フレンチのフルコースです

なずなは広間を飛び出して、自分にあてがわれた部屋に入った。ベッドにつっぷすと、大声で泣き出した。ワァワァと子供のように。なずなは、突然この世界に来て、この世界の自分であるクリスティーナの不幸な境遇を聞いて、クリスティーナを助けてあげなければと強く思った。気を張って魔物の館に乗り込んだのだが、執事のアルベルトが魔物らしからぬ普通な態度だったので、気が抜けてしまった。そこへ主人あるじに牙をむかれて、やはり魔物である事を目の当たりにして、恐怖により緊張のタガが外れてしまったのだ。やはりクリスティーナを魔物の花嫁にしてはいけない。だがどうしたらいいのかわからない。なずなが泣きじゃくっていると、控えめなノックの音がした。だがなずなは返事すらできなかった。ドアが開き、ワゴンを押したアルベルトが入ってきた。アルベルトはベッドに突っ伏して泣きじゃくっているなずなを見て、慌てて近寄り、なずなを支えてベッドに座らせた。アルベルトは胸ポケットからハンカチを取り出すと、なずなの頬に優しく押し当てた。アルベルトの手の爪は、恐ろしく鋭かったが、綺麗に整えられていて優しかった。アルベルトの温かい手を感じて、なずなの涙腺はさらに緩んだ。なずなは泣きながら叫んだ。


「私このまま魔物にかみ殺されて死んじゃうんだわ。きっとそうなんだわ!」

「クリスティーナお嬢さま、そんな事起こるわけがありません。あの弱虫な仔犬にそんな事できません。あの小心者な主人あるじの爪は、お嬢さまの髪の毛をすく事だってできやしません」


泣きじゃくっているなずなは、アルベルトが主人あるじを散々にこき下ろしている事に気がつかなかった。アルベルトが穏やかな声で言った。


「クリスティーナお嬢さま、フォンダンショコラお召し上がりになりますか?」

「食べるぅ」


なずなは泣きながら返事をする。アルベルトはうなずくと、なずなの手を取って、室内にあるテーブルと椅子の席に座らせた。アルベルトはワゴンからテキパキと焼き菓子を取り出し、支度を始める。アルベルトがさらに続ける。


「クリスティーナお嬢さま。紅茶になさいますか、それともコーヒーになさいますか」

「こぉひぃー」


アルベルトはうなずいて、コーヒーを淹れるための準備をする。コーヒーポットに、ネルドリップの濾し袋をつけて。ゆっくりと湯を注いでいく。辺りにコーヒーの香ばしい香りが広がる。なずなは我知らず鼻をヒクヒクさせた。コーヒーの豊かな香りが、なずなのささくれた心を少しだけ穏やかにしてくれた。アルベルトは温めたティーカップにゆっくりとコーヒーを注ぎ、ソーサーに乗せてなずなの前においた。なずなはゆっくりとした動作で、コーヒーを一口飲んだ。コーヒーのコクと酸味とほのかな苦味が口の中に広がる。、なずなは、ほぅと息をはいた。小さなフォークでフォンダンショコラを切る、中からは

トロリとチョコレートソースがこぼれ出てきた。なずなはチョコレートケーキを一口大に切り分けて口に入れる。甘くてほろ苦くて最高に美味しかった。


「おいしい〜」


なずなは泣きながらチョコレートケーキを食べた。コーヒーがなくなると、アルベルトがおかわりを入れてくれた。なずなが二杯目のコーヒーを飲み終わると、アルベルトはもう少ししたら夕食を運んできます。と言って部屋を出ていった。部屋に一人取り残されたなずなは、素敵なベッドカバーのかかったベッドに、そのままあお向けに寝っ転がった。いつしかそのまま寝てしまった。


お嬢さま、クリスティーナお嬢さま。誰かがなずなをゆり起こす。なずなは眠りの波からゆっくりと意識を取り戻した。目を開けると、そこには美しい男の顔があった。赤い瞳、この館の執事アルベルトだ。アルベルトがなずなに声をかける。


「クリスティーナお嬢さま、お夕食は召し上がれそうですか」


なずなは小さな声で、はい。と答えた。先ほど子供みたいに泣きわめいていた事が、今になって恥ずかしくなってきたからだ。アルベルトはまたもやなずなをコーヒーとお菓子

を食べたテーブルと椅子に座らせた。テーブルにはカトラリーが並べられる。なずなの膝の上には真っ白なナプキンがおかれた。フルートグラスにはシャンパンが注がれた。なずなの前に、皿が置かれる。


「サーモンのカルパッチョです」

「綺麗」


なずなは思わず声を上げた。薄く切られたササーモンは、クルクルとはしっこから巻かれていて、バラの花を作っていた。サーモンのバラのまわりには、新鮮な葉物野菜がしきつめられていて、まるで花畑のようだった。なずなはフォークでサーモンをつき刺し、口に入れる。美味しい。塩味の効いた新鮮なサーモンだ。そこでなずなは疑問に思った。何故このような山奥で、海の食材が手に入るのだろうか。なずなの疑問にアルベルトが答える。


