深愛

「楽しみね。これできっと皆仲良くなれるわ」


 ケノスとイダンが去った後、フィーシ様はそう言って嬉しそうにしていた。


「そうですね、私もより一層尽力いたします」


「ありがとう、フィロス。でも無理はしちゃだめよ。あなた最近よくでかけているみたいだけど、ちゃんと休めているの?」


「はい、お心遣い感謝します。一日でも早く、フィーシ様に素晴らしい世界をお見せするためにも我々一同、体調の管理は徹底しております」


「ならいいのだけど。あ、そろそろ戻らなきゃ。フィロスも一緒に行きましょう」


「ご一緒したいところですが、少しまだ仕事が残っておりますので」


「そう、残念ね。先に行ってまってるわ」


「ええ。すぐに向かいます」


 手をひらひらと振り、可憐な足取りで自室へ戻られていった。さて……。

 先ほどまでフィーシ様がお掛けになっていた椅子を撫でつける。そしてその手を鼻元まで持っていき、深呼吸する。


(ああ……、ああ! 相変わらずなんてすてきな香り……。今日はお互いにお仕事が入っていたし、お会いできると思ってなかったわ。

それにしてもフィーシ様はまだこの世界が手を取り合い、平和になると思っておられるなんて……。なんて、愚かで愛おしいのでしょう! 700年前の大災禍だいさいかのときにそのお考えのせいで、国民の8割を失ったことをお忘れなのかしら。いいえ、違うわ。その事実を見たうえでも信じているのね。ああ! かわいい! 本当にお花畑のようなお方。人を愛し、信じることしかできないあなたの美しさをそんなに見せられては私も我慢するのが大変でございます。

今日も太陽の日を受けて光り輝く銀の髪がとても美しかったわ……。あの髪に顔を埋めて呼吸をしたらどれほど幸せなことでしょう。それにあの翡翠の瞳。口の中に入れてころころと転がしてみたらどれほどすてきな音色がするのでしょう。シルクのお召し物に負けないほどの美しい肌……。足先から少しずつキスをして、最後にあの神々しくも愛らしい笑みを作る唇をそっと食むの。そうして私たちは体を重ねて――)


「フィロス様、ただいま戻りました」


「――ああ、プセマ。早かったのね」


「わたくしの役目は森に彼らを置いてくることだけですから」


「それで、二人は死んじゃった?」


「いいえ、ソスタとアリステラを殺してペリエルギアへ向かいました」


「そう」


「――フィロス様、なぜこのようなことを?」


「あなたが私に疑問を抱くなんて珍しいわね」


「これは失礼を。あなた様は目的のためにいつも合理的な行動を取り続けてこられました。しかし今回は以前のものとは異なるように思えるのです」


「そう?」


「これまでわたくしたちは大災禍だいさいか以降、他国に情報を与えないよう徹底的に立ち回ってまいりました。それはわたくしたちの強みは攻めでなく、守りにあるからと理解しております。ただひたすらに準備を整えながら機を待つ日々でした。しかし、今回の件はまるでこちらの情報を渡すかのようなご判断に思えます。これまでも諜報活動のために人材を他国へ送り込むことは度々ございましたが、それはわたくしたちの真の目的を知っている者だからこそのことでした」


「そうね、今回の彼らは一般人にすぎないわ。きっとティフィロスの情報は次第に漏れていくでしょうね」


「ではなぜ?」


「さっきあなたが言ったように、我々は積極的に攻めるには力不足だわ。でも待つだけでは相手の出方次第になってしまう。だから、我々がやるべきことは戦局の操作よ。彼らはそのための起点ということね」


「彼らが持つ情報を与えることがどう戦局の操作に繋がるのでしょうか」


「我々は長い間姿を見せてこなかった。そんな中突如ティフィロス出身の人が表れる。今まで流れていた信憑性の低い噂ではなく、確かに見せた我々の尻尾は決して無視できるものではないでしょう。そこで我々は意図的に情報を流し始める。するとその情報はただのではなく、精査するべきとして捉えられる」


「なるほど、相手を動かそうにもこちらの出す情報に目を向けてくれなければ意味がない。まずは彼らを使ってわたくしたちに興味を持たせる、ということですか」


「どこまで上手くかはこれからの立ち回り次第だけど、ただ好機が訪れるのを祈って待つよりはいいわ」


 このためにもただの子供2人にリソースを割いてきたんだから上手くいってくれなきゃ困る。ただ幸運なことにフィーシ様が効果的な場面で口を挟んでくれた。元々最初は彼らの提案を渋ってから説得されたような演出をして、私が国を第一に考えていながら最後は折れてしまう甘さを印象付けようかと思ったけど、結果的に私とフィーシ様の齟齬があるような様を見せつける形になった。

 この国のトップが不安定だという情報は他国にとって魅力的なはずだ。沈黙を貫いてきた国というこの大戦における不安材料を排除する足掛かりになる。あとは彼らがその情報を滞りなく他国へ流布してくれるかだけど……。


「ソスタとアリステラを退けたのなら彼らには期待はできそうね」


「こちらの与えたヒントに気づき、立てた戦略を連携して遂行する。さすがはフィロス様が手を掛けた子供ですね」


「立派になってくれてうれしいわ」


 彼らがこの閉鎖的な国に疑問や不安、外の世界へ興味を持つように少しずつ調整してきた。他国に与える最初の情報はでなくてはならない。欺いたり、扇動のための虚言ではいけない。真の気持ちからくる確かな言葉が最初に届くからこそ、その後の情報が耳に入りやすくなる。


「問題がなければわたくしたちも動き始めようと思います」


「これからさらに大変になるけどよろしくね」


「我々はフィロス様に救ってもらった命。惜しむ者はおりません」


「そう」


 プセマが深く一礼をし、部屋を出ていく。彼らは私を救世主か何かだと思ってるみたいだけど、盲目なものだ。

 いつだって大衆の前に現れる天使は悪魔から知恵を受けたただの人で、大きな成果と魅惑的な言葉を持って魅了する。大衆はその天使の皮を被った人に祈りを捧げ、救済を求める。本当の天使は足元に転がっている皮の剥がれた肉だというのに。


 思えば長かった。ずっと我慢し続ける日々。決して情報を漏らさず、粛々と進めてきた魔法の準備。この数百年間、気が休まることなんてなかった。それももうすぐ終わらせられる。


「はぁ、早くみんな死なないかしら」



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