花婿のひとり言

この館の主人あるじヴォルフハルト・バルザックは自身の部屋に戻り、ベッドの上に仰向けに寝っ転がった。大失態だ、自身の花嫁であるクリスティーナ嬢に会った途端に嫌われてしまった。ヴォルフハルトはハァッとため息をつく。この件に関しては、執事のアルベルトにも多分に非があると思う。アルベルトが言ったのだ。二十八歳という年齢の人間の娘なら、相当な行き遅れだ。きっとすごい不細工だから、優しくしてあげなさいと言われたのだ。だが、クリスティーナに一目会って驚いた。とても美しい娘だったからだ。真っ黒で艶やかな長い髪、黒曜石のような瞳、抜けるような白い肌、ツンとした可愛らしい鼻、ぷっくりとしたバラのように赤いくちびる。クリスティーナのあまりの美しさに頭が真っ白になってしまい、言うべきはずだった言葉をスコンッと忘れてしまった。ヴォルフハルトは人見知りのあがり症で、初対面の相手とりゅうちょうに会話するのはとても難しかった。そこで、アルベルトが台本を用意したのだ。クリスティーナに会ったら、先ずは長旅に対するねぎらいの言葉。次に自己紹介、そしてクリスティーナの外見を褒め、いい気分にさせた所に晩さん会の誘いをするという流れだった。だが、最初に出てきた言葉は、最後に言うはずだった晩さん会の誘いの文句だった。クリスティーナは意味がわからなかったのだろう、可愛らしく首をかしげていた。台詞を間違えた事が恥ずかしくなり、ついクリスティーナに牙をむいてしまった。クリスティーナは怒って部屋を出て行ってしまったのだ。執事のアルベルトはクリスティーナを追って行ってしまった。アルベルトがヴォルフハルトの部屋にやって来たら、きっととんでもないカミナリが落ちるはずだ。アルベルトはヴォルフハルトの執事であるが、ヴォルフハルトにとっては使用人というよりも、世話をしてくれる兄のような存在だ。小さな頃からこの館で暮らしているヴォルフハルトの世話を一手に引き受けてくれている。身の回りの世話も、食事の世話も、勉強も、全てアルベルトがしてくれるのだ。今回も花嫁を迎えるにあたって、アルベルトは、人見知りなヴォルフハルトを心配して、会話の台本を作り、朝晩練習をしたのだ。アルベルトを花嫁に見立てて。ヴォルフハルトが言葉を間違える度に、アルベルトのこめかみに血管が浮き、視線だけで殺されるのではと思うくらい睨まれるのだ。そんなアルベルトを花嫁と思って美しさを褒めろなんて無理難題過ぎる。自分だって恋人がいないくせに、と思いいたってハタと気づく。アルベルトはずっとヴォルフハルトの世話をしていて、自分の時間など少しも持てないのだ。台詞の練習をしてくれるのも、全てヴォルフハルトのためなのだ。アルベルトのためにもヴォルフハルトは人間の娘、クリスティーナに心を開いてもらい、仲睦まじい夫婦にならなければいけないのだ。ヴォルフハルトには、早く花嫁を迎えなければいけない切実な理由があった。ヴォルフハルトがつらつらと思考をめぐらせているうちに、部屋のドアを叩く音があった。ゴンッゴンッ。そして地を這うような執事の声が聞こえた。


「ぼっちゃぁぁぁん」


この声は、執事のアルベルトが最高に怒っている時だ。ヴォルフハルトは毛布を被って、隠れる事にした。バンッと勢いよくドアが開き、ツカツカとアルベルトがベッドまでやって来る。そして毛布を被って丸くなった鉄壁のヴォルフハルトに怒鳴る。


「ぼっちゃん!何て事したんですか!クリスティーナお嬢さまを怖がらせるなんて、可哀想に子供のように泣いていましたよ」


ヴォルフハルトはバッと毛布をはいで飛び起きた。


「え!?クリスティーナ泣いてたの?!どうしよう、謝りに行かなきゃ」


慌てて部屋を出て行こうとするヴォルフハルトをアルベルトが止めた。


「ぼっちゃん、今はクリスティーナお嬢さまをそっとしておいてあげなさい。お夕食の給仕も私だけで行きます」


アルベルトの言葉に、ヴォルフハルトはふて腐れた顔で向きなおって言う。


「大体、アルだって悪いんだぞ。クリスティーナはブスだって言ったのに、すごい美人じゃないか。ねぇ、魔界の美人と人間界の美人て違うの?」


アルベルトはしばらく考えてから答えた。


「魔界には、好んで人間界に行く魔族もいます。ですが、美人の基準は魔界とさほど違いはないと思います。そうなると、クリスティーナお嬢さまが今までお嫁に行かなかったのは、クリスティーナお嬢さまが養い親にうとまれていたという事です。クリスティーナお嬢さまは、ご両親を亡くされて、叔母上に引き取られたとはいえ、貴族の子女である事には変わらない。貴族の令嬢は、幼い時より許婚が決められていて、十代の内に嫁ぐのが普通です。それが二十八の歳までお嫁に行かず、魔物の花嫁になるなんて、叔母上に嫌われているとしか思えません」

「え?!クリスティーナ、俺のお嫁さんになるの嫌なの?!」


ヴォルフハルトは驚いてアルベルトに聞く。アルベルトはびっくりしてヴォルフハルトを見てから、ハァッと大きなため息をついて言った。


「何を当たり前の事を、人間の娘が好んで魔族の嫁になりたがるわけないじゃないですか。だからくれぐれも優しくしてあげなさいと言ったでしょう」


ヴォルフハルトはガンッと頭を叩かれたような衝撃を受けた。クリスティーナは自分が嫌だから泣いていたのだ、かなりショックだ。ヴォルフハルトがうつむいて落ち込んでいると、アルベルトが話しかけた。今度は優しい声だ。


「だからこそクリスティーナお嬢さまがこの館で快適に過ごせるように、ぼっちゃんは彼女に誠心誠意優しくしてあげなければいけませんよ。人間の娘は花が好きです、今夜のうちにクリスティーナお嬢さまが喜ぶような花を摘んできて下さい。明日の朝食にはクリスティーナお嬢さまを連れて行きます。そこで花を渡してちゃんと謝ってくださいよ」


アルベルトの言葉に、ヴォルフハルトは神妙にうなずいた。そして、ハッと思い出したように聞いた。


「ねぇアル、クリスティーナ泣かしたから、俺夕飯抜き?」


ヴォルフハルトの質問にアルベルトは憮然とした表情をしてから、ため息をつきながら答えた。


「私が今夜の晩さんの食材を集めるのにどれだけ苦労したと思ってるんです。ありがたく食べてください」

「うん!じゃあアルも一緒に食べよう」

「仕方ありませんね、盛りつけるのも片付けも面倒だから厨房で食べますよ」

「アル、ありがとう!」


ヴォルフハルトは幼い頃から貴族のたしなみとして、食事は一人で食べていた。アルベルトは家族同然だが、使用人と一緒に食事をするのは貴族として良くない事だというのがアルベルトの考えだ。アルベルトの料理はとても美味しいけれど、一人で食べる食事はあまり美味しくなかった。たまにアルベルトが一緒にご飯を食べてくれる事がある。アルベルトに怒られて夕食抜きになった時、お腹が空いて眠れないと、アルベルトが夜食を作ってくれるのだ。夜食だからといってアルベルトもヴォルフハルトと一緒に食べてくれるのだ。その時の食事は一人で食べるより、何倍も美味しいのだ。ヴォルフハルトはクリスティーナの喜ぶ花を摘むために館を飛び出していった。




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