「私は空を飛ぶことができるので、山々を越えて、海近くの町に食材を買いにいけるのです」


なずなは謎が解けたと共に、この夕食の食材をアルベルトが苦心して集めたという事がうかがえた。本来ならばなずなは、この館の主人あるじと夕食をし、打ち解けなければいけなかった。だがなずなは、主人あるじに驚いて泣きながら部屋に閉じこもってしまったのだ。今さらながら、子供じみた行動に恥ずかしくなった。前菜をたいらげると、二きれのパンが置かれた。表面はカリッとして、中はモチモチのパンだ。その次はスープ。


「エンドウ豆のクリームスープです」


美しい緑色のスープにクルトンとクリームがかけられている。スープは優しい味がした。スープの次は魚料理。


「舌びらめのポワレです」


カリッと焼きあがったポワレの下には揚げたマッシュポテトがあり、そのまわりには野菜がそえてあり、ソースがかかっていた。舌びらめをナイフとフォークで一口大に切り、ソースをつけて食べる。ソースが濃厚で、淡白な舌びらめとよく合っていた。次は小休止ののシャーベット。洋ナシのシャーベットには香りのいいブランデーがふりかけてあった。シャーベットを食べると、口の中がサッパリした。ここまでくるとなずなにも、この夕食はフレンチのフルコースだという事が分かった。では次に来るのは肉料理だ。


「牛フィレ肉です」


飲み物は白ワインから赤ワインに変わった。牛フィレ肉のプレートには、素揚げしたナスやかぼちゃなどの野菜が彩りにそえられていた。なずなは牛フィレ肉にナイフを入れる。スッとナイフがとおる、口に入れるとすぐにとけてなくなってしまった。驚くほど濃厚で柔らかかった。最後はデザート。


「クレームブリュレです」


デザートの飲み物は勿論コーヒー。先ほどと同じように、アルベルトは丁寧にコーヒーを淹れてくれた。なずなクレームブリュレの表面を、スプーンでパリッと割る。中からクリームが現れた。口に入れればまろやかな甘さが広がる。なずなはほぅっと息をはいた。コース料理が終盤になると大分お腹がふくれたが、デザートは別腹だ。なずなはコース全てを完食した。アルベルトは食器類を下げ終えると、しばらくしたら就寝の支度にまいりますと言って部屋を出ていった。なずなはこの時になって慌てた。この館には、どうやら主人あるじと、執事のアルベルトの二人しかいないようなのだ。そうなると、なずなの着替えの手伝いはアルベルトがする事になるのだろうか。なずなは一人ではコルセットを脱ぐ事もできないのだ。不安な気持ちでいると、ノックの音がしてアルベルトが入ってきた。アルベルトはなずなに一礼すると衣装ダンスの扉を開け、中からナイトウェアを取り出した。フリルのたくさんついた豪華なものだ。アルベルトは、なずなに立ってくれるよう頼んだ。なずなが言われたまま席を立つと、アルベルトがパチンッと指を鳴らした。すると今まで腹回りを締め付けていた苦しさが、一瞬にして無くなったのだ。驚いてドレスを見ると、ドレスはナイトウェアになっていた。どうやらこれもアルベルトの魔法らしい。アルベルトはなずなを、この部屋の続きにある浴室に案内した。浴室にはバスタブもあり、なずなを喜ばせた。なずなはゆっくりとバスタブに浸かり、ほぅっとため息をついた。メグノマリヤの屋敷では自由に浴室が使えず、なずなはマーサにお湯で身体を拭いてもらうだけだった。なずなはお湯を手ですくって、鼻を近づける。花のいい香りがした。どうやらお湯に香油を入れているようだ。なずながナイトウェアに着替えて部屋に戻ると、アルベルトが待っていた。椅子に座らされ、櫛でなずなの長い髪を丁寧にすいてくれる。そしてこれもアルベルトの魔法なのか、なずなの髪にふわふわと温かい風があたるのだ。最初なずなは男性に世話をしてもらうのが恥ずかしかったのだが、アルベルトの、母親が我が子にするような細やかな世話に、いつしかうとうとしだしていた。クリスティーナお嬢さま。アルベルトの声に、なずなはハッと目を開ける。どうやら髪を乾かしてもらったようだ。髪にも香油を染み込ませてくれたのか、なずなの髪は黒く艶やかだった。アルベルトはベッドの横のチェストにコップと水差しを置き。そしてベルを置いた。何か困った事があったら、このベルを鳴らせというのだ。アルベルトはなずなをベッドに寝かせると、おやすみなさいませ。と声をかけて部屋を後にした。なずなは一人になってぼんやり天井を見つめた。チェストにはかさのついたランプが置かれ、ほのかに室内を照らしている。明日こそは、自分はクリスティーナではなく別人なのだと言わなければと考えながら、なずなは眠りについた。



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