正解だよ」
「なるほど。じゃあやっぱり、この能力の根源は一緒なのかもしれないね」
「どういうこと?」
「……つばきくんは、どうしてあたしが君の能力に見当がついたと思っている?」
「……」
「疑問に思わなかった? 君の能力は決して無からたどり着けるような代物じゃない。そりゃあ君がひまわりちゃんと付き合ったときは全校生徒が驚いただろうし」
そこまで言わなくてもよくない?
「全教科満点をとった時だって全校生徒がカンニングを疑ったと思うよ」
それに関しては致し方ない。
「それでも、同級生が現実改変の能力を持っている、という正解に至るはずがない。君はそう思ったからこそ、泣いている女の子を助けるなんていう下らないことのためにわざわざの能力を使った」
さくらが段階を追って、ぼくの思考を解き明かしていく。
そう。彼女の言う通り、ただの同級生に自分の能力がバレるだなんて想像もしなかった。ぼくの能力に行き着くとすればそれは、それこそテロリスト騒動の時に危惧していた同じような能力を持った組織だけだろう。そうタカをくくっていたのだ。
そしてそれは、あながち間違っちゃいなかったのかもしれない。
窓から差し込んでくる西日が眩しかったので、ぼくは立ち上がってカーテンを閉めた。
グラウンドの方からは野球部のキビキビとしたうるさい声が響いてくる。
なんとなくぼくは、クラスメイトでエースのユウヤの顔を思い浮かべていた。
「―さくら」
ゆっくりと、彼女の方へと顔を向けて、目をあわせる。
ぼくの両目が、彼女の灰色がかった綺麗な双眸を捉える。
「君は、人間の思考改変ができる。そうだよね」
さくらは退屈そうに笑って、「そうだよ」と答えた。
彼女が同じような能力を持っているのかもしれない。その可能性については早い段階から行き着いていた。
確信を持ったのはついさっきだけれど。
いつも退屈そうな彼女が、現実を諦めているような彼女が、珍しく楽しそうにしていた。
そして、そういう人間をぼくはもう一人知っている。
強大な力を与えられ、逆に理不尽な縛りプレイを要求されているせいで人生に面白みを感じなくなってしまった人間を、ぼくは誰よりも知っている。そしてそいつが、もしかすると同じ境遇にいるかもしれないクラスメイトとの対決に、激しく心を躍らせていたことも知っている。
ぼくは梅林さくらの鏡映しで、梅林さくらはぼくの鏡映しだった。
ぼくが想像する予定のなかったテロリスト騒動を想像してしまったこと。
授業中、ぼくの目と口を抱きしめるように覆ったさくらの行為を誰一人気にも留めなかったこと。
そして、警察署でさくらに話を切り出したぼくが、なぜかその場では引いたこと。
彼女は、人の思考に干渉できる。
これがぼくの出した答えだった。
「つばきくんは、人の思考そのものに干渉できるわけじゃないんでしょ?」
首を縦に振る。
「ぼくが引き起こした現実の最中は、それに伴った動機を得る。例えばひまわりに告白をして成功する、という現実を引き起こせば、彼女は彼女の意志でぼくの告白を受諾する」
「でも、君の現実が終われば、世界は元あった姿に戻っていく。その例えで行くとひまわりちゃんは、だんだんと一瞬の気の迷いで告白を受諾したことに気が付くんだね」
だからこそ、ぼくは彼女に告白を受諾させるよう現実を改変したのではなく、彼女がぼくに惹かれるよういくつもの現実を改変したわけだ。
「じゃあ、あのテロリストたちは?」
「今頃は取り調べの最中に、どうしてあんなことをしたのかって不思議に思っているはずだよ」
「……最低だね」
「さくらが仕掛けたんだよ。最低なのは君の方さ」
「ふふ」
「ははっ」
ぼくとさくらは、顔を見合わせて笑う。
確かにぼくの現実のために用意された二人は可哀相だけれど、別にどうでもいい。ぼくには関係のない人たちの話だ。
ひとしきり笑った後、さくらが「あたしの能力はね」と話を切り出した。
「人の思考を改変することができる。目を閉じ、息を止めて、対象の顔と名前を思い浮かべることが発動条件なんだ」
彼女の異能はぼくの世界干渉と違い、個人干渉だ。だからこそ、対象の顔と名前を思い浮かべることが必要なのだろう。
「さくらの能力は永続で効果があるの?」
「まさか。あるわけないよ。基本的にはあたしが目を閉じている間に植え付けた思考しか反映されない」
「あれ? でも、テロリスト騒動直前に、クラスメイトや先生をぼくたちの方を見ないように思考改変していたよね」
そう聞くと、さくらは両手を組んで祈るような形になった。
「……何かの宗教?」
「例えば、悪徳な新興宗教にハマっている女性がいたとして、その人は自分の信仰している宗教が悪徳だっていうことに気が付いた瞬間にスパっと抜けられると思う?」
「……いいや」
「そういうことだよ。人の思考って言うのは常に流動的で、昨日はできないと思っていたことが今日はできる気がすることなんてざらにある。もちろんその逆もたくさんある。だから、一度『梅林さくらを絶対に見てはいけない』と強く植え付けられたら、改変が及ばなくなった後も、少しの間は効果があるんだよ。だって、一度は自分の頭でそう思ったんだから」
「ふうん」
納得した、と呟いて、ぼくはいよいよ本題にさしかかろうと、ちらりと時計を見た。
下校時間まであと一時間程度ある。
話し合いをするには十分な時間だった。
でももし話し合い以外をするのなら、それは十分な時間ではなかった。
だからぼくは単刀直入に話を切り出した。
「結局さくらは、何がしたいの?」
「世界滅亡」
端的に彼女は応える。
世界滅亡?
「つばきくんの能力の一番強いところってなんだと思う?」
「……世界を自分の好きなように塗り替えられるところ」
「違うよ。だって君の想像した現実が終われば、その現実はだんだんと元ある姿に戻っていくでしょ? 昔の皇帝よろしくつばき王国を想像したって、すぐに取り壊されてしまう」
「……」
「でも君の能力の恐ろしいところは、そこにある」
「どういうこと?」
「世界が元ある姿に戻っていく、と言ってもそれは全てじゃない。不可逆な現実を引き起こせば、それは当然元には戻らないんだ」
そう言ってさくらは天井を指差した。
小さな穴が開いていて、そこからヒビが広がっている。
昨日の騒動の時に、テロリストが撃った弾丸の痕だ。
そのまま黒板の方を見ると、野球部のユウヤが投げたボールのせいで大きな穴が開いたままになっている。
「わかった? つまり、君が想像の中で人間を殺したら、その人間はもちろん生き返らないんだよ」
「……」
「もちろん君の万能な現実改変能力を使えば、死者を生き返らせることくらい容易いのかもしれないけど」
「でも……自分の能力で引き起こした現実は、自分の能力では改変できない」
「ふふ。じゃあ、君がもし手を……考えを滑らせて誰かを殺しちゃったら、本当に取り返しがつかないっていうわけね」
「……」
「だからさ、君がこの世界を滅亡させたら、もう二度とこの世界は戻ってこないってことじゃん」
さくらの言いたいことが少しずつ分かってきた。
彼女は、本当にこの世界が退屈なんだ。
人間が他の動物と決定的に違う部分は、言葉を使うということだ。もちろんイルカは会話をするし、実はカニとかも未知の言語でやり取りをしているのかもしれない。
けれど、言葉を用いて記録を残し、意思疎通を行うのは、人間の優れた部分であると言える。
その言葉の根底にあるもの、人間の思考を好きなように操れる彼女は、きっとぼくと同じくらい残酷な縛りプレイを課せられてきたんだろう。
人間関係でうまくいかなくなってきても、思考を操ればそれですべて丸く収まる。
でも、いつもそれをやるのは面白くない。
本当はすべて丸く収めることができるのに、わざと制限を課して他者と同じように悩んでいるふりをする。
酷い茶番。
秀才が己の知識量で人を惹きつけるのも、美男美女が己の色気を使って人を惑わせるのも、なにもおかしいことじゃない。それを獲得するための行為を努力と呼んだりもする。
ぼくたちだって、ただその度合いが常軌を逸脱しているだけのはずなのに。
「ねえ、つばきくん」
いつの間にか目の前に来ていたさくらが、両手でぼくの肩を掴みながら耳元で囁く。
「一緒に、世界を滅ぼしちゃおうよ」
「……」
「こんな理不尽で退屈な世界、二人でぶっ壊しちゃお?」
「……」
蠱惑的な囁きが脳内でリフレインする。それは甘美な誘惑だった。
彼女と二人で世界の終焉を飾れたら、それはとても楽しそうだ。
このまま死ぬまでの八十年を苦しみながら生きていくのなら。
でもぼくは、首を横に振って、さくらを突き放した。
